COTE D'IVOIRE

アビジャンに住んでいました(1999.3-2002.10)
サイト《象牙海岸にて》の続編を綴ってみます。

議会の解散に反対した若者の騒動(アビジャン他で)

2006年01月20日 | 騒動と戦争
2006年1月20日
またまた若者が騒いでいます。しかもバイオレンスのオーケストラと表現されています。
若者が独自に騒いでいるのではなく、期を同じくして離れたところで、暴力を望む誰かの指揮により国連軍に反抗しているということです。国連事務総長のコフィ・アナン氏も非難しています。何らかの制裁が行われるようです。
今回の原因は国際ワーキンググループがコートジボワール議会の継続を認めなかったことにあります。どうせ機能していないのだから、と思いたくもありますが、国家にとって議会まで他国の言うとおりにされてたまるか、俺たちの国は俺たちがやると言う、相変わらずの筋書きです。国際機関にしても、こういう決定(イボワリアンの主権をないがしろにする)に対し、どのくらい反発が大きいか、学習しているはずですので、承知の上での仕掛けと見ることができるかもしれません。
ともかく見た目は同じことの繰り返しです。ラジオ(rfi)を聞いていたら、「危機ではなくて平和へ向かったマラソンだ。」とJ. M. ゲエンノ氏がインタビューに応えています。前向きととるか、楽観的ととるか、今の段階では後者のようにも思われます。
オバサンジョ(ナイジェリア)大統領の仲裁もあり、19日朝には政府が議会の解散を認め、若者もバリケードを解き静けさを取り戻したとのことです。
アビジャンやギクロなどの町の騒動は3日間続き、死者4名と発表されています。
http://www.rfi.fr/actufr/articles/073/article_41193.asp

武装解除合意

2005年05月17日 | 騒動と戦争
2005年5月14日(土曜日)、ヤムスクロにおいて国軍と反乱軍が「武装解除合意」に署名した。
かなり激しい交渉を10日間あまり続けた末の結果であるが、両代表者の表明では「非常に困難な仕事であれど、フラテルネ(親愛の情)により」といっているくらいだから、怒鳴りあいながら決めたことではなさそうで、むしろ4万2千500人の反乱軍兵士の国軍への移行、退役者への仕事、手当て、保障といった具体的なことが検討されたものと考えられる。
武装解除対象者は国軍側の5千500人を含めて総勢4万8千人、相当経費もかかることと予想される。
これに対して5月15日のFraternité Matin 紙には、武装解除国家委員代表、アラン氏がコメントしており、武装解除の経費11%はまだあてがなく、援助機関を探しているとのことである。
この武装解除経費は最低61milliards FCFAでその47%が世銀、29%がコートジボワール政府、13%が国連、EU及びその他の機関となっている。
610億CFAだから、約100億円相当であろうか、
セイドゥ首相曰く、この合意が「平和は転倒できないもの(irréversible)」の証拠である。と言っているけど、経費の面からも説得できる数字だ。

Source : rfi : http://www.rfi.fr/actufr/articles/065/article_36177.asp
FRATMAT

武器放棄の合意はまだなされず

2005年05月09日 | 騒動と戦争
2005年5月8日

5月3日、ヤムスクロにて国軍の軍参謀と反政府軍との間で、平和プロセスの要でもある、武器放棄の交渉が行われていますがなかなか合意ができないようです。4月14日に南アで取り交わされたプレトリア合意に基づく交渉なわけですが、もたついているようです。

Main source : rfi : http://www.rfi.fr/actufr/articles/065/article_36008.asp

国連安保理の迅速な制裁決議

2004年11月17日 | 騒動と戦争
フランスのイニシアティヴによる国連の安全保障理事会は15日(月)、コートジボワールへの制裁議決を採択した。
決議内容は以下の通り。
・武器および関連物資の輸入禁止、13ヶ月間
・憎悪や暴力をあおる報道の中止
・武器禁輸の妨害、人権侵害にかかる関係者の渡航禁止と在外資産の凍結
渡航禁止と、在外資金の凍結については、1ヶ月間の猶予期間があると解釈される。
この間にコートジボワールの和解合意が実現しない場合に実行されるようであるが、武器禁輸は即時の実施となっている。

