CTNRXの日日是好日

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

♯04−A 不思議記 ー 創世記 ー

2024-05-09 12:00:00 | 自由研究

 ■創世記

 創世記』(そうせいき)

 古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教、キリスト教の聖典とされ、キリスト教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書かつ、正典の一つとして扱われている。写本が現存しており、モーセが著述したとされている。
 いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている。

 創世記』はヘブライ語では冒頭の言葉を取ってבראשית‎(ベレシート)と呼ばれており、これは「はじめに」を意味する。
 また、ギリシア語の七十人訳では、2章4節からとって「γένεσις(ゲネシス)」と呼ばれており。「起源、誕生、創生、原因、開始、始まり、根源」の意である。

 主な内容

 内容は、「天地創造と原初の人類」、「イスラエルの太祖たち」、「ヨセフ物語」の大きく3つに分けることができる。

 1) 天地創造と原初の人類 天地創造 1章
  アダムとエバ、失楽園 2章・3章
  カインとアベル 4章
  ノアの方舟 5章・11章
  バベルの塔 11章

 2) 太祖たちの物語 アブラハムの生涯 12章・25章
  ソドムとゴモラの滅亡 18章・19章
  イサクをささげようとするアブラハム 22章
  イサクの生涯 26章・27章
  イスラエルと呼ばれたヤコブの生涯 27章・36章

 3) ヨセフの物語

  夢見るヨセフ 37章・38章
  エジプトでのヨセフ 38章・41章
  ヨセフと兄弟たち 42章・45章
  その後のヨセフ 46章・50章

 ユダヤ人の歴史の物語は、聖書で『創世記』の次に置かれている『出エジプト記』へ続いていく。

 ▼知恵の樹

 知恵の樹(ちえのき)
 旧約聖書の『創世記』(2章9節以降)に登場する木。善悪の知識の木とも呼ばれる。

 《概要

 エデンの園の中央部にあった2本の木のうちの一つ。もう一つは生命の樹。知恵の樹の実を食べると、神と等しき善悪の知識を得るとされる。
 知恵の樹の実はいかにも美味しそうで目を引き付けるとされる。
 『創世記』によれば、人間はエデンの園に生る全ての樹の実は食べても良いが、知恵(善悪の知識)の樹の実だけは、ヤハウェ・エロヒム(エールの複数形)により食べることを禁じられていた(禁断の果実)。
 なぜなら知恵の樹の実を食べると必ず死ぬからである。
 しかし人間を神に背かせようとする蛇に唆されて、初めにイヴが、その次にイヴの勧めでアダムが知恵の樹の実を食べたことによって、善悪の知識を得たアダムとイヴは、裸の姿を恥ずかしいと思うようになり、イチジクの葉で陰部を隠した。
 それにより神は事の次第を知り、知恵の樹の実を食べた人間が生命の樹の実までも食べ永遠に生きるおそれがあることから、アダムとイヴはエデンの園を追放される。
 この出来事を「失楽園」という。キリスト教ではこの出来事は神に対する不服従の罪であり原罪とされるが、ユダヤ教には「原罪」というものは存在しない。
 またこの一連の逸話は、別にあそこに植わっていたものは知恵の樹でも何でもなくただの木だが、神がアダム(ヘブライ語で「人間」の意味)に 「あそこの真ん中の木の実だけは食べるな。触れてもいけない。
 それを破ったらお前たちは死ぬぞ」という趣旨の内容を言い、人間が神の言葉に従うかどうかを試した。という物語が元となっているとされる。
 その後、蛇が 「あの木の実を神様が食べさせないのはあれを食べたら神様と同じような高位の力が得られるからに違いない。
 きっと、あれを食べたら神様みたいに永遠に生き続けられるし、神様と同じように賢くなれるかもしれない」という趣旨の内容をイブに言い騙し、実を食べさせた。
 それによりこの木は「善と悪」を人間が知るきっかけとなり、知恵の樹と呼ばれるようになった。
 というのがこの物語の結末である。

 ▼リンゴかバナナかイチジクか

 この知恵の樹の実は俗説ではリンゴのことであるとされるが、旧約聖書にそうした記述は無い。 一説には、リンゴとする解釈は2世紀に聖書をギリシャ語に翻訳したアクィラ・ポンティカスに由来するとされる。彼は「りんごの木の下で、わたしはあなたは呼び覚ました。あなたの母親は、かしこで、あなたのために産みの苦しみをなし」という雅歌の「産みの苦しみをなし」の部分を「堕落した」と誤訳した。この為、りんご→堕落→知恵の樹の実という連想が生まれ、知恵の樹の実はりんごであると解釈されるようになった、とされる。 別の説では、聖書をラテン語に翻訳した際に誤訳されたとする。禁断の果実を指すラテン語の「malus」には二つの意味があり、形容詞として使われる場合では、「邪悪な」を意味し、名詞では「リンゴ」である。禁断の木の実をリンゴとする説は、「邪悪な木の実」と「リンゴ」を混同している、とされる。

