オイリュトミークラスは、言葉の舞と音楽の舞をかわるがわる練習してゆくクラス。
きょうは音楽の舞のレッスン(トーンユープ)だった。
ドビュッシーの音楽(月の光)を踊っている。
あらゆる音楽は光と闇やカオスと調和のリズムを開示してゆくが、とりわけ、この作曲家の音は、めくるめく色彩の変化が心の中にひらかれてゆくこと顕著と感じる。
聴覚による美術と言っても良いのかしら。
そんなことも踏まえて、ドビュッシーの稽古では美術への造詣も深めてゆきたく、きょうは、ターナー、そしてフリードリヒの絵画作品を観てもらいながら、オイリュトミーと美術のかかわり、内面世界の表出について、美術に対するシュタイナーの視点を紹介。そして稽古へと進んだ。
この作曲家の音をカラダに入れながら絵や彫刻や建築や、いいえ、もっと言えば自然の美にさえ繋がってゆければ・・・。(肉体の稽古に並行して、どんな世界に興味をひろげてゆくか。それが、踊る人の心の基盤をつくってゆくのではないでしょうか。一つの価値観に囚われない魂があってこそ、カラダは冴えてゆく感じがしてならないし・・・)
・・・・・・・・・・・・
床に横たえた体に音を響かせ、「立つ衝動」におきかえるトレーニング。
リズムをカラダのフォームに反映する練習。
ピアノ演奏とのセッションによる振付、踊りを覚えるコツ・・・。
2時間のなかで、ゆるやかに、しかし確実に高まってゆく集中。
紆余曲折、汗、熱の高まり、一体感。
すこしづつ、今回の舞がカタチをあらわにしてゆく。
感じながら、体験しながら、日進月歩の稽古が実を結んでゆく予感。
たとえば、静かな水面が風によって波となり、その波がやがて水辺の地形を変化させてゆくように、
言葉や音楽のサウンドは、僕らの内面に波を起こし、魂が変化する力を与えてくれる。
魂の変化は、やがて、肉体を通して、その人の生き様を革命してゆく力となる。
そんな、内面世界のドラマを踊るのが、オイリュトミーだ。
一瞬一瞬、それぞれのメンバーが自らの魂と向き合っている姿は真摯。
稽古の度、生気鮮やかとなってゆくメンバーのひとりひとりが、ほんとうに素敵。
一緒に踊れていることに感謝しています。
きょうもホントに、おつかれさまでした!
きょうは音楽の舞のレッスン(トーンユープ)だった。
ドビュッシーの音楽(月の光)を踊っている。
あらゆる音楽は光と闇やカオスと調和のリズムを開示してゆくが、とりわけ、この作曲家の音は、めくるめく色彩の変化が心の中にひらかれてゆくこと顕著と感じる。
聴覚による美術と言っても良いのかしら。
そんなことも踏まえて、ドビュッシーの稽古では美術への造詣も深めてゆきたく、きょうは、ターナー、そしてフリードリヒの絵画作品を観てもらいながら、オイリュトミーと美術のかかわり、内面世界の表出について、美術に対するシュタイナーの視点を紹介。そして稽古へと進んだ。
この作曲家の音をカラダに入れながら絵や彫刻や建築や、いいえ、もっと言えば自然の美にさえ繋がってゆければ・・・。(肉体の稽古に並行して、どんな世界に興味をひろげてゆくか。それが、踊る人の心の基盤をつくってゆくのではないでしょうか。一つの価値観に囚われない魂があってこそ、カラダは冴えてゆく感じがしてならないし・・・)
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床に横たえた体に音を響かせ、「立つ衝動」におきかえるトレーニング。
リズムをカラダのフォームに反映する練習。
ピアノ演奏とのセッションによる振付、踊りを覚えるコツ・・・。
2時間のなかで、ゆるやかに、しかし確実に高まってゆく集中。
紆余曲折、汗、熱の高まり、一体感。
すこしづつ、今回の舞がカタチをあらわにしてゆく。
感じながら、体験しながら、日進月歩の稽古が実を結んでゆく予感。
たとえば、静かな水面が風によって波となり、その波がやがて水辺の地形を変化させてゆくように、
言葉や音楽のサウンドは、僕らの内面に波を起こし、魂が変化する力を与えてくれる。
魂の変化は、やがて、肉体を通して、その人の生き様を革命してゆく力となる。
そんな、内面世界のドラマを踊るのが、オイリュトミーだ。
一瞬一瞬、それぞれのメンバーが自らの魂と向き合っている姿は真摯。
稽古の度、生気鮮やかとなってゆくメンバーのひとりひとりが、ほんとうに素敵。
一緒に踊れていることに感謝しています。
きょうもホントに、おつかれさまでした!