これらの報道は 毎日新聞朝日新聞にも報道され、
毎日には《コートジボワール:紛争再燃「見せかけの民主化」破綻》という、
小特集も組まれている。これほどタイムリーに日本の新聞が取り上げるのはめずらしい。
毎日の国際コーナーに【アフリカ・オセアニア】コーナーができたのはすばらしいことだ

ローラン・バボ 対 ジャック・シラク

2004年11月16日 | 騒動と戦争
シラク大統領:「ウフエ・ボワニ大統領の時はアフリカのモデルだった、ところが彼の後継者はそれを引き継ぐどころか、とんでもない国を作ってしまった。白人と外国人を追い出して、、、。このように無秩序なファシストの体制を放置することはできない。」

バボ大統領:「フランスは反乱軍に加担している。過去のモデルの国で牢獄に入れられたのは我々だ、ファシストの単独政党を40年も擁護してきたのはフランスではないか、侮辱はもうたくさんだ。」

(リベラシオンの抄訳にならって、訳を超訳にしてみました。
原文はrfi:http://www.rfi.fr/actufr/articles/059/article_31762.asp 参照)
どうやらこんなやり取りがなされているようです。
こうなると、もう手がつけられない、、。

バボさんは確か癲癇持ちなんだよなあ、
親子喧嘩のようにも聞こえるけど、今度ばかりはどうなることやら、、、。

参謀長官の任命

2004年11月16日 | 騒動と戦争
土曜日にフィリップ・マングゥ(Philippe Mangou)大佐が任命されています。
ということは前マチアス・ドゥエ将軍が更迭され事にもなるわけですが、
愛国青年はマングゥ大佐をかんげいしてるとのこと、彼ならブアケを解放できるようなことも言っているようで、攻撃姿勢をとっているということのようです。

一方マチアス将軍、彼はクーデタ以前から軍を調整してきた人ですが、ここで軍の出方も方向転換することになりそうです。

まとめてメーリングリストに、

2004年11月16日 | 騒動と戦争
投稿した内容を紹介します。

日曜日で、コートジボワールから避難を希望するいわゆる外国人は、
ほぼ出国したもようです。約5千人と伝えられています。
アビジャン市内は平静を取り戻していると報じられていますが、
フランス人コミュニティーのメールではココディでの略奪が伝えられています。
白人にとっては危険な町になっているようです。
さらに昨日からバボ、シラク両大統領の齟齬は外交上では考えられないような状況ですし、フランスは国連軍と共にアビジャンから撤退の動きをとるのではないでしょうか(予測ですが)
ここまでの経緯をある視点から追って見ます。これは現国会議長で、昨日のAU西アフリカ首脳臨時会議にコートジボワールの代表として出席したママドゥ・クリバリ氏の考えを推測した、私の個人的な考えの域から出ないのですが、以下のような論理です。
1、Oさんがご指摘の通り、現在合意したといわれている和平協定はフランスの押し付けである。
(しかもその背後には常にアラサン・ワタラ氏が付きまとっていましたし、今回も彼はいち早く南アへ飛び、現行の和平協定を貫く以外に道はないとムベキ大統領との会談で申し入れています。)
2、フランス、マルクゥシィでの署名はたとえ大統領が署名したとはいえ、コートジボワール憲法に抵触する項目が含まれていることから、これは議会の判断が必要である。
もしくは無効である。
(この点、法的にはどのように扱われるのか、どなたかに伺いたいです。つまり大統領の署名事項で憲法に抵触する項目があった場合の法的優先度についてで、アラサン・ワタラ氏の次期大統領候補権に関することです。)
3、とはいいながら和平合意を現実的対応策として尊重するものの、今回のコートジボワール軍による爆撃対象は和平合意に関係しない新反乱軍であり、これを見過ごすことは新たな危機につながるとの判断から実行したもので、フランス軍基地への爆撃は誤爆である。
(バボ大統領はフランス兵の死に疑問を抱いているとも言っています)