    〔ウィキペディアより引用〕



♯03 不思議記 ー バビルの塔 ー

2024-05-09 06:00:00 | 自由研究

 ■バビルの塔

 バビルの塔(バベルのとう、ヘブライ語: מִּגְדָּ֑ל בָּבֶ֔ל‎、ラテン文字:Migdal Babel)

 旧約聖書の「創世記」中に登場する巨大な塔。神話とする説が支配的だが、一部の研究者は紀元前6世紀のバビロンのマルドゥク神殿に築かれたエ・テメン・アン・キのジッグラト(聖塔)の遺跡と関連づけた説を提唱する。


 天にも届く神の領域まで手を伸ばす塔を建設しようとして、崩れてしまった(神に壊された)という故事にちなんで、空想的で実現不可能な計画の比喩としても用いられる。

 語源

 正確には「バベルの塔」という表現は聖書には現れず、「街とその塔(the city and its tower)」もしくは単に「街(the city)」と表される。バベル(𒁀𒀊𒅋𒌋)とはアッカド語では「神の門」を表す。
 一方聖書によると、ヘブライ語の「balal(ごちゃ混ぜ、混乱)」から来ているとされる。

 聖書の記述

 ギュスターヴ・ドレ『言語の混乱』 バベルの塔の物語は旧約聖書の「創世記」11章にあらわれる。
 そこで語られるのは下記のような記述である。
 位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。

   _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。
 東の方から移動した人々は、シンアルの地の平原に至り、そこに住みついた。
 そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。
 そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。
 この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。
 それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。
 主はそこから全ての地に人を散らされたので、彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。
 主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。 

       「創世記」11章1-9節

   _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 偽典の「ヨベル書」によれば、神はノアの息子たちに世界の各地を与え、そこに住むよう命じていた。
 しかし人々は、これら新技術を用いて天まで届く塔をつくり、シェム[6]を高く上げ、人間が各地に散るのを免れようと考えた。
 神は降臨してこの塔を見「人間は言葉が同じなため、このようなことを始めた。人々の言語を乱し、通じない違う言葉を話させるようにしよう」と言った。
 このため、人間たちは混乱し、塔の建設をやめ、世界各地へ散らばっていった。

   _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
 
 第三十三ヨベルの第二年週の第一年にペレグは妻を迎えたが、その名はロムナと言い、シナルの娘であった。
 彼女はその年週の第四年に彼に男児を産み、彼はその名をリウと呼んだ。
 彼は言ったものである。「見よ、人の子らはシナルの地に自分たちの都市と塔を建てようというそのふとどきなはかりごとのゆえに邪悪になった。」
 彼らはアララテの地を去って東のほうシナルへ移った。彼の時代に彼らは「これをつたって天にのぼろう』と言って塔のある都市を建てた。
 こうして彼らは建築にかかった。四年週目に火でれんがを焼き、れんがが石(の代用)となり、塗り固めるための漆喰は海とシナルの地の水の泉から産するアスファルトであった。
 彼らはそれ(都市)を建てた。四三年間かかって建てた。
 その間口はれんがが二〇三個ならび、れんがの高さはひとつの三分の一あり、その高さは五四三三キュビトと手のひら二つと一三スタディアに達した。
 われわれの神、主はわれわれに言われた。「見よ、ひとつの民。彼らがいったんことをおこしたからには彼らに不可能ということは(ひとつとして)ない。
 さて、おりて行って彼らの言語をかき乱し、たがいに話が通じないようにしてやるか。
 また各地の都市や民族の間に散らばらせてさばきの日まで意図の一致をみることのないようにしてやろう。」そこで主はおりられたが、われわれも、人の子らが建てた都市と塔を見るためにいっしょにおりて行った。
 彼が彼らの言語をなにもかもかき乱されたので、彼らは互いに話が通じなくなり、都市と塔の建築を中止した。このゆえに、神がここで人の子らのすべての言語をかき乱されたところから、シナルの全土はバベルと名づけられた。
 またそこから彼らはおのおのその言語、民族にしたがって彼らのすべての都市に分散していった。
 主はその塔に向けて大風を送って、これを地面に転覆せしめられた。見よ、その塔はシナルの地、アッシリアとバビロンの中間にあった。
 人々はその名を崩壊と呼んだ。

       ヨベル書10章18-26節

   _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 解釈

 バベルの塔の物語は、「人類が塔をつくり神に挑戦しようとしたので、神は塔を崩した」という解釈が一般に流布している。
 しかし『創世記』は、塔を建てるのをやめたとしている。
 ただし、以下のような文献にはこの解釈に沿った記述がある。
 フラウィウス・ヨセフスは『ユダヤ古代誌』にて、バベルの塔の物語を、人々が大洪水を引き起こした神への復讐のために塔を建て、また神は洪水が人々に知恵を授ける役には立たないと考え、再び引き起こすようなことはしなかったと解釈している。

 関連項目 ー 禁断の果実 ー

 禁断の果実(Forbidden fruit)

 それを手にすることができないこと、手にすべきではないこと、あるいは欲しいと思っても手にすることは禁じられていることを知ることにより、かえって魅力が増し、欲望の対象になるもののことをいう。


