kさん 》最初戴氏心意拳を学び始めた時は「心意」の「意」は「意識」のことではないかと解釈しておりました。 まぁ、「顎を殴ってやろう」といった「意識」です(^_^;)。この解釈は今も変わっていませんが、現代医学風に言え ば「顕在意識」と言うことになります。 それにたいして「心」は動作を繰り返して身体が無意識に動くことを意味しており、いわゆる「潜在意識」ではな いかと考えておりました。 しかしながら私が調べた範囲では「潜在意識」にはそのような解釈はないようです。 大体全ての運動は意識すると同時に身体が無意識に動かないと話になりません(^_^;)。 そなんこともあり「心意」の「心」は何を意味しているかが気になっておりました。 心意拳の「心意」は、主に伝統的には二つの意味があると思っています。 一つは、「戴氏心意六合拳 技撃精要」のP13~書いてある、「武芸の伝承」ー戴隆邦授拳規則に書かれている「心意拳という文字の意味するものは…」という下りの意味するものです。 人心が人心と交わることによって、初めて伝える拳、心意によって伝えられる拳だということ。 この意味では、日本人が心が大切と言ったりすることと同じ意味だと思います。 もう一つは、六合理論で言われる「心と意が合い、意と気が合い、気と力が合う。」の心意です。 この場合は、内と外がどうつながりあっているか?内がどうつながりあっているか?という理論ですから、心と意のつながり、意と気のつながりを言っていますよね。この場合の心は心に写ったもの、イメージといったもの。意とは意識、意志といった方向性を持ったもの。と考えるのが妥当かと思います。どちらも脳の働きであるわけですけれど、それを、心と意とに分けて考えているところに、意義があると思います。
その意味で、kさんの考えられた、顕在意識と潜在意識の考えは、なるほど、と思いました。
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