独り言ですが、、、何か?

人生60年過ぎたのでそこそこ言ってもいいでしょう?

バナナ🍌の思い出

2020-09-23 08:27:00 | 昭和レトロ
私が子供だった昭和の時代、バナナはとても高級品だった。

今頃そんな話をしようものなら、ほとんどの人が(えーっ!うそーっ!)と言いそうだが、本当に本当なのだ。

八百屋の1番上の棚に置かれた台湾バナナの房は、子供の憧れの果物、

今では1房でも¥98とかで売ってる時もあると言うのに、当時の値段で1本が¥80だった。

貧乏な我が家ではまず買わないが、たまに親戚のお祭りに呼ばれた時や、
何かのお祝いの引き出物についてることがあると、食べることができた。

1度遠足に(多分引出物の)バナナを1本持って行ったら、同級生から板チョコ1個と変えて欲しいと懇願され、変えっこした記憶がある。それだけバナナが子供の憧れだった時代。

ソウルオリンピック当時の韓国の人々の生活を描く韓ドラ「応答せよ1988」、

その中で、子供のチンジュに「何が食べたい?」と聞くと必ず「バナナ、、、」と答えてて、

まるで自分の子供時代を見てるようだった。




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カップヌードル

2019-03-07 08:14:28 | 昭和レトロ
朝ドラ「まんぷく」は、遂に即席ラーメンからカップヌードルへ。


若い人にとってカップラーメンはコンビニに行けば当たり前に売ってるものの一つ、なのだろうが、私が初めて「カップヌードル」を見た時は衝撃的だったなぁ、、、

就職して入った会社の寮で、何人かの寮生がカップに入った何かをフォークで食べていた。
田舎出身の私にはそれが何かわからなかったが、何かお洒落な食べ物に見えてしかたなかった。

同部屋の子も田舎出身で知らないと言うので、勇気を出して食べてた人に聞いたら、
それは「カップヌードル」と言うもので、カップの中にお湯を入れて3分待ったら、付属のフォークを使って食べると教えてくれた。

その後の「カップヌードル」は破竹の勢いで誰も当たり前に食べるものになっていった。

当時、関西の人気番組「ヤングーおーおー」の提供が「日清食品、カップヌードル」だったのも大きいと思う。
出演は桂三枝、明石家さんま、笑福亭仁鶴、ザ・パンダ(桂きん枝、桂文珍、月亭八方、林家小染)など

ずーっと後で分かったのは、1972年2月19日から28日にかけて長野県の浅間山荘で起きた連合赤軍の立てこもり事件で、極寒の中警備にあたってた警察官や機動隊員のために用意された「カップヌードル」が、テレビの画面に映し出され、「警察官が食べているあれは何?」と注目を浴びた事で全国的に大ヒットしたと言う。

その時はまだ学生で、事件の事は知ってるが、ずっとテレビを見てた訳じゃないから知らなかったし、それより私の住んでた田舎のスーパーには多分まだなかったと思う。

当初、「カップヌードル」には透明のフォークが付いていて、それで食べるのがお洒落だった。
しかしだいぶ経った頃から、持ち帰らない人が増えて大量にフォークだけ残るようになり、透明なフォークは姿を消した。

当時はフォークでヌードルを食べるのがお洒落と思ってたが、日本人は箸の方が食べやすいよな!




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藁細工の「つぶら」

2019-01-18 00:14:21 | 昭和レトロ
テレビで「猫つぐら」なる物を特集していて、昔の事を思い出した。

「猫つぐら」とは、要は藁で作られた猫のハウス。
私が思い出したのは、猫用ではなく、赤ちゃんを入れる「つぶら」と呼ばれていたものだ。
猫用はドーム型で入口があるのだが、赤ちゃんを入れる「つぶら」は半円形のお椀型になっている。
私の田舎では、「つぶら」の発音は〝 つ〝にアクセントをおく。

農業も今みたいに機械化が進んでなく、家族全員で農作業するのが当たり前だった時代、赤ちゃんは1人家に残された。
少し動けるようになると、それはとても危なく、安全のため「つぶら」に入れ隙間を毛布などで埋めて動けなくしとくのが一般的だった。
藁細工の「つぶら」は重いので赤ちゃんが少々暴れて動いても倒れない。