 メタファーとしての「禁断の果実」という語句は、旧約聖書の『創世記』をもとにしている。
 創世記では、禁断の果実とは、善悪の知識の木の果実を指す。
 アダムとイヴはエデンの園にある果樹のうち、この樹の実だけは食べることを禁じられるが、イヴはヘビにそそのかされてこの実を食べ、アダムにも分け与える(イブが先と書くのは旧約聖書においてであり、イスラム教のクルアーンにおいてはどちらが先に口にしたかは書かれていない)。
 この果実を口にした結果、アダムとイブの無垢は失われ、裸を恥ずかしいと感じるようになり局部をイチジクの葉で隠すようになる。
 これを知った神は、アダムとイブを楽園から追放した。
 彼らは死すべき定めを負って、生きるには厳しすぎる環境の中で苦役をしなければならなくなる。
 
 「禁断の果実」という語は、不法・不道徳・不義の快楽や耽溺を表すメタファーとして使われる。

 メタファーとは
 (metaphor/メタフォル⸩
 ある名辞の元の概念から、よく似てはいるが別の概念に変えて、その名辞を使う比喩的表現。隠喩。

 特に、人間の性に関連する快楽に関連付けられる。
 リンゴを性や原罪のメタファーとする解釈もあるが、創世記でイブとアダムを神が創造する場面(1章28節)で彼らに対して最初に「産め、増やせ、」とよびかけていること、男から女を作った際の言葉(2章24節)では「これによって男は父母から離れて妻と結ばれ一体になる」と述べていることから、最初から性や親子関係が想定されていたとして批判する意見もある。

   〔ウィキペディアより引用〕



♯02 不思議記 ー マチュ・ピチュ ー

2024-05-07 12:00:00 | 自由研究

 ■マチュ・ピチュ

 マチュ・ピチュ
(スペイン語:Machu Picchu、ケチュア語:Machu Pikchu)
 15世紀のインカ帝国の遺跡で、アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷に沿った山の尾根(標高2,430m)にある。


 当時、インカ帝国の首都は、標高3,400mに位置するクスコに所在した。
 標高2,430mのマチュ・ピチュから、さらに約1,000メートル高い場所にあった。現在のクスコはペルー有数の都市で、1983年より、その市街地は世界遺産(文化遺産)に登録されている。
 なお、インカ帝国は1533年にスペイン人による征服により滅亡した。アンデス文明は文字を持たないため、マチュ・ピチュの遺跡が何のために作られたのか、首都クスコとの関係・役割分担などの理由はまだ明確には分かっていない。

 《概要

 多くの言語で「Machu Picchu」と呼ばれるこの遺跡名は、「老いた峰(Old Peak)」を意味するケチュア語「machu pikchu」を地名化したものの転写である。
 山裾からは遺跡の存在は確認できないことから、しばしば「空中都市」「空中の楼閣」「インカの失われた都市」などと雅称される。一方、遺跡の背後に見える尖った山はワイナ・ピチュ(Huayna Picchu、若い峰)で、標高2720m。山頂には神官の住居跡とみられる遺跡があり、山腹にはマチュ・ピチュの太陽の神殿に対する月の神殿が存在する。
 この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。遺跡の面積は約13km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。 熱帯山岳樹林帯の中央にあり、植物は多様性に富んでいる。南緯13度で、10月から翌年4月までの長い雨季と5月から9月までの短い乾季に分かれる。
 行政上クスコ県に属しており、クスコの北西約70kmに位置する。2015年の第39回世界遺産委員会終了時点でペルー国内に12件あるユネスコの世界遺産のうちでは、クスコとともに最初(1983年)に登録された。 
 周辺地域はアンデス文明が発達していたが文字を持たないため、未だに解明されていない多くの謎はを持つ。2007年7月、新・世界七不思議の1つに選ばれた。



 ▼ハイラム・ビンガム3世の
         遺跡調査記録
 
 アメリカの探検家ハイラム・ビンガム3世は、1911年7月24日にこの地域の古いインカ時代の道路を探検していた時、山の上に遺跡を調査して世界に発表した。 ビンガムは1915年までに3回の発掘を行った。彼はマチュ・ピチュについて一連の書籍や論文を発表し、最も有名な解説「失われたインカの都市」がベスト・セラーになった。
 この本は『ナショナル・ジオグラフィック』1913年4月号ですべてをマチュ・ピチュ特集にしたことで有名になった。また1930年の著書『マチュ・ピチュ:インカの要塞』は廃墟の写真と地図が記載され説得力のある決定的な論文となった。
 以後、太陽を崇める神官たちが統治したとか、あるいは太陽に処女たちが生贄にされたといった定説が形成された。 マチュ・ピチュとはビンガムがその名前で世界に紹介しただけで、間違えて広まってしまったという説がある。ビンガムが地元民に遺跡の名前を尋ねたところ、地元民は今立っている山の名前を聞かれたと思ってマチュ・ピチュと答えたことで遺跡の名前がマチュ・ピチュであると間違って伝わった、という説である。
 クスコの農場主アグスティン・リサラガが、ビンガムより9年早い1902年7月14日に遺跡の存在を確認しており、ビンガムがまだペルーに到着していなかった1904年の地図帳には、ワイナピチュという地名でインカの遺跡があることがすでに記載されていた。1912年にビンガムが地元の地主の関係者から遺跡がワイナピチュと呼ばれていることを伝えられていたという話もある。
 16世紀後半の古文書にワイナピチュと呼んでいた遺跡を地元の先住民が再開発しようとしていたという記録も残っている。ビンガムは、発見者ではなく、既に地元では存在が知られていた遺跡を確認して、最初に学術調査をしただけである。
    _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
 
