『心療内科医・涼子』
(しんりょうないかい・りょうこ)
1997年10月13日から12月15日まで
毎週月曜日22:00 - 22:54。
読売テレビ制作・日本テレビ系 「月曜10時」枠で放送されたTVドラマ。主演は室井滋。
患者役には豪華ゲストが毎回登場した。
心療内科が舞台であることと、現実離れした涼子特有の治療のやり方に批難が集中したため、ノベライズ単行本は5話で終了し、ドラマに至っては台詞や涼子の独特な治療は1話以降から若干変えられている。
視聴率は前番組『失楽園』ほどの高水準ではないものの、月曜22時枠のドラマとしては堅調な推移を見せた。一方で後述するように、放映当時からその治療などの内容について、当時は精神科医など様々な方面から現実離れをしている涼子の治療行動に対して批難が多数あり、直ちに放送を中止するよう番組に対しての圧力や批判があった。
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作品の問題点
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放送開始直後から、心療内科の現場で働く医師による抗議が相次いでいた。主だったものとして、 取り上げる病気が不適切(心療内科ではなく、精神科が扱う病気)。
その病気の描写があまりにもセンセーショナル。(心療内科の患者が心療内科に行きにくくなる)
現実の医師は、涼子のような行動はとらない。 ドラマを見て、すぐに治ると期待し、結果的に病院を転々としてしまう危険性。 などといった意見が寄せられた。日本心療内科学会でも問題になり、読売新聞に抗議文を出す事態になったが、これに対し読売テレビは、「これから撮影するものに関しては、十分に配慮する」と釈明。また番組のラストに「望月涼子のキャラクター設定上、実際の心療内科医を超えた描写があります」というテロップも出されていた。
こうした抗議について、番組アドバイザーである東邦大学医学部附属大森病院心療内科は、 心療内科の範囲を逸脱しているとテレビ局に抗議した。
ただし、心療内科は純粋な心身症だけを見るべきだとの批判には、反論する。本来の心身症の患者は、心療内科受診者の15%にすぎない。
ドラマはオーバーな点があるが、精神科の対象になる患者が来ているのも事実。そういうニーズに応えるのも、将来的には大事ではないか。 とのコメントを出している。 また、ある心療内科医は自分のサイト(現在は閉鎖)で、テレビ局に対する抗議として「問題が多すぎるので、即刻、放送を中止してほしい」という内容のFAXを公開していた。指摘していた問題点は主に以下の通り。
・患者が窓から飛び降りるシーンがあるが、医師が飛び降りるように呼びかけることは絶対にない。
・患者をまるで、気がふれたおかしな人間のように描いている。
・型破りの心療内科医という設定のもとで、病院だろうと外だろうと、ところ構わず治療をしている。
・涼子の治療はただの説得で、患者を理解しているとは思えず、本当の治療とは言えない。
・看護婦が患者の噂話をしている。現場の看護婦に失礼だ。
この問題点は、この時代には患者の苦しみに寄り添うことが必要な治療が医療機関にはないこと、現実とは全く異なる作品という捉え方がない医師ほど自身の医師というプライドで患者を傷つけている理由、意味を知っていない。 この作品により、心療内科を含め、精神科への受診に躊躇する内容ではないこと。批難をした医師のプライドが傷つくために放送を辞めるよう批難をしたのみに過ぎない。
この作品をバカにし、放送を直ちに辞めろと作品を批難した当時の医師は分かっていない。それを観ている患者の気持ちを知らない。医者のプライドで患者が傷つく理由(意味)を分かってない。
窓から飛び降りるシーンについても、患者が抑圧しているものを飛び降りることにより抑圧からの解放として涼子は捉えており、結果飛び降りた患者は自分を取り戻すことができたのは涼子自身がその患者には必要だったと知っているからであり、全ての患者に窓から飛び降りるようには対応をしていない。 だが、涼子先生には医師という資格や威厳という被り物のプライドを捨てても人間として全力で患者、そして医師という自身の苦しみや悲しみに向き合う葛藤のある姿は現代医療では絶対にあり得ない。 ドラマという時間制限などによって、ゲストクライアントの人たちが簡単に治るよう(治ってる)に設定されているが、患者や涼子に葛藤がかなりある時点で時間的には治癒が簡単に見えても、これは実際は治癒にかかる時間は簡単にはいってない。
ドラマのため時間の制限があるのみで、ダラダラと長々と続けられないのみであり結局は治療の継続、経過を見ており、最後はチーム内で解説もしている。
〔ウィキペディアより引用〕
番組内容が残念な話。私的には興味のあるテーマだけに悲しいし、俳優さんたちも辛いと思います。