*Dance Bon Bon Schedule blog*

おどりのカタタチサトの活動、DanceBonBonのワークショップやイベント情報などupしています♪

誕生日をおごそかに迎える

2005-10-31 | 05ヨーロッパ
午前中から3時までホールで稽古をし、パリの劇場よりはるかにでかいここで「ど」をどう出すか色々やってみる。あつしさんたちのリハーサルがおわるまで新市街を探索し、戻ってきてzakで夕食を食べていると・・・wsに出ていたカーミアが、明日がカタタの誕生日ということを知って、この国では11/1は死者の日で、家族がそろって墓地へ行きキャンドルをともして語り合う日なんだと教えてくれる。もう、今日から墓地にはたくさんの灯がともっていてそれを見るのはオススメだよ!と言ってくれて、リハ疲れのあつしさんも含め東雲もみんなで夜中から墓地へくり出すことに♪タクシーで乗り付けたそこは、盆地のような場所にあり、真っ暗で景色までは見えない暗闇なのに、灯されたキャンドルの遠い明かりがなだらかに傾斜を作っている。入り口からまっすぐ道があり、両脇にはお墓が何基も何基もみえる。プラタナスの梢には満点の星がきらめき、遠く正面にはひときわ明るくキャンドルを置いた一角が見える。外灯もない真っ暗な墓地が、今日訪れた家族たちが元家族のために灯したキャンドルの火で息づいている。日本でいうお盆に近いのだと思うが、墓石の形にも色々装飾があり花花で埋め尽くされている。冷たい感じはなく、ほのぼのと暖かみさえ感じる夜の墓場。自分の誕生日がこちらでは、死んだ家族が戻ってくる日と知ってなんだかこそばゆい。だって、もし自分が死んでもまた戻ってくる日ってことは誕生日ってことだし。いつまでたっても誕生日(笑)帰り道は後ろ歩きで戻ってみた。火がだんだん遠のいていく、シンと冷えた暗闇が増えていく。入口のゲートの明かりでできる自分の影がだんだんくっきり長くなってくる。ゲートに到着したとき、ハット我に返る。ああ、自分は今生きている人だ!って。お家に帰ったら、ナンと2人がこっそりケーキを買っていてくれた!(いったいいつ買って、どこに隠していたの)カードやプレゼントまでもらって、びっくり嬉しい夜になったよ♪♪

ポリチカ、ベシュメニータ!

2005-10-30 | 05ヨーロッパ
クラコフの最後の夜に食べた、ポークカツレツオニオンフライビール揚げも旨かったさー。どこの国でもだんだん、字が読めるようになるのは食べるためなんだけど(笑)あのゆで卵とベーコンの入った本当においしいしっとりしたスープの名前がわからない!劇場であるZAKのカフェで出される夕食のスープとパン、メインディッシュ(カツレツやチキン、水餃子みたいなピロギ、野菜の酢漬けを肉と炒めたもの)なども美味しい「ベシュメニータ!」食べることに問題はないし、稽古もホール内でできる。誰がいつ幕を直しにきてくれるのかとかは、もう間近にならないとわからないらしいんだけれど、とにかく踊るための気は充満している。

オシュウフィエンチム(アウシュビッツ)へ

2005-10-28 | 05ヨーロッパ
午前中は、今日かえってきてからの宿探し。また、ツーリストインフォメーションに行ってJANEXIMグループのユースホステルを紹介してもらう。昨日より安い3ベッドで40ズロチぐらい。ごはんを買って中心の公園で食べていたら鳩がえらい寄ってきて、夢中になって餌付けしていたら、目指してた汽車に乗りそびれた!ので、次ぎの便で行くことに。。クラコフからゆられてだいたいの時間の目安でオシュウフィエンチムを探す。だいぶ、文字も読めるようになってきたのだけれど、駅の名前は気をつけてないと乗り過ごしちゃうし、書いてない駅だってあるのでハラハラする。タクシーでアウシュビッツに到着。ここは、収容所がそのまま資料館として残されているので、当時の配置のままに建物があり、その中にも入れる。日本にいると文章だけで知っていることだけど、ここでは目の前に収容された人の写真が壁面におさまりきらないくらい貼られていたり、また数え切れないくらいの靴や売れるからといって保管されていた人の髪の毛、死亡者名簿などその現実が展示されていて目の当たりにすることができる。収容練の一部にシャワー室があり、そこでカラダを洗った人はそのまま中庭に出れるドアから外に行かされる。その中庭には死の壁があり、銃殺される。その現場を他の収容者に見られないために、両脇の練の窓には木枠がしてある。そのシャワー室から見えるドアが、今でも今まさにその扉が開かれたら私は死の道へ階段を降りるんじゃないかという気配が満ち満ちていて震える。ひとつだけカタタが入れなかった場所。ガス室。普通の丘にしか見えない場所の地下に部屋が掘られていて、細長い通路で外から入るようになっている。ここは、シャワーに行けるとだまされた人たちが、全裸になってその細長い道を降りていくとドアがしまり、チクロンBというガスが流され皆死んでしまった場所。今は公開用に大きなドアから入れるようになっているのだけれど、どうしても中にたまっている空気に足がすくんで入れなかった。この土地で行われたこと、現実を目にするためにここに訪れるのは良いことだと思う。地場やその土地に残った思いは、時間やふきすさぶ風が少し和らげてくれてはいるけれど、ここを訪れる世界中の人々の思いはまさに千差万別で、その当時おきたことよりも、それを見て想いをめぐらしている、今生きている人々の思念の方が強烈にカラダにつきささってくる。帰りの駅での待ち時間は、今まで生きてきた中で2番目に寒かった!ホームは壁も屋根もないし、時刻表ではもうすぐ来ることになっているのに、なかなか来ない!!3人でマイムマイムを踊りまくって寒さをしのぎ、ティーンエイジャーなポーランド女子に笑われ、フランス人らしい男子組はナイス!とか酒かっくらって叫んでた。