http://positiveafrica.net/ ポジティヴなメーリングリストです。

アブジャでのAU(UA)臨時首脳会議

2004年11月15日 | 騒動と戦争
西アフリカ5カ国の首脳による、アフリカ連合(AU/UA)の臨時首脳会議が14日 (日)、ナイジェリアの首都アブジャで開催されました。
ここでは各首脳が一致して、コートジボワールの停戦協定下の武器使用に対して制裁を求める方向で、国連安保理への反コートジボワール案を決議したもようですが、これに対してコートジボワール代表であるママドゥ・クリバリ(現国会議長)氏は異議を唱え、当日の最終コミュニケの席から退席しようとさえしたと報じられています。(14nov./AFP)
彼は聡明な論理家だと私は見ており、少ないコートジボワール次世代指導者の重要な一人と思っているのですが、したたかさも必要と、、、考えさせられます。
ここでも彼の論理を説明し、フランス軍が今回160名を死亡させ、大統領邸に発砲したとも訴え、同時に、フランス軍が国連軍の指揮下に入るか撤退すべきだと求めたとのことですが、聞き入れられなかったようです。
これでコートジボワール政府は国際的にも厳しい立場に追い込まれますが、近隣諸国にも与える影響は少なからず、平常化に戻るのは一層遠くなったような感がもたれます。
これが、実質的植民地化から完全に自立するための試練なのか、アフリカの弱点の繰り返しなのかまだ分らないと贔屓目には見ているのですが、一般市民には耐えられないことでしょうね、、。

出国者は

2004年11月15日 | 騒動と戦争
コートジボワールから出国を希望する人は、昨日の日曜までに完了したようで、もし昨日(日曜日)の便が満席にならない場合、月曜日の便をフランスは運行しないと発表しているようです。
日曜日には3便で1050名が出国したとのこと、これまでのフランスによる出国者4248名と合わせて約5300名とのことです。このほかにも隣国のガーナや近隣国へ避難した人、近隣国経由で出国した人も多く、日本人の場合はガーナへ避難した人が多いようです。
もちろんいわゆる白人だけでなく、黒人も多く出国しているのでしょうが、これに関する数字は明らかではありません。
意外と思われる国としては、フィリピンが挙げられ、フィリピン人約100名の出国支援を外交ルートで申し入れたと聞きました。
外交官の家族はもちろん、多くの民間会社の派遣員も引き揚げたらしく、しかも出国者の中では「行くよ!もう戻らない」などという言葉も交わされたようです。
一方、コートジボワールに残っている人たちもいます。日本人でコートジボワールの人と結婚した人たちの多くはアビジャンで生活しているようですし、留学中の日本人青年からは大使館の問い合わせに対して「出国しない」と答えたとのメールが届きました。

かりそめの静けさ、

2004年11月14日 | 騒動と戦争
といったところだろうか、
ラマダンが終わり、お祭りがあるのでおやすみというところか、
仕事のない若者があふれ、このようなストレス解消的暴動が慢性化しているようにも思われる。
それをバボ大統領がやらせているのか、制止する力がないのか、それとも制止して支持を失うのうを恐れているのか、いずれにしてもアビジャンは白人にとって危険な町になってしまった。

*既に約2000人の外人は国外に避難したもようで、日本大使館のコアメンバーを除いてはガーナに退避したそうである。

その間にもいろんなことが起きている。
*どうやらMACAと思われる刑務所からは数千人の囚人が脱走したとか、これはAP通信が11日に報道したようだが、アビジャンの新聞には出ていないようであった。
日本では日刊スポーツがが報道しているようである。
http://www.nikkansports.com/ns/general/f-so-tp0-041111-0011.html
ここで報じている森とは国立公園のバンコの森と思われ、あの森の中は怖い人が大勢になったようだ。

