■寓話
寓話(ぐうわ)
比喩によって人間の生活に馴染みの深いできごとを見せ、それによって諭すことを意図した物語。
名指しされることのない、つまりは名無しの登場者は、動物、植物、自然現象など様々だが、必ず擬人化されている。主人公が、もしくは主人公と敵対者が、ある結果をひき起こしたり、ある出来事に遭遇する始末を表現したりする本筋は、なぞなぞと同様な文学的構造を持ち、面白く、不可解な印象を与えることによって読者の興味をひき、解釈の方向を道徳的な訓話に向ける特性を持つ。
民話によく見られるように、物語の語り末には寓意的な解釈を付け加えることが習慣的に行われてきた。
▼歴史
古代オリエント
寓話は、神話と同様にとても古い文献に発見されている。現時点では古代オリエントのものが最も古い。
古代ギリシャ・ローマ以前の寓話は、アイソーポス(イソップ)以前の寓話 Ante-Aesopic fable と総称されている。
19世紀後半から古代オリエントの楔形文字が解読され、1931年にドイツのアッシリア学者エーベリングがいくつかの文献をまとめて「バビロニアの寓話」として訳した。
その後も文献は発掘されたが、寓話の研究は衰えた。最近ではアキモトの研究がヴァンダービルト大学から発表されているのみである。彼の研究によると、古代オリエント(メソポタミア、エジプト、地中海東岸、アナトリア)では、寓話は口承文学として文字以前からあり、文字の発達とともに粘土板にも現れた。
シュメール語やアッカド語の短い寓話が、諺やその他の民話といっしょに収集された粘土板は、そのほとんどが学校の遺跡から発見されている。
ヒッタイト語とフルリ語のバイリンガルで残る寓話集は、神話と伝説の中に盛り込まれていて、ある話し手が次から次へと寓話を語っては解釈して聞かせていくという形式をとっている最も古いもので、ヒッタイト版が紀元前1400年頃、その原本となったフル人の寓話はもっと古く、紀元前16から17世紀頃のものと推定されている。
Ninurta-uballitsu ニヌルタ・ウバルリトゥスウの古代アッシリア寓話集は、紀元前883年に完成と記されていて、編纂者名前と編纂年の判明している最古の寓話集である。古代アッシリア王家の書簡の中にも寓話を使ったものが発見されている。
▼古代ギリシャ
寓話と言えばイソップ寓話である。彼の名を冠する寓話がこのギリシャ人の作品であるかは不明で、ヘロドトスの記述外での彼の歴史的な存在も確かではないにせよ、紀元前6世紀以降の寓話は、イソップの寓話 Aesop's fable またはイソップ的寓話 Aesopic fable と総称されている。
伝説的イソップと文芸ジャンルとしての寓話は、ローマと東ローマの寓話収集家および作家の手によりギリシャ語とラテン語の文献が伝承された。
▼インド
サンスクリットで書かれた説話集『パンチャタントラ』では、釈迦が生まれ変わるたびに色々な動物として暮らす話を教訓的な寓話として表現している。
▼欧州
ギリシャ語とラテン語を読み書きするキリスト教の聖職者により、寓話は中世からルネサンス期を通じて受け継がれた。グーテンベルグの印刷機の発明のすぐ後に、ハイリッヒ・シュタインヘーベル(英語版)がラテン語とドイツ語のバイリンガルによる「エソプス」という題の寓話集を出版してから民間に広まっていった。
近世には個性的な寓話作家も現れ、チョーサーやラ・フォンテーヌなどの作品はよく知られている。 英仏: Fable(英語版)(フランス語版), 独: Fabel(ドイツ語版), 伊: Favola(イタリア語版), 西: Fábula(スペイン語版)などの各言語版ウィキペディアにある寓話の記事には、国ごとの寓話の発展が記されている。
▼日本
イソップは、日本の寓話にとってもやはり元祖である。
イソップの寓話として『伊曾保物語』は、16世紀のキリシタン(切支丹)によって日本語に翻訳され、しかも印刷されている(『イソホノファビュラス』のローマ字版は、現在大英博物館蔵)。
▼寓話的な作品がある作家の例
※テーヌなどの専門的な寓話作家ではないことに注意。
・安部公房
・宮沢賢治
・星新一
・時雨沢恵一
・イヴァン・クルィロフ
・フランツ・カフカ
・ホルヘ・ルイス・ボルヘス
・カレル・チャペック
・ジョージ・オーウェル
・アマドゥ・クルマ
・イタロ・カルヴィーノ
・スタニスワフ・レム
・スワヴォーミル・ムロージェク
・シャーリイ・ジャクスン
・パトリシア・ハイスミス
・アンジェラ・カーター
・ジャック・ウォマック
・アンドレイ・クルコフ
・エーリッヒ・ケストナー
・ベンジャミン・エルキン
《御伽衆》
御伽衆(おとぎしゅう、御迦衆)は、室町時代後期から江戸時代初期にかけて、将軍や大名の側近に侍して相手をする職名である。雑談に応じたり、自己の経験談、書物の講釈などをした。
御咄衆(おはなししゆう)、相伴衆(そうばんしゅう)などの別称もあるが、江戸時代になると談判衆(だんぱんしゅう)、安西衆(あんざいしゅう)とも呼ばれた。