実は私も多分「つぶら」に入れられていたと思う。
大人になってそんな話になった時、母が「お姉ちゃんは間違いなく入れてたけど、あんたも多分入れてたんじゃないかな?」と話してた。

朝、お乳をやってオシメを替えて「つぶら」に入れたら、お昼になるまで放ったらかしになる。
「お腹すいたーとか、オシメ濡れたーとかで、ギャーギャー泣いてたんじゃない?」と聞いたら
「そりゃ、そうやろね。でも昔はそれが普通やった」と母が懐かしそうに話してた。

調べてみたら今も「つぶら」はあるようで、固定するのではなく、自然派ベットのような使い方をするらしい。

ちなみに「猫つぐら」のお値段は¥30000だそうで、
(猫のハウス¥30000・・・う〜ん・・・)と思ったけちんぼの私でした。

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魚肉ソーセージの思い出

2018-10-14 14:59:39 | 昭和レトロ
夫が魚肉ソーセージ嫌いなので、我が家では滅多に食べないのだが、この間スーパーマーケットで見かけたらなんとなく懐かしくなって6本セットを買ってしまった。

調理しないで、マヨネーズ醤油で食べてたら、昔々の古い記憶が蘇ってきた。

記憶の中の私は多分保育園児ぐらい。
母方の祖母に連れられて温泉に来ている。
部屋は2部屋続きの和室で、自分達の他にもお客さんがいて、どうやら相部屋のようだ。

温泉に入りに行くと、祖母が「ここの水道からサイダーが出るよ」と言う。
飲んでみたら確かにただの水ではない、炭酸水だ。
だが、微炭酸でシュワ〜っとはしてるが甘みがないのでそれ程美味しくは感じられなかった。

食事の時間になると、各自が持参したお米を炊事場で炊いて自分で用意した。
たいがい2、3日から1週間位そんな感じで温泉で過ごしてたので、凝ったおかずなど作れない。
私が1番記憶してるのは魚肉ソーセージのおかずだった。
今の6本セットのよりずっと大きなサイズで、多分お醤油をつけて食べたような気がする。
何日かに分けて食べてたのか、やたら魚肉ソーセージばっかり食べてたような気がする。
でも家で食べるよりずっと美味しかった。

今ではあまりなくなったが、何日か自炊しながら温泉に宿泊する治療目的の湯治。
今みたいに機械化されてない農業で身体を壊したら湯治だった。

魚肉ソーセージが私を60年前に、一気にワープさせてしまった。







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肝油ドロップ1日1個

2018-10-09 09:35:02 | 昭和レトロ
ネットに肝油ドロップの事が載ってた。

きゃ〜!懐かしい、すっかり忘れてたがまだあるんだとちょっとビックリ。

保育園に通ってた頃、肝油の時間になると一列に整列して上を向いて口を開けてると、先生が肝油ドロップを1個づつ缶から小さなトングでつまみ、口の中に落としてくれた。
おやつの少ない時代だったから、栄養補給とは思わずてっきりおやつだと思っていた。
形は、お菓子のジェリービーンズそっくりだったが、カラフルではなくオレンジ色一色だった。


小学生の時は夏休み前に肝油ドロップの注文があった。
それまで食べてた回りが砂糖でコーティングされたジェリービーンズタイプと、コーティングされてないグミタイプと2種類あった。
美味しさでいうとジェリービーンズタイプだが、グミタイプは可愛い動物の容れ物に入っていて、容れ物欲しさにグミタイプを購入したのをよく覚えている。
半分おやつだと思ってたので、1日1個のお約束は当然守っていなかった。
栄養補助食品ではあるが、摂りすぎると害になる食品だったのに・・・

戦後の昭和20年代から40年代初め頃までだろうか?
家庭では十分な栄養が摂れず子供の成長に栄養補助食品が必要な時代だったのは。

ネット検索したら、今も肝油ドロップは販売されてた。
てっきりもう必要なくなったと思ってたのに、今もまだ必要とされていたとは、、、

肝油はタラやサメの肝臓から取り出した油で、食べ過ぎると、ビタミンAやビタミンDの過剰摂取になり、身体に害を及ぼすことになります。










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