聞いてよ!変だよ!

日常の気がついたこと、感じたことを日記風、エッセー風に書いていきます。

自由には、平等と「博愛」がセットではないでしょうか。

2015-01-16 10:27:23 | 日記
▼民主主義発祥の地フランスのパリで、表現の自由の象徴である新聞社でテロが発生しました。
完全武装のテロリストが計画的に襲撃し、殺人の目的を遂げました。フランス全土だけでなく、民主主義国家すべてで表現の自由への挑戦に、テロ・殺戮という手段は絶対に許さない行動が沸き起こっています。その通りです。
▼この新聞社は、かなり前よりイスラム教に対する風刺漫画を掲載し続けています。世界で起こっているテロが、イスラム原理主義を唱える者たちによることから、イスラム教そのものを風刺しつづけました。イスラム教がアラーもムハンマドも映像を否定している宗教であることを承知の上で、ムハンマドを漫画にして風刺し続けました。イスラム教の指導者だけでなく、世界の宗教指導者がイスラム教とテロリズムは無縁だと示しているにもかかわらず、辱しめつづけました。
▼この新聞社は、テロ後も表現の自由は自由は自由なのだと叫んでいます。本当にそうですか。何でも自由なんてあり得るのですか。ヨーロッパではナチス礼賛の表現は犯罪で、法律で禁じられています。何でも自由なんて、子供じみた馬鹿げた言い分です。対等平等の子供同士が、口げんかをしている姿は誰もが体験し、胸がすっとしたり悔しい気分になることが理解できるでしょう。悔しい気持ちが仕返ししたくなる衝動に駆られることが理解できるでしょう。ただし子供は仕返しにテロ手段は使いません。
▼自由は気楽なものではありません。自由・平等の民主主義は基本的人権で、社会の規範でもあります。自分の表現の自由を主張することは、相手にも表現の自由があることを認めなければなりません。相手は目の前にいるとは限りませんから、時に自分の自由と相手の自由が衝突することがあります。そうなんです。自由と自由は衝突するのです。妥協できない時は、相手の自由が邪魔になり暴力や乗っ取りがしたくなります。そして殺人や国と国の戦争が始まるという歴史を繰り返してきました。
▼フランス革命で、世界の人類は初めて自由・平等を得たと教えられました。しかし、その後のフランスでは自由と自由が衝突し、殺しあうという恐怖政治が始まりました。ナポレオンの独裁政治に逆戻りした歴史があります。その教訓から「博愛」が生まれて、フランスの国旗は自由と平等と博愛を示す三色旗になったと教科書で習いました。
▼過去に、公人に対する報道の自由と個人の自由・プライバシーで、イギリスのダイアナ妃がパパラッチに追い回されて、車で事故死するという事件がありました。その場所もフランス・パリでした。まさに自由と自由の衝突で、車の衝突事故死となってしまいました。自由と民主主義をめぐる象徴的な事故でした。
▼フランス国民の自由をめぐる認識は、民主主義発祥の地にふさわしい高いものです。日本人の私などより次元が異なるほどの差があると思っています。テロリストの卑劣さは許せないと思っています。しかし他方で、表現の自由を盾にしてテロとイスラム教を区別せずに風刺を続けることが許されることなのか、大いに疑問でもあります。
▼風刺の中身を変更すると、テロに屈したことになるのですか。「博愛」の機能は発揮できないのでしょうか。私のブログに賛成できない、衝突する批判があることを承知で書きました。

今日も読んでいただき感謝です。