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コツコツと60代を突き進んでおります

今も心がける、母と祖母の教え その1

2019-06-05 21:57:51 | あの日、あの時、あの場所で

ひさしぶりに、日々のことではない
“ワタシ”を形成していることを書いてみます。

タイトルは何だか堅苦しくて、
ものすごい“教え”のように見えますが…(^^;)
まーったく! 大したことではないです。
“教え”なんて書いたら恥ずかしいくらい。
心に根づいているというか、習慣というか、
まあ、“こだわり”にもなっていることではありますが。


子供の頃、そう小学校低学年でしょうかね。
東京の下北沢に住んでいたワタシ。
新宿に出るにも渋谷に出るにも私鉄電車がありました。
母は渋谷が好きな人でしたので、
休みの日や平日でも学校から帰ってから
渋谷の百貨店などに買い物に出かけることが多く、
一緒に連れて行ってもらっていたのです。

渋谷への井の頭線、新宿への小田急線、
ともに休日でも、平日の午後でも
今でもそうでしょうけど、当時もそこそこ混んでいました。
母によく言われたのは、
「降りる駅が近づいてきたら、
 降りる準備をしなさい」
ということでした。

別に旅行じゃないですから、
特段降りる準備なんてのはありませんが、
すごく東京人っぽい感覚だったのでしょう。
降りる人も乗る人も大勢いるから、
さっさとスムーズに乗り降りしないといけない、
ということだったのですね。

もちろんそこには、
「乗る人にとっては降りる人は早く降りてほしいはず」
「降りない人は降りようとしている人と代わって
 ドアの前を空けないと降りる人の邪魔になる」
くらいの、ごく当たり前の理由しか想像できません。

でも、やっぱり大切なことです。

ワタシはギュウギュウで動けない混雑ではない限り、
駅に到着しそうなタイミングで、
立っている人の間を迷惑じゃないように移動し、
ドア近くまで移動しようとします。
身動きとれず移動までできない場合は、
少なくとも「私、次降ります」という行動
ーそうだなあ、ドアの方向を向いて、
前の人が降り始めるのを注視していたりー
を取りはじめるようにしています。

でも今の時代、
ドアの前で動かない人、
電車を下りるギリギリまで
下を向いて
スマホをいじっている人、

そんな人ばかり見かけます。
もちろん開くドアのすぐそばでも。
つまり降りるのか降りないのか
見当がつかないんですよね。
降りるならいいけど、降りないのなら
ドア前を空けてほしい。

でも、ドアが開いてもスマホをいじるのをやめず、
ドアの前を空けようともしない。
完全に自分一人の世界です。

かつ、みなリュック。
スマホをいじるのに両手が使えるから便利です。
それはわかります。
でも、ただでさえ後ろの人に気を遣わないのに
スマホに集中しちゃって、後ろの人のことなんて
まったく気にしていない。

あー嘆かわしい。

ワタシは数駅乗るのにも
車内の奥に行くようにしています。
ドアの周辺は絶対にヒトが滞留して、
さらに前述のような人たちが多いので、
奥の方には必ずスペースがあります。
そう
「ご乗車になられましたら、ドア付近にたちどまらず
 順に車内の奥の方までお詰めください」
ってヤツですよ。

次の駅で降りるので、
ドアの近くにいたい人がいるのも解ります。
でも、みんながそうしたら、
いや、みんながそうするから
ドア付近が混雑するのですよね。


おっと、少しテーマからそれちゃった。

つまり、降りる駅が近づいたら、
さっさと降りる準備をしたいのに
周囲の人が降りるのか降りないのか
見当つかないことが多くて困るのです。

そんなとき、母が言っていた
「降りる準備しなさい」
を思い出し、自分の中の“こだわり”が
母によるものなのだと気づかされるのでした。

写真は約50年前の母と私。
ワタシが小学校二年生か三年生の頃デス。


祖母の“教え”、
これまた大したことじゃなくて恥ずかしいのですが(^^;)
近いうちに「その2」として書きます。


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