世界の車窓からGdansk→Kraow

2005-10-27 | 05ヨーロッパ
やっぱりホテルの朝食はうまい。普段、東京にいると起きてすぐなんて食べないんだけどここのパンにチーズにハムに野菜らはするする入る。朝3つ4つのオープンサンドを食べ、2種類のサンドイッチを非常食にするのが常になりそう。さて、今日は昨日教えてもらった滞在先からすぐの国鉄の駅から始まる。だいたいどれに乗っていいかわかんないし、切符売り場もわかんない。いいやっと来た列車に飛び乗って、昨日ゲットしたチケットを片手にうろうろしていると、親切なお兄さんが、『その切符なら次ぎの駅で乗り換えればもうクラコフまでそのまま行けるよ!(予想)』と乗り換えのホームまでつきあってくれた。それでも、切符に書いてある時間は刻々と近づくけれど列車はこない。クラコフークラコフーと3人でつぶやいていたら、またまた親切なおばちゃんが『私たちも一緒だから大丈夫!(予想)』とか、お姉さんが英語で次ぎの列車に乗れば乗り換えなしでクラコフまで行けることなど教えてくれる。涙涙なんて親切なんだこの国の人は。じーーーん。ようやく列車に乗り込み、自分たちのコンパートメントも見つけ。ゆらゆら6時間の道のりを楽しむ。世界の車窓から、今日はポーランド北港の街グダィンスカからクラコフまで。見える景色すべてが新鮮。なだらかな田園風景。広い広い空。日本にはない樹木たち。線路すぐそばまで草をはむ牛・牛・うし・・時々古いお城の街が通りすぎる。太陽は遠い。穏やかな丘陵地帯。レンガの建物がたまに見える。人はなかなか見かけない。そして、食堂車にも行ってみた。キャベツと肉の煮込みかな?うまいっ!無事、クラコフに到着。まずは、宿探し!ツーリストインフォメーションでとにかく3人で安いとこを探してもらってオレンジというユースホステルを紹介してもらう。1人48ズロチ(2千円しないくらい)で3ベッドある♪街にくり出し散策。これまたステキな中世の町並みを残した(この街も再現したのかしら?)だけど、賑やかな若者あふれる街。カタタはやっぱりプラハの街並みの虜だけれど、こういう古い街並みやさっき見た田園風景の中にいると、創作意欲も湧いてくるしワクワクは止まらないし震えるわ♪小径を通ったり、スーパーで林檎などを買って(カタタの習性でどこに行っても林檎と牛乳をおやつ類を買ってしまう)今日のディナー探し。パリでも美味しいものに出会えなかった私たちは、ときめいていた!だって、こちらにきてからどこで出される料理もかなりの美味しさだから!!目を見張りみつけた、そのレストランは大成功も大成功!!裕子さんの頼んだスープも、明日香さんの頼んだタタールも、カタタの頼んだサラダもレアステーキもデザートもコーヒーも「う・まーーーーーーーいいい」ここで裕子&明日香は今後の共「ショパン」(ポーランドのウヲッカで、その後2人はグダンスカ中のショパンを買い占めていくことになる)に出会う。明日のオシュウフィエンチムまでの行き方も調べた。

ポーランド2日目Gdansk・旧市街で

2005-10-26 | 05ヨーロッパ
アパルトマンの朝食は黒パンにチーズやハム、サラダ、卵など簡単なものなんだけど、うまいうまい!チーズやハムが何種類も出してくれるので、サンドイッチ作って今日のカタタ非常食にする♪東雲の3人は、リハーサルまでけっこう時間があることと、せっかくポーランドへ来たんだから、アウシュビッツへ行こうと計画をたてた。借りた地図を片手に、トラムに乗り込みチケットを買うために運転手さんに声をかけるが反応ナシ!「ポプロッシェン」と覚え立てのポーランド語を使ってみるがダメ。回りのおばちゃんたちもダメなアジア人を助けようと一丸となって運転手に伝えてくれるが応答ナシ!!そのうち助けてくれた人たちも降りて行き・・たぶん地図にのっている中心の駅に行けばいいんだろうとはわかっているものの、それがどの駅なのかも見当がつかない。30分くらい乗った後、ようやく根負けしたのか運転手がチケットを売ってくれたので、回りの人がやってるみたいに改札のジーコン(口に切符を入れるとジーッこんっと穴を開けてくれるマシン)に通して。さて、身振り手振りでとなりのおばちゃんと『ここで降りたいのですが』『そこで降りるよりこの辺で降りると楽しいわよ!(予想)』『そうですか、ありがとう。でも、この中心地に行きたいので今どこか知りたいのです』『ああ、この辺はなんちゃらがとっても有名で、そうそう、ここも行きなさいよ(予想)』と親切にも教えてくれた。そして、その人も降りていった・・扉は閉まり・・「しまった!!アレが中央駅じゃない?!!」慌てて次ぎの駅でおりる3人裕子さんの旅前にゲットした中古ガイド本によると、ここは旧市街。グダィンスカは港街。とにかく駅のツーリストインフォメーションに行き、街の全体地図を入手。駅構内で特急列車の時刻表をメモし(クラコフと書いてあるのを見つけ)ちょっと街をぶらぶらしながら予定をたてる。昔の粉ひき所や木造クレーンらしきものを見ながら、戦火にまかれたこの街を国民たちは力をあわせて元通りに復元したのだというガイド本の手引きをみながらぐるり1周遊。駅に戻り、切符をどこで買うのかインフォメーションに2回も聞きに行き、もくろんでいた時間の