 この都市は通常の都市ではなく、インカの王族や貴族のための避暑地としての冬の都(離宮)や、田舎の別荘といった種類のものであった。 遺跡には大きな宮殿や寺院が王宮の周囲にあり、そこでの生活を支える職員の住居もある。
 マチュ・ピチュには最大でも一時に約750名の住民しかいなかったと推定され、雨季や王族が不在の時の住民は、ほんの一握りであったと推定されている。 この都市はインカの王パチャクティ(Pachacuti)の時代の1440年頃に建設が着手され、1533年にスペイン人により征服されるまでの約80年間、人々の生活が続いていた。

 ペルーの考古学者アルフレド・バレンシア・セガーラ (Dr. Alfredo Valencia Zegarra)とコロンビアの水利技術者ケネス・ライト(Kenneth Wright)による調査では、この都市の建設に要した努力の60%は急傾斜の城壁の見えない土台などの部分に傾注されており、降雨量の多いこの地で、積み上げられた石積みが500年もの間崩れないのは、農耕のためだけに斜面を整地したのではなかった。渓谷から細かい砂と表土を運び上げ、現在見える石積みの下に、うね状に盛り上げた表層を造ったとしている。

 ▼をまつる神殿としての役割

 なぜこのような急峻な山の上に造ったかという質問に対して、ラファイエット単科大学のナイルズ(Dr.Niles of Lafayette College)は、「パチャクチがこの場所を選んだのは……圧倒する景色としか答えようがありません」と言う。
 イェール大学の近年の研究成果では、高地であり、かつ両側が切り立った崖上になっているため、太陽観測に最も適し、かつ宗教的理念として、太陽に近いところである、という点が場所選定の理由として挙げられている。 急斜面に位置したマチュピチュの頂上には、太陽の神殿があり、頂上にはインティワタナ(Intihuatana、太陽をつなぎ止める石)が設置されている。夏至と冬至が正確に分かる窓があるなど、太陽を使った暦を観測、作成したとも言われている。 インカの神は日本やエジプトと同じく太陽神であるため、太陽により近い山の頂(いただき)は儀礼場として適当だった。 神殿の畑など耕作地で栽培された農作物は神への供物として栽培されていたか、神が人間に下賜されたものとして人々に食べられたか、いずれにしても宗教儀礼的意味が色濃く反映されている。そのようないきさつから、現在、マチュピチュは宗教都市として捉えられている。 なおインカの人々にとっての神は、太陽とともに月も挙げられ、多くの遺跡には太陽神殿と月の神殿が対で祭られている。
 マチュ・ピチュの太陽神殿に対しては、ワイナ・ピチュ(「若い峰」という意味で、マチュ・ピチュの背後にある尖った山)の裏手に、月の神殿が洞窟に作られている。 マチュピチュ遺跡内にはインカのシンボルでもあるコンドルの神殿がありワイナ・ピチュ側からマチュピチュ遺跡を見下ろすとコンドルの形に見える。

 ▼インカ帝国



 インカ帝国
(インカていこく、スペイン語:Imperio Inca、ケチュア語:タワンティン・スウユ(Tawantinsuyo, Tahuantinsuyo))  
 南アメリカのペルー、ボリビア(チチカカ湖周辺)、エクアドルを中心にケチュア族が築いた帝国。
 文字を持たない社会・文明であった。首都はクスコ。
 世界遺産である15世紀のインカ帝国の遺跡「マチュ・ピチュ」から、さらに千メートル程高い3,400mの標高にクスコがある。
 1983年12月9日、クスコの市街地は世界遺産となった。 前身となるクスコ王国は13世紀に成立し、1438年のパチャクテク即位による国家としての再編を経て、1533年にスペイン人のコンキスタドールに滅ぼされるまで約200年間続いた。最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ、現在のチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまで広がっていたことが遺跡および遺留品から判明している。



 

♯01 不思議記 ー 世界七不思議 ー

2024-05-07 07:00:00 | 自由研究

 ■世界七不思議
(せかいのななふしぎ)

 7つの建造物のことである。
 現在、一般的には、古代世界の七不思議として伝承されてきた。

・ギザの大ピラミッド
・バビロンの空中庭園
・エフェソスのアルテミス神殿
・オリンピアのゼウス像
・ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
・ロドス島の巨像
・アレクサンドリアの大灯台
 この7つを指す。


