櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

やんちゃ者になろうか・・・。:舞踏クラス2/14の報告

2012-02-15 | レッスン・WSノート
舞踏クラス、だった。
ぎゅっと、存分に踊った。集中力が残響した、空気は温かくやさしい感じがした。

クラスの日に向けてさまざま用意をするのだが、西荻ほびっと村学校の稽古場に入って参加される方に向き合うと、なぜか、そのワクに縛られて進行するのでは気が済まなくなる。
すっきり並べられた畳、少なめの光。
すごく落ち着いた場所である。そして静かである。
そこに、生身の人を迎えた瞬間かならず、インスピレーション、というのか、トンと降りてくる言葉なりイメージなりがあって、「これで、いきましょう」となる。そして、佇まいや、動きから、ある種のライブセッションのように稽古の時間が流れてゆく。
いやあ、忙しかった~。もう梅の花、見ちゃいましたよ。病み上がりでね~、etc,etc・・・。
ちょっとした言葉が重なり、温度をつくる、気配をつくる。その段階で、その日の踊りはコレだ、と感じる。
顔を合わせば、もう、始まっている。
人と人が出会う場である。ましてや、体温や息から生まれてくる「舞踏」のクラスである。当たり前のことかもしれない。

前半のスローワーク/基本練習は、からだをころがす、という事から始まった。
呼吸を聴き、鼓動を聴き、身体の感知できるところあらゆるところを感知しようとする。
少し少しもっと少し、動いては感じ確かめまた動き、感覚を可能な限り身体に向けてゆく。
そこにあるカラダを見つめながら、沈黙を用意したり、音を投げたりする。そこに言葉を架けてゆくこともある。
今日は言葉を架けた。
動きについて、生命の木について、植物について、動物について、生命連鎖について、光合成について、食とセックスについて。
ゲーテの形態学や三木成夫の健康論を参考にした。言葉は、栄養素である。
ひとりひとりが、自らのからだに向き合い、感性の世界を開いてゆくには、ゆっくりとした手続きが必要だ。

息を抜く。非日常。
仕事から家庭から離れて「一個のからだ」にシフトしてゆく。

後半は即興に入る、暖まったカラダは、教わるモードから遊びモードへと変化する。
戯れを演じるのでなく、ほんとうに戯れることが出来たならば、その人の変化は始まる。
踊りの場では、前進するよりも退行するほうが良いときがある。ばかになれ。とは、よく言ったものだと思う。
少年少女赤ちゃんまで、あえて退行してほしい。だれもがその経験を内面に携えている。大人が本気でバカになろうとする時は素敵だ。鎧がパカッとはずれて、やんちゃな少年やコケティッシュな少女が光にさらされる。
もっと踊りたかった。そう言われると、うれしい。

踊りは行儀作法ではない。稽古は、いろんな失敗をこそ楽しんで良い時間である。
デタラメ、やんちゃ、マイペース、不器用、そこに核心がある。
こんなにゆっくり動いたことがなかった。という人がいる。
こんなメチャクチャに動いたのはガキの頃以来だね。という人がいる。
そう、まずは極端で行きたい生きたい。
踊りや歌は、本当は、ただ楽しみ、それなんだから。

ほびっと村学校「舞踏クラス」次回は2/28の開講。楽しみです!
※このクラスは4月からは19;00~21:00になります。
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