子供たちの体育大会記事を書いていて、
そういえば、ワタシの小学校最後の運動会。
応援団長をやって、
優勝したな、と思い、
その時の写真を探したら…
ありました、ありました(*^_^*)
1972年5月、40年前のことです。
(うひゃあ、今の娘よりも年下の頃だ…)
(なかなか写真もきれいに残っていました(^_^)v)
真ん中で優勝旗を掲げているのがワタシ。
11歳の時ですな。
いやあ、優勝旗、重かったですよ。
ワタシの卒業した小学校は、
一年生から六年生まで、
たしかすべて3組までの3クラスずつでした。
各学年1組が赤組、
2組が白組、
そして3組が青組だったのです。
私は6年3組だったので、
青組でした。
そもそも応援団長は、
同級生のY君がやることになっていました。
ところがY君は、音楽クラブで鼓笛隊として
行進などに参加するので、
できなくなってしまったのです。
そこで、なぜワタシが応援団長を
引き継いだのか?
今となっては記憶にありません。
さて、
ついでと言ってはナンですが、
卒業文集に書いた、
その応援団長の想い出の作文を
ここに再録してみたいと思います。
「応援団長」
僕は昨年(昭和四十七年)の五月二十一日に
運動会の応援団長という人生初めてのことを経験したのでした。
その日の代沢小学校は、運動会でした。
僕は、準備のときから、胸がドキドキしていました。
なぜって、僕は、青組の応援団長だったからです。
その日は、よく晴れていて絶好の運動会びよりでした。
白組の席の方へ行くと「今年も白が優勝をいただきさ」
とか聞こえてくる。
逆に赤組の席へ行くと「久しぶりに赤が勝つに決まりー。」
とか聞こえてくる。
そんなことを耳にしたのだから僕も(青組が絶対、
優勝しなくちゃあ。)とかなんとか、かっこいいことを
心に思っていたら、本当に青組が優勝してしまった。
まったく信じられない。まさに八年ぶり。
四十七年度の六年が入学した時から今まで
ずうっと優勝していなかったのだ。
いや、入学する二年も前から優勝していなかったのだから。
けれど、僕が応援団長だったから、優勝したわけではない。
青組全員が努力に努力を重ねてがんばったからこそ、
優勝できたのではないだろうか。
応援団の団員もよくがんばったと思う。
練習のとき、ほとんどの団員がふざけてやってくれなかった。
赤組と合同で体育館でやったとき、赤組の方ばかり見ていて
自分たちのほうをやらなかった人もいた。
しかし、本番になると、緊張気味だったけれど、
そんなことにかかわらず優勝に導いてくれたのだ。
僕は、団員のみんなと仲良くなれたことも、
優勝旗を持ってパレードしたことも、
僕にとって嬉しく、そして楽しかった経験といえると思う。
そして小学校生活最後の思い出となることだろう。
ま、取り立てて上手な作文ではないし、
優勝のことも何だかあっさり書いてるだけだし、
マジメに練習しねえ、とか文句書いてるし、
文体も統一感ないし、
大人目線で添削するなら
たくさんチェックポイントはあるけれど…。
そっか、40年前かあ(しみじみ)
そういえば、兄が撮ってくれた
運動会の8ミリフイルム。
これもDVD化したいなあ…。
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