*rfi(ラジオフランスインターナショナル)はブアケでの攻撃によるフランス兵の死者9名。
土曜日のアビジャンでの暴動によるイボワール人が62名死亡と報じ、それに対しバボ大統領はフランス兵士の死は疑問である、お目にかかってないからとワシントンポストのインタビューに答えたそうであるが、ワシントンポストの記事は見つけることができなかった。
http://www.rfi.fr/actufr/articles/059/article_31750.asp

*新たに軍参謀が任命されたとあったのは、、アビジャンネットかな。
Philipe Mangou という大佐、どのような采配をしてくれるのか期待したい。

*Fologさん(社会経済委員長)ガボンへ行き、ワタラさんはフランスから南アに飛び、
マルクゥシィの和平協定を貫こうという動きと、フランスの押し付け協定を超えた新たな協定を目指そうという動きと、いずれにも利権が伴うがゆえに、しかも選挙の年の2005年も近づくにつれ各自の行動も見えやすくなってきた。

そういうことか、スパイナー、、ね

2004年11月13日 | 騒動と戦争
このフラテルニテ・マタン紙の表紙の意味を、《フランスがバボを倒すに違いない》と読んでいたら違った。

ホテル・イボワールの近くで銃弾を受けた青年はプロの狙撃主にやられたということで、そのプロは大統領をを射殺するためのスナイパーで、ホテル・イボワール7階460号室から逃げたエリート狙撃手(ニューカレドニア出身で名前も出ている)であり、目的は大統領狙撃だったと、、、、。


そんなメールがアビジャンにいる日本人から届いた。
なるほど、そういうことだったか、、。それにしても相変わらず、もっともらしく読者をひきつける話題作りに専念しているような気がする。良識あるジャーナリストはいないのかね、、。
プロだったなら目的以外の人を標的にするはずがないではないか、、。

いろいろな視点が、

2004年11月13日 | 騒動と戦争
アビジャンではフランス軍を「占領軍」と決め付けて、「フラテルニテ・マタン」紙はセネガルの知識人がそのように言っているとも報じている。
同じく「フ」紙によると、9日、イボワールホテル付近で銃撃を受けて亡くなった青年は、フランスによるものであると決め付けて、明日(土曜日)、彼に冥福を捧げる集会を予定している、、とも、、。

バボ大統領が《フランス人への攻撃を決してしないと決定した》と発表したとはいえ、そして運輸大臣が外国人の脱出を保障し、水曜日から国外避難が進められているとはいえ、町は必ずしも静まったわけではないようである。

気になるのは「le jour」紙の報じる、ブアケ、コロゴの新反乱軍に対して空爆を開始したとのこと。国連監視軍は監視していないのであろうか、、、。
この点、rfi(ラジオフランス)は何も報じていない。(11月12日、18時現在)

これでマルクゥスィの和平協定は葬られるかもしれず、新たな合意をアブジャ(ナイジェリア)で行おうという、バボ大統領の筋書きなのかもしれない。
まさか、このドサクサにまぎれて反乱軍にダメージを与え、同時に、武器の揃ったことをアピールをしているわけではないだろうが、、。

一方、11月11日、rfiのラジオインタビューにはBamba Moriféré氏(彼は2000年暫定政権時の厚生大臣で野党PPSの事務局長)が答え、多くのコートジボワール市民はフランス軍を歓迎しており、「占領軍」などと言っている人は一部だけだ、とか亡くなった青年には気の毒だが制止を聞き入れず行動は実に暴力的であったことから、止むを得ないような発言。