 ▼「不思議」の由来

  ビザンチウムのフィロンの書にいう「θαύματα」(Theamata) とは、ギリシア語で「眺めるべきもの」といった意味である。これが、ラテン語の「Septem Miracula」(驚異、奇跡)を経て、英語の「Seven Wonders of the World」となった。英訳の「wonder(s)」は、「驚かせるもの」「賞賛すべきもの」(something that fills with surprise and admiration)という意味であると説明される。
 なお、神秘主義者の中には、これら建造物が超文明によって建設されたかのように考えるケースもあり、オカルト関係の書籍においても、後世の迷信を含む説明が掲載されている(オーパーツ)。

 しかし、こういった巨大建造物の建設が、多くの場合においては国家事業として、現代では想像し難いほどに長い期間を掛けて成されていた面もあり、また文明は一様に進歩している訳でもなく情報の散逸や技術の遺失といった問題を含んでいて、後世の者がその建築技術の高さに驚嘆したとしても、必ずしも超古代文明の存在の証明にはならない。
 日本語で「世界の七不思議」などと誤訳された呼び名が定着してしまったために、現代ではオカルトブームなどと結びついて、「当時の土木技術のレベルを超越している」、「物理的に可能とは思えない」といった意味で解釈されることがある。それがゆえに、七不思議の実像が誤解されることもある(「空中」庭園など)。

 ▼古典古代の七不思議
 
 ギザの大ピラミッド
 バビロンの空中庭園
 エフェソスのアルテミス神殿
 オリンピアのゼウス像
 ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
 ロドス島の巨像
 アレクサンドリアの大灯台

 この内「アレクサンドリアの大灯台」は、実際にはフィロンの選んだ7つには含まれていない。
 これは、フィロンが自分の国の不思議は入れないことに決めていたためで、フィロンが選んだのは「バビロンの城壁」であった。
 バビロンの空中庭園とバビロンの城壁が誤って同一視された結果、「アレクサンドリアの大灯台」が導入されたとされる。
 現存する2番目に古いリストであるシドンのアンティパトロスの記述では、当時既に損壊が進んでいたと見られるバビロンの城壁が除かれ、新しく建設された大灯台が選ばれている。
 これらのほとんどは地震や破壊などで消滅してしまい、「ギザの大ピラミッド」のみが現存する唯一の建物になっている。また、「マウソロス霊廟」や「エフェソスのアルテミス神殿」のように遺構や遺跡がわずかに残っている例もあれば、「バビロンの空中庭園」や「ロドス島の巨像」のように完全に破壊されて痕跡も残っていない例もある。
 この他、ローマの大プリニウス(ピラミッドやスフィンクス、アレクサンドリアの大灯台、エフェソスのアルテミス神殿、エジプト・クレタ島・リムノス島などの迷宮、キュジコスの神殿や競技場、テーベ、パクス神殿や競技場・劇場・水道橋などのローマの建築物)など、さまざまな学者・歴史家・詩人が七不思議を選定している。

 ▼中世の七不思議

 時代の変遷とともに、ヨーロッパ人の地理的知識が広がり、七不思議として世界中の建造物が選ばれるようになった。 
 選者・年代ともに不明(14世紀以降と見られる)ながら、次の7つが一般に挙げられる。
 
・ローマのコロッセウム
・アレクサンドリアのカタコンベ
・万里の長城
・ストーンヘンジ
・ピサの斜塔
・南京の大報恩寺瑠璃塔(陶塔)
・イスタンブールの聖ソフィア大聖堂
  南京の陶塔以外は現存する。

 現代の七不思議

 現代においても、さまざまな「七不思議」が選定されている。スイスの「新世界七不思議財団」は、2007年7月7日に新・世界七不思議を決定しようと世界中からの投票を呼びかけていた。
 最終候補として挙げられた21の候補地から次の7つが選ばれ、ポルトガルの首都リスボンで開かれた式典で発表された。


 また現代版の七不思議は、新・世界七不思議と同じである。中世版とは万里の長城、コロッセウムが重なっている。大ピラミッドは、現存する唯一の世界七不思議である。 2007年の新・世界七不思議選出の際、ギザの大ピラミッドは名誉称号を獲得している。

・中国の万里の長城

・インドの廟堂タージ・マハル

・ローマの古代競技場コロッセオ

・ヨルダンの古代都市遺跡群ペトラ

・ブラジル・リオ・デ・ジャネイロのコルコバードのキリスト像

・ペルーのインカ帝国遺跡マチュ・ピチュ

・メキシコのマヤ遺跡チチェン・イッツァ

・ギーザのピラミッド(名誉候補)

 ▼世界の自然七不思議

 世界の自然七不思議(あるいは世界の七大自然の驚異)についても他と同様に意見の一致はみていない。現在存在する多くの一覧のうちの一つはCNNによってまとめられたものである。