▼概要
天文年間(1532年-1555年)の周防の『大内氏実録』にみえるのが初見である。
その後、武田氏、毛利氏、後北条氏、織田氏、徳川氏など広く戦国大名の間で流行した。
『甲陽軍鑑』には武田信玄が召し抱えていた12人の御伽衆の名があり、織田信長は御伽衆として種村慮斎を召して抱えていた。
また土屋検校のように話術を活かして信玄、信長、北条氏政ら複数の戦国大名に仕えた盲人もいた。
最も多く御伽衆を召し抱えたのは豊臣秀吉であった。
咄(はなし)相手を主としたため御咄衆ともいうが、正確には御伽衆の中に御咄衆が含まれる。
御伽衆は、語って聞かせる特殊な技術のほか、武辺談や政談の必要から相応の豊富な体験や博学多識、話術の巧みさが要求されたため、昔のことをよく知っている年老いた浪人が起用されることが多かった。
しかし、江戸期にはしだいに少年が起用されるようになり、単なる若殿の遊び相手となっていった。
慶長年間(1596年 - 1615年)に御伽衆の笑話を編集した『戯言養気集』(ぎげんようきしゆう)という書物が刊行されたが、御伽衆の講釈話が庶民に広がって江戸時代以降の講談や落語の源流となったとも言われるので、御伽衆は落語家の祖でもある。
▼御伽草子
『御伽草子』(おとぎぞうし)は、鎌倉時代末から江戸時代にかけて成立した、それまでにない新規な主題を取り上げた短編の絵入り物語、およびそれらの形式。お伽草子・おとぎ草子とも表記する。広義に室町時代を中心とした中世小説全般を指すこともあり、室町物語とも呼ばれる。
▼成立
平安時代に始まる物語文学は、鎌倉時代の公家の衰微にともない衰えていったが、鎌倉時代末になると、その系譜に属しながら、題材・表現ともにそれまでの貴族の文学とは、全く異なる物語が登場する。
それまで長編だったのが短編となり、場面を詳述するのではなく、事件や出来事を端的に伝える。まあテーマも貴族の恋愛が中心だったのが、口頭で伝わってきた昔話に近い民間説話が取り入れられ、名もない庶民が主人公になったり、それが神仏の化身や申し子であったり、動物を擬人化するなど、それまでにない多種多様なテーマが表れる。
お伽草子は、400編超が存在するといわれている。そのうち世に知られている物は100編強だともいわれるが、研究が進んで漸増している。
ただし、同名でも内容の違うものや、その逆の違う名前でも内容が同じものなどがあり、正確なところはわからない。室町時代を中心に栄え、江戸時代初期には『御伽物語』や『新おとぎ』など「御伽」の名が入った多くの草子が刊行された。御伽草子の名で呼ばれるようになったのは18世紀前期、およそ享保年間に大坂の渋川清右衛門がこれらを集めて『御伽文庫』または『御伽草子』として以下の23編を刊行してからのことである。
ただし、これも17世紀半ばに彩色方法が異なるだけで全く同型・同文の本が刊行されており、渋川版はこれを元にした後印本である。
元々「御伽草紙」の語は渋川版の商標のようなもので、当初はこの23種類のみを「御伽草紙」と言ったが、やがてこの23種に類する物語も指すようになった。
▼内容
古くからのお伽話によるものも多いが、たとえば『猫の草子』のように成立が17世紀初頭と見られるものもある。また、『平家物語』に類似の話が見られる『横笛草子』のように他のテキストとの間に共通する話もある。
『道成寺縁起』のように古典芸能の素材になったり『一寸法師』のように一般的な昔話として現代まで伝えられるものもある。
『一寸法師』や『ものぐさ太郎』、『福富太郎』などは、主人公が自らの才覚一つで立身出世を遂げ、当時の下克上の世相を反映する作品といえる。
物語の設定に着目すると、時代は現在から神代の昔に至るまで様々であったのに対し、舞台は特定の場所が設定されている事がしばしば見受けられる。特に清水寺は、現存するお伽草紙作品のうち約1割に当たる40編に登場し、中世の人々の神仏に対する信仰や、縁起譚・霊験譚への関心の高さが窺える。
一方で、鳥獣魚虫や草木、器物など人間とは類を異とするものが主人公になることも多く、「異類物語」と呼ばれる。その中には百鬼夜行絵巻のような、妖怪を描いた作品も含まれている。 御伽草子の多くは挿絵入りの写本として創られ、絵を楽しむ要素も強かった。
文章は比較的易しい。筋は多くの説話がそうであるように素朴で多義的であり、複雑な構成や詳細な描写には乏しい単純なものが多い。しかし、そのことをもって、御伽草子全てを婦女童幼の読み物であると断定するべきではなく、物語が庶民に楽しめるものになっていったこの時代に、色々な創作・享受の条件が複雑に重なった結果、御伽草子のような形の物語群が生まれたと思われる。
面白さの裏にある寓意に当時の世相が垣間見られ、中世の民間信仰を理解する手がかりともなっている。また、後に生まれる仮名草子や浮世草子に比べて御伽草子の話の数々は作者未詳である。
その部分は、日本の物語文学の伝統に則っている。
〔ウィキペディアより引用〕