2005年 2月17日 午前7時15分
最後の夜明けを僕は聖書と共に過ごした。
回教徒ではない僕だが信仰心はあった。
言葉としてのAmenではなく、葬送の列に対し目を伏せる、そういう種類の信心深さ、臆病さ、だが。
普段は10時過ぎまでは寝ている僕の朝食姿(僕は普段朝食を食べない)を見て両親は驚いていた。
徹夜した、と答えたら「またゲームか」と呆れられたけれども(そういった朝の迎え方の方が僕らしくて良かったかもしれないな)
朝食は食パンとウィンナー。それに二杯のホットコーヒー。
別れの儀式として両親にも一杯ずつ。砂糖をいつもより多めにして淹れてやる。
さようなら僕の大切な人達。さようなら僕の大切だった人達。
最後の言葉は「いってきます」だった。我ながら、何とも陳腐な遺言。
母さんは気の無い返事で僕を送った。「夕食までには帰ってくるのよ」
さぁ行こう。世界の果てと終末の旅へ。
最後の夜明けを僕は聖書と共に過ごした。
回教徒ではない僕だが信仰心はあった。
言葉としてのAmenではなく、葬送の列に対し目を伏せる、そういう種類の信心深さ、臆病さ、だが。
普段は10時過ぎまでは寝ている僕の朝食姿(僕は普段朝食を食べない)を見て両親は驚いていた。
徹夜した、と答えたら「またゲームか」と呆れられたけれども(そういった朝の迎え方の方が僕らしくて良かったかもしれないな)
朝食は食パンとウィンナー。それに二杯のホットコーヒー。
別れの儀式として両親にも一杯ずつ。砂糖をいつもより多めにして淹れてやる。
さようなら僕の大切な人達。さようなら僕の大切だった人達。
最後の言葉は「いってきます」だった。我ながら、何とも陳腐な遺言。
母さんは気の無い返事で僕を送った。「夕食までには帰ってくるのよ」
さぁ行こう。世界の果てと終末の旅へ。