・グランド・キャニオン
・グレート・バリア・リーフ
・リオデジャネイロの港
・エベレスト
・オーロラ
・パリクティン火山
・ヴィクトリアの滝

 ▼世界の都市七不思議

 スイスの映画監督・探検家のバーナード・ウェーバーにより、2011年のアンケートにより200か国、1200都市の中から7都市に決定した。

・ベイルート(レバノン)
・ドーハ(カタール)
・ダーバン(南アフリカ共和国)
・ハバナ(キューバ)
・クアラルンプール(マレーシア)
・ラパス(ボリビア)
・ビガン(フィリピン)

   〔ウィキペディアより引用〕



research notes ♯02頁 大人の事情 ③

2023-11-10 21:00:00 | 自由研究

 ■大人の事情(都合) ③

 大人の都合や気分で
    子どもに接する「親の末路」
  どんなときも「一貫した態度」
    でいることが大切。

 ▼ムードに流されるお母さんたち
 4歳のミホちゃんという女の子がいました。

 3時のおやつに大好きな『ぷっちょ』を1個食べたのですが、もっとほしいとお母さんに要求しています。
「さっきあげたでしょう」と言っても、「ちょうだい!」と言って聞きません。
「ちょうだい!」「ダメよ!」。
 何度かそんなやりとりが続いたのですが、子どもも負けていません。
 そしてこんな言葉を口にしました。 「キーーー、言うよ‼」 金切り声を上げるよ、と言っているのです。
 自分が「キーーー‼」と騒げば、お母さんは言うことを聞いてくれる、思いのままにできるという経験をしてきています。
 「このお母さん、どうするのかな」と思いつつ見ていたら、「もう……、しょうがないわね、あと1個だけよ」。
 そう言ってぷっちょをあげてしまいました。
 このお母さんは、ミホちゃんの「キーーー‼」が苦手でした。
 とくに外でこの声をだされると、「あの母親は子どものしつけがちゃんとできてない」と思われるのが嫌で、面倒だから、つい言うことを聞いてしまうのだと言います。
 その様子を見て、私は言いました。

 「情けないね、お母さん」

 ところが、別の日はちがいました。
 ミホちゃんがぐずって泣いています。
 お母さんを見ると、いかにも不機嫌そうで、まとわりつくミホちゃんを無視しています。
 そして、「オモチャをとって」と言うミホちゃんに、「うるさい!」と大声をだし、頭をバシッと叩きました。
 びっくりしたミホちゃんは、「ギャーー‼」と大泣きし、最後はとうとう「キーーー‼」と金切り声を上げました。
 同じお母さんなのに、日によって子どもに対する態度がぜんぜんちがいます。
 このように、その日の感情や気分、そのときの都合や事情によって態度がまったく変わってしまうお母さんがじつはたくさんいます。
 私流の言い方をすれば、〝ムードに流されている〟のです。
 今の日本の親のほとんどが、このようなムードに流される親です。

 ▼世間に漂う風潮を疑ってみたことがありますか

 たとえば、本の読み聞かせや勉強など、教育熱心なお母さんがいます。
 しかし、いつもそうなのかといえばちがいます。
 自分が遊びたいときは、子どもの勉強などほったらかして、子ども連れで遊びにでかけます。
 でも、ふと雑誌やテレビ番組で教育に関する話題を目にしたら、「ちゃんと勉強させなくては」という気持ちが呼び起こされ、また教育熱心な親に変貌します。
  子どもに100パーセントで向き合うのは、エネルギーがいります。
 自分が元気で、機嫌もよく、余力のあるときは、子どもにやっていいことと駄目なことをきちんと言い聞かせることができます。

 そもそもそれができないお母さんもたくさんいますが、子どもに向き合おうとする人もいるにはいます。
 しかし、疲れていたり、ほかのことに気をとられて頭がいっぱいのときは、とたんに子どもに向き合うのが面倒になり、適当にあしらったり、自分がラクなほうへ流れてしまうのです。
 このように、いつも大人の都合や気分が、行動、判断の基準になってしまっている親が多いのは、じつに嘆かわしいことです。

 ▼子どもの行動を否定しなければいけない局面もある

 そして、私が言うムードとは、親の気分や感情だけではありません。
 世間に漂う風潮や論調も含みます。
 「ストレスになることは避けたほうがいい」
 「子どもの主張はつねに信じてやるべきだ」
 「子どもをぜったいに否定してはいけない」
 こうしたまちがった考えを信じている親がたくさんいます。
 テレビにでているコメンテーターや雑誌などの情報を聞きかじり、真に受けているのです。
 そういう情報に触れるたびに、子どもの行動を否定してあげなければいけない局面なのに、「否定しちゃうと、ストレスになるのかな?」 などと、妥協する思いが芽ばえて、揺れます。
 おろかなことです。
 なぜそうなってしまうのか。答えはかんたんです。その親に、その家庭に、子育てに関する原理・原則[=プリンシプル]がないからです。
 子どもと対決するとき、親は金太郎飴のように、どこを切っても同じでなくてはいけないのです。
 それも、ゆがんだ顔の金太郎ではなく、りりしい顔の金太郎です。
 いつどんなときも、都合や気分にも、世間の風潮にも惑わされず、一貫した態度で子どもに接すること。親に求められるのは、「これだけはわが家の決めごとにしよう」という「ルール」を決め、守る態度です。

