ブレゲという天才時計師
⏱INTRODUCTION―天才の人生
⏱BODY―生きてるうちに生み出した技術
⏱CONCLUSION―不可能を可能に
雨が止み勘だけを頼りに太平洋を進んでいる。時計の精度が悪く10日以上過ぎた当たりで目的地に到着できなかった時代があった。
それは単なる検討違いな航海であり、民衆は困っていた。時計師ブレゲ(アブラアンルイブレゲ)は不可能に思えることを可能にした。
整えられた写真から想像する人間像はとてもポジティブな見方ができることは想像に難くない。クリエイティブな方法を使って伝えてきた彼の人生最期の言葉に、強く興味を惹かれる。おそらくそれは未知数の知恵だったり、最期のジョークだったり、もしくは家族の絆の確認だったりするのだろうか。
PATEK PHILIPPE・VACHERON CONSTANTIN ・AUDEMARS PIGUET・A.LANGE & SOHNEに並ぶ世界5大時計メーカーへと導いたブレゲは、工房で修行し28歳で独立し、懐中時計の自動巻き機構、渦巻きヒゲ、ショックアブソーバーの原型のパラシュート(耐衝撃装置)、トゥールビヨン脱進機、ギョーシェ、軽量のブレゲ針、ブレゲ数字を生み出し40年生涯を時計に捧げ、自国の国際的な地位・経済力の向上を成功させるなど黄金時代を築いた。
すべての技術は当時の旋盤、工具、材質を採用して今もなおパーツの一つずつ手仕事で仕上げられギョーシェ模様も手作業で彫られているのだから驚きである。
王の時計へと導きだした人物であるブレゲは、イギリス、イタリア、ロシアと世界で愛用された。男性用の腕時計の印象が強いが女性用の腕時計クイーン・オブ・ネイプルズの卵形も現存する。王国海軍時計師の称号を授けられ、姿勢差による精度の差が大きく改善し時計をみて航海ができる日が来たのである。
時計をアクセントに風景を描けただろうか?
あなたも“歴史を調べる“を習慣にしてみてはいかかでしょうか?
最後まで見ていただき、ありがとうございました!
今日の話題…軍用時計
今日のお役立ち時計…ブレゲの「アエロナバル」1950年代の初代から第3世代まで進化し続けるミリタリーウォッチ
次回演目『あ行 赤い宝石』
登場語録…時計 アンクル