ちょうどいい!を知る
投稿者:うさぎ 投稿日:2012年 8月26日(日)07時09分39秒 返信・引用
武術をやっていて、膝を痛めたとか、体のダルさがとれなくなった、、、などの理由で武術をしなくなるという話を聞くことがあります。 やはりそれは、練習の仕方が悪いのだと思いますし、たんとうは、何十分以上はやるとか、歩法は何十回やるとか固定化した指導を鵜呑みにして練習をしていれば、 怪我や病は出てくるのは当然だと思います。中国武術の達人の逸話に、何時間もたんとうをしていたとか、何キロの道をすべてこの歩法で歩いたとか、そういうものを男のロマンとしては、最高だとしても、自己の練習を盲目的に同じようにやって行くはどうかと思うし、腰のえらく低い師範やとても柔軟性のある方の演示のDVDをそのまま自分の練習にしてしまうといった練習方法にも問題はあると思います。 中国武術の良い指導者は、学んでいる人それぞれによって違うその人が持っている体質や心身の状況、武術のレベルなどに合わせて、今のあなたの練習は、やりすぎているから休みなさいとか、発勁練習をもう少し多くしなさい。とか練習者がちょうどいい練習量や練習方法を教えてくれる指導者だと思うし、そのちょうどいいものを練習者自らが時間をかけ身につけていけるように教えてくれる指導者なのだと思います。そのような指導者にであえた練習者は幸運だと思います。ちょうどいいというのは、練拳者の中で常に変化しているから、それをわかるようになるって難しいですね。戴氏であれば、そのちょうどいいを知る訓練を、陰陽の道というと場で表現するわけです。王映海師父は、ある日私の目を見て「今、あなたは肝火が強いので、練習は休んだ方がいい。どうしても練習をしたいのなら、意守丹田、放鬆し、静かな功をしばらく練りなさい。」と言われた自分が持っていた忙しさ、慌ただしさの中で練習を続けストレスを身体に表していた自分の状態を見透かされていることに、自分が今まで武術の練習は、この形を学べば、次は何の形を練習するといった固定化したものがあるのだろうと思っていた自分の武術に対する概念が少しずつ少しずつ崩れて行くようになった。あるときは、ゆっくり動く練習を強調されるので、いつもゆっくりの練習だけをしていると、「ダメだ!爆発力の練習をしなさい」と言われる。「ゆっくりの練習を何回して、爆発力の練習を何回するというのがあるのですか?」と聞くと「そんなものはない。頭を使う」という。未熟な私は、はじめは何を言っているかわからなかった。 陰陽五行と人体や武術との関係を師父には、重ね重ね教えていただくうちに、自分自身は変化や関係性の中にいること、練拳はその変化を感じ取り適切な量や方法を行う。そのことによって、成長、上達していくということが、次第にわかって行った。それまで、武術は、根性や忍耐でやるものだと感じていた概念が時間をかけ次第に崩れていった。
投稿者:うさぎ 投稿日:2012年 8月26日(日)07時09分39秒 返信・引用
武術をやっていて、膝を痛めたとか、体のダルさがとれなくなった、、、などの理由で武術をしなくなるという話を聞くことがあります。 やはりそれは、練習の仕方が悪いのだと思いますし、たんとうは、何十分以上はやるとか、歩法は何十回やるとか固定化した指導を鵜呑みにして練習をしていれば、 怪我や病は出てくるのは当然だと思います。中国武術の達人の逸話に、何時間もたんとうをしていたとか、何キロの道をすべてこの歩法で歩いたとか、そういうものを男のロマンとしては、最高だとしても、自己の練習を盲目的に同じようにやって行くはどうかと思うし、腰のえらく低い師範やとても柔軟性のある方の演示のDVDをそのまま自分の練習にしてしまうといった練習方法にも問題はあると思います。 中国武術の良い指導者は、学んでいる人それぞれによって違うその人が持っている体質や心身の状況、武術のレベルなどに合わせて、今のあなたの練習は、やりすぎているから休みなさいとか、発勁練習をもう少し多くしなさい。とか練習者がちょうどいい練習量や練習方法を教えてくれる指導者だと思うし、そのちょうどいいものを練習者自らが時間をかけ身につけていけるように教えてくれる指導者なのだと思います。そのような指導者にであえた練習者は幸運だと思います。ちょうどいいというのは、練拳者の中で常に変化しているから、それをわかるようになるって難しいですね。戴氏であれば、そのちょうどいいを知る訓練を、陰陽の道というと場で表現するわけです。王映海師父は、ある日私の目を見て「今、あなたは肝火が強いので、練習は休んだ方がいい。どうしても練習をしたいのなら、意守丹田、放鬆し、静かな功をしばらく練りなさい。」と言われた自分が持っていた忙しさ、慌ただしさの中で練習を続けストレスを身体に表していた自分の状態を見透かされていることに、自分が今まで武術の練習は、この形を学べば、次は何の形を練習するといった固定化したものがあるのだろうと思っていた自分の武術に対する概念が少しずつ少しずつ崩れて行くようになった。あるときは、ゆっくり動く練習を強調されるので、いつもゆっくりの練習だけをしていると、「ダメだ!爆発力の練習をしなさい」と言われる。「ゆっくりの練習を何回して、爆発力の練習を何回するというのがあるのですか?」と聞くと「そんなものはない。頭を使う」という。未熟な私は、はじめは何を言っているかわからなかった。 陰陽五行と人体や武術との関係を師父には、重ね重ね教えていただくうちに、自分自身は変化や関係性の中にいること、練拳はその変化を感じ取り適切な量や方法を行う。そのことによって、成長、上達していくということが、次第にわかって行った。それまで、武術は、根性や忍耐でやるものだと感じていた概念が時間をかけ次第に崩れていった。
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