 先ほどのミホちゃんの例に戻りましょう。
 ミホちゃんのお母さんは、本当は甘いものをあまり食べさせたくないのです。
 虫歯が心配なので、小さいうちは極力与えないようにしていました。
 でも、幼稚園に通うようになって、お友達からもらったぷっちょやグミなどの味を覚えてしまい、ねだるようになりました。
 「少しくらいいいだろう」と、一度あげてしまったが最後、毎日ほしがるようになったといいます。
 本当ならば、お母さんはぜったいに与えないか、「1個だけ」というルールを貫きとおさなければならなかったのです。
 たいていのお母さんは「たかがぷっちょ1個じゃない」と思うかもしれません。
 でもその「たかがぷっちょ1個」が、子育てがうまくいくか、いかないかの大きなわかれ道になります。
 ミホちゃんは「もう1個ほしい」となれば、「キーーー‼」と金切り声を発します。
 でも「キーーー‼」で要求がかなうと、将来、ちょっと気に入らないことがあるとこの声を発し、要求がとおらないとキレる子になってしまいます。
 じつはたいへんな問題をはらんでいるのです。
 キレて脅しているのですから。
 私はこのことをお母さんに説明し、理解してもらいました。
 そこでいっしょにこんなルールをつくりました。

 ▼やってもいいけど、かならず損をさせる

 「キーーー‼」を言ったら、ミホちゃんはおやつぬき。
 1個だけはあげる予定だったけど、むしろゼロにする。
 とにかくこれを守らせること。それをお母さんと約束しました。

 ただ、これまで何もルールを決めてこなかった家庭で、いきなりルールのある生活を送るのはたいへんです。
 そのお母さんも、「キーーー、言うよ」と脅されたら、どう対処すればいいのかわからないと、不安そうです。
 「言いたければ言いなさい、と言えばいいんです」と言うと、「そうなんですか⁉」と驚いた様子です。
 「言っていいよ」と言えばいい。
 そして「でも言ったら、ぷっちょはなしよ」と言えばいいのです。
 今までは「キーーー‼」がお母さんの「弱み」でした。「弱み」をもっていると、子育ては不利になってしまいます。
 「やるならやっていいけど、かならず損をさせること」という親の新しい姿勢が大切になります(ただし、体罰は使えません)。
 親がこうした姿勢をとったり、かつてとは真逆の姿勢に変わることは、並大抵の努力では足りないでしょう。
 親がそのときの気分や都合に流され、子どもに向き合う面倒から逃げないことが大切なのです。
 “金太郎飴お母さん”は、このような努力とともにつくられます。

 〔情報元 : 東洋経済オンライン
     https://toyokeizai.net/〕

   _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 ◆子育てに原理原則はあるの?

 育児は他人から教わるものじゃない。 誰かの意見や考えではなく、自分なりに試行錯誤して見つけていくものだ、という言葉も目にします。

 原理原則っていうのは、 人間が生きていく時に基本になる考え方。 そういうことを一生懸命研究した人がいて、 例えばアタッチメント(愛着)なんかもそうですよね。
 そういう現象があるよって。
 それが人格形成にものすごく影響してるということを、いろんな角度から研究して、それを発表した人がいるから、アタッチメントの理論を私達も分かって伝えることができるわけでしょ。
 そういうものも原理原則ですよね。 それは挙げたらきりがないくらいたくさんある訳です。

 で、自分の子育ては他人に邪魔されたくないとか、他人から聞くものじゃないっていうふうに思うのは、私は間違ってると思う。
 なぜかと言うと、自分自身を理解することだって難しいでしょ 。
 自分自身を上手にコントロールすることだって難しいよね。
 ましてや、相手といい関係で、いつもハッピーな環境を作っていくというのは相当難しいでしょ。
 夫婦であっても、あるいは友達であっても。
 そういう関係性の中には人間関係の原理原則があるわけね。
 それを研究してる人がいっぱいいるんだから、そういう情報をちゃんと自分の中に取り入れて「一番ベストな方法は何か」っていうふうに、自分の中に取り入れた上で取捨選択すればいいわけで「これは私にとってはいらない 」という人もいるかもしれないけど、「もしかしたら私の生きていくのにすごく大事な考え方かもしれない」って、そうやって取り入れて自分に役に立てていけばいいわけ。
 自分はこう思って立派に育てていると思っても、もしかしたら、うまくいってないかもしれないんですよ。
 お母さんの言うとおり聞いて「はい、はい」って、なんでも言う子どもになってるから、それがいいと思ってると、違うでしょ。

 だから子育ていうのは、とても難しい営みだと私は思っている 。
 人間を育てるということ。 教育もそうだけど。
 教育をする人、親として子どもを育てる人の人格とか人間性がものすごく反映されてくるものだから、難しい。
 だからもう少し謙虚に、自分のあり方はこれでいいだろうかっていうことを、私は常に常に勉強だと思っているのね。
 「一生勉強」っていうのがあって、自分の知らないことを知ることによって生活がより良くなる、 人との関係がうまく作れていく。
 そういうことを目指すべきじゃないかな?って思いますけどね。
 だから原理原則って言われると、これっていうふうにハッキリ言えないけど。
 いろんなたくさんの種類のことがあるから。
 例えば、子どもの心理についてもいっぱい実験をやってね。
 その結果これは正しいんですよ、子どもの認識ってのはこういうふうに育つんですよとか、子どもの感情はこんな風にコントロールする力ができるんですよとか、色んなことを研究してる人がいるわけね 。
 そういう人の知識をちゃんと知って、自分の中の生活に応用していく。
 私なんかはそうやって、いろんな人の研究したものを勉強して、自分のものにしてそれを教育に応用して、自分の子育てにもそうしたしね。
 教育の中に応用していったわけ。

 理論っていうのは、どれにも共通な法則として生まれたものだから、それだけでは機能しないわけよね。
 それを実践の中に応用することによって初めてその理論の良さや正しさが分かったりするわけね。
 この心理を知らないと、この応用のところがうまくいかないのね。
 だから奥深いっていうのは、そういう理論がいっぱいあるからそれを勉強しないと。
 専門家はそこを勉強してるから、いろんなアドバイスしたり、実践ができる。

 私は自分の子どもを育てたとき、理論は学んだけどどう実践するか、初めてやることだから失敗しながら、これでいいのかなって常に思いながら。
 うまくいった例はいっぱい覚えてるけどね 。
 でも、うまくいかなかったこともあるし、自分の限界を超えてる状況もあったし、自分にはこういうふうにやりたいと思っても、それができないような状況もあったり。
 仕事も育児も、研究もしなきゃいけない、いろんな事頑張ったから余計なんだけど。
 だから、もうちょっと子どもに寄り添って、こうしたら良かったかなって思いも今だって残ってるしね。
 十分にしてやれなかった部分もあるし。

 でも、親は子どものためだけに生きてないのよね。
 親は親の生活があって、親の生き方があるわけでしょ。
 それを全部犠牲にしてやってはいけないのよ。
 そうすると、子どもに全部覆いかぶさるってことになるから、子どもが巣立ったら、もう何もなくなって空虚な生活になっちゃうでしょ。

 自分は自分の生活をちゃんと作りなさい。
 学校に子どもが行くって、 いってらっしゃい。
 お父さんも会社いくって 、いってらっしゃい。 私はこれこれするから 、いってらっしゃい。
 自分の世界をちゃんと持ちなさいって、そういう指導を私は大学の教授から受けた。
 人に即してばかり、お母さんだからって家族のために全部自分を犠牲にしてやって、家族はそれで幸せかもしれないけど、それがその人の幸せでは決してないって。
 お母さんはお母さんの世界を持って、自立しているということによって、経済的に自立しているという意味ではなくてね、心の世界で自立してることによって、子どもと対等に関われる。

 子どもが大人になっていた時、子どもが知らない世界をお母さんが持っているんだもん。
 お父さんは違う世界を持ってるでしょ。
 それぞれが揃って夕食の団欒の時に、その日の経験したことを楽しく話し合う。
 そういう家族になったらお互いがみんな伸びていける。
 そういう家族を目指すべきですよ、って大学のとき教わったの。

 〔情報元 : © 2019-2023 親子育研究会. https://oyakoiku.jp/〕

   _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

 『大人の事情』について、今一度再考しようと思います。

 “大人の事情”の事情というのは諸事情、つまり「都合」の事であり、都合には二つの言葉があります。
 それは「好都合」と「不都合」。

 使う“大人の事情”の事例としては「好都合」の場合、ほぼほぼ無く、「不都合」に使う事例が主流です。

 「好都合」を使う事例としては、無くもないのですが、言葉で言う“サプライズ”があります(場合としては、有難迷惑だったり、叶わなかったりしますが)。

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  サプライズ【surprise】 の解説 [名](スル)
 1 人を驚かせること。
 また、驚き。思いがけない出来事。
「今回の人事に―はなかった」

 2 突然の贈り物などで、人を驚き喜ばせること。「記念日に―する」

 〔情報元 : goo 辞書
 https://dictionary.goo.ne.jp/〕

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 「大人の事情」の違う意味としては「子供には言うべきではない」という解釈で、この言葉でそれを誤魔化す、あるいは濁すという使い方になります。

 もうひとつ使い方は、おとなが大人に使う場合、その理由を言ってしまうと関係者や上の立場に当たる人などに迷惑が掛かる為、「とても言えない」という解釈での使い方です。

 後述の意味では、おとなが大人に対して使うことになるので、一見、おかしく見えるかも知れません。
 そもそも、“大人の事情”の言葉の意味での使い方はスラング的要素が含んでるもので、本来の意味は「子供には~」の方だと言われています。

 しかし、元々広辞苑に掲載されているような言葉ではない為、どちらが本来の意味なのかと正しく決まっている訳でもないようです。
 その為、人にどちらが正しい意味なのかと無理に聞くことも、説明することも必要はなく、今となってはどちらがそれなのかも怪しくなってきているようです。