毎日のように煽り立てる新聞やラジオの報道に、アビジャンの若者達が反フランス意識を募らせるのも、理解できなくはないが、いろんな視点から見て、短絡的な判断はして欲しくない。

今、Abijan.netをみたら、12日15:05 GMT:土曜日に予定されていた犠牲者の式典は延期されたとなっている。
これで少し安心。

 アラファトさんも亡くなられた。(合掌)
国土に関する揉め事は、簡単には解決しない。コートジボワールの問題もそのことに大いに関係している。
ヒトの増加による環境の圧力という視点もあるかもしれない。

ラバトで聞くコートジボワール(象牙海岸)のこと

2004年11月12日 | 騒動と戦争
2004年11月9日 (photo by AP:mar 09 nov, 10h40) 

Le matin 紙より

事態は1999年の混沌とした状況に似て、100名程のモロッコ人が母国への帰還を強いられたことを思い起こさせる。
当時、我らの同胞は格好の標的となり、多くの商店経営者などがアビジャンに避難した。
こんにちは長い有効の歴史の中で約5000人のモロッコ人が住んでおり、約700名のモロッコ兵士が国連軍として貢献している。

現在コートジボワールの首長は2002年9月の反乱軍による勃発以来、南部だけしかコントロールできていない状況で11月4日から6日の北部反乱分子への爆撃は2003年1月の和平協定に抵触するものである。
この武器放棄に条件として、2003年のマルコシの協定による内閣の形成があり、このことはコフィ・アナン氏の庇護の下で2004年7月に決定したものである。
この協定には、コートジボワール政府と反武装グループが立法改革と憲法の1条項の改定そして武器の放棄を合意したものである。
ところがアビジャンではフランス軍とバボ大統領に近い青年グループが衝突した。
これはラジオ放送が大統領邸を人の盾で守ろうとの呼びかけによるものでもあった。

日曜日の夕方、沈静と帰宅の呼びかけによりおさまった。

大統領に近い高官はアビジャン市内に繰り出したフランス軍戦車の撤退を申し入れ、これがバボ大統領罷免の噂を招く事にもなった。

写真が多く報道されている:フランス版yahoo サイト

rfi(ラジオフランスインターナショナル)によると le7 nov. 04

2004年11月12日 | 騒動と戦争
map by ONUCI : http://www.un.org/french/peace/peace/cu_mission/onuci/
(ここの右上地球儀をクリックするとこの地図のpdfがダウンロード可)

ブアケとコロゴの中間くらい、カチョラの北に新反乱勢力があるとのことで、コートジボワール(以下CIで表示)政府は何とかこれを叩きたいと狙っていた。

11月4日からCI軍はこの反乱軍アジトに空爆をはじめた。

フランス(以下Fで表示)軍は停戦協定に従うべく、この地域で任務にあたっていた。

11月6日、午後まもなく、こういった和平的支援を行っているF軍を突然CI軍が空から攻撃。F軍兵士8人が死亡し、23人の負傷者が出た。(このときの飛行機はSukhoi 25)

この数時間後、CI当局は反乱軍と誤った誤爆であったとして遺憾の意を表した。

F大統領の命により停戦協定が破られたとしてヤムスクロに停泊してあったSukhoi2機と戦闘ヘリコプター5機がF空軍機により破壊された。

このことにより共同戦線を張っていたCI政府軍とF軍が突然敵になったような状況になり、特にアビジャン国際空港では両軍が共同で使用していたこともあり、混乱した。

もちろん空港は閉鎖され、その後フランス軍によるコントロール下におかれた。

一方CIの最大都市アビジャンでは緊張が一挙に爆発し、愛国青年団(バボ大統領の支持グループ)が中心となり、フランス人の車を破壊したり、高級住宅地ココディにあるフランス・リセ、メルモーズに火を放った。バボ大統領は7日の夜にフランス人市民への攻撃を停止するよう命令を出し、騒ぎは少し静かになったものの、反仏、反植民地感情が強まっている。