聞いてよ!変だよ!

日常の気がついたこと、感じたことを日記風、エッセー風に書いていきます。

「名古屋走り」を知ってますか。黄信号は「まだ間に合う」、赤信号は「もっと急げ」なんです。

2013-03-25 21:25:58 | 日記
 愛知県は交通事故が全国ワーストワンです。2年続けて1位です。ところが、過去21年間にわたって死者の計上漏れが合計600人もあり、修正すると2003年からずっとダントツの1位でした。いかに小さく見せるか計上漏れを続けたのです。恥ずかしくて、恥ずべきことをしたのです。
 愛知県は自動車保有が全国1位です。それを維持するため、意図的に道路整備を進めて公共交通機関の整備は遅らせたのです。ですから交通事故第1位を返上できないんです。
 信号がすべて赤になる交差点を作ったのは愛知県警、矢印信号を考案したのも愛知県警と聞いています。いかに交通事故死第1位を返上するか、対策の一つとして実施されてきました。
 しかし運転手が慣れっこになった結果、名古屋走りが生まれました。すべて赤になっても、それは黄信号の延長なのです。渋滞で車が列をつくっているので黄信号に変わっても、赤信号に変わってもは交差点内にとどまっている車は平気で前進したり、右折をするのです。本当に金魚の糞そのものです。黄信号は「徐行」と教習所で習ったはずが、運転手は「まだ間に合う」とアクセルを踏んで渋滞の列に並ぶのです。赤信号は「停止」と習ったはずが「もっと急げ」とさらに深くアクセルを踏んで渋滞の列に並ぶのです。もう間に合わないと観念しないと「徐行」も「停止」もしないのです。教習所で習った運転のイロハは、完全に忘却の彼方です。
 斯くいう私も、最近まで名古屋走りをしておりました。慣れてくれば、名古屋走りで事故など起きないという、根拠のない自信がありました。「他人の振り見て我が振り直せ」でなく「他人の振り見て我も続け」でした。交差点内で渋滞の列に並んでいると、停止線で止まらなかったのは自分の責任ではないと思ってしまいます。不可抗力を原因にしてしまうのです。もちろん、信号無視をしたという自覚はありません。むしろ信号を守って交差点に進入して不可抗力の状況だから許されると思っているのです。運転の先を読むという安全運転の責任を放棄していることに気が付いていないのです。まったく勝手なものです。運転が「へたくそ」なのです。反省です。自己嫌悪です。しかし名古屋走りを実行している運転手は、自分は運転がうまいと思っているはずです。信号待ちを儲けたと快感を感じています。渋滞の列にまぎれて交差点を走り抜けたり矢印で右折したり、停止線で眺めていると、それは見事なものです。それが無謀運転だと気が付いていません。そして愛知県では事故は起きるべくして起きていました。文句なしのワーストワンです。愛知県の話なのですが「名古屋走り」という名前が付いています。
 先日は右折矢印交差点で、先頭車両の女性ドライバーが手鏡でテキパキ化粧する姿を見ました。周囲の歩行者、自転車、対向車、その他を確認する事が全くありません。パッと手鏡をとじて通過していきました。女性でも慣れるとへっちゃらだー。唖然としました。電気カミソリでひげを剃る男性ドライバーは見かけますが、目は前方を向いております。慣れとは怖いものです。
 私は名古屋走りを止めました。いつの日か自分が、確実に事故の原因者になると予想したからです。どんな事故になるかわかりません。人身事故になると覚悟して、事故の確率を少しでも小さくしておく必要があります。歩行者や自転車にやさしい運転上手になりたいものです。心当たりのある方、名古屋走りはやめませんか。
今度も読んでいただき感謝です。ありがとうございました。

スマホで赤ちゃんをあやす姿を見たよ!驚きました。

2013-03-09 11:13:43 | 日記
 今、はやりのスマートフォンは何でもありの「アプリ」だと聞いていた。新聞にも、グズル赤ちゃんをなだめるアプリがあると読んでいた。私の携帯はスマフォではない。
 そんなある日、地下鉄に乗車して立っていると、茶髪の若い母親がベビーカーに一歳くらいの男児をのせて乗車してきた。車内は混雑もしていないが座席は埋まっていた。
 乗って間もなく赤ちゃんはグズリ出そうとした。その姿をチラッと見た母親は、一言も発せずに慣れた手つきでバッグからスマフォを取り出した。すぐに画面が開いて指を滑らしタッチすると、アニメーションの顔がでて動き出した。男児は画面を見るとグズリだした顔が平常にもどり、じっとアニメの動きを見つめている。そして、左手の人差し指をゆっくりと出すではないか。
 画面にタッチすると、アニメの顔は大きくゆがんでおかしな顔に動き出したのだ。男児は動き出すのを知っていて、指でタッチしたのだ。そして、グズルのを止めて少しだけニッコリとした。その間、母親はやっぱり一言も発せずに、ただブランと腕を下げてスマホを見せているだけだった。
 車内や店内で声を出してあやすことが周りの人に迷惑になるからと、こんなアプリが開発されたのだろう。本当に驚いた。目の前で繰り広げられた場面は、私には見たくない未来だった。新聞で読んだ記事は本当だった。こんなアプリが生まれた時から存在する男児は、これからどんな成長をしていくのだろう。
 私も、小学4年生の時に我が家にテレビがやってきた年代の人間だ。目が悪くなる、想像力が欠落する、食卓の会話が無くなる、俗悪番組が多すぎるとか、テレビ普及の批判はいっぱいあった。今や技術開発のスピードは、速すぎるくらいに速い。しかし、人間が成長するスピードは今も昔もそれほど差はない。使いこなす人間の倫理が追い付かずに、先端技術に振り回されすぎていいのだろうか。他人事でない、とても気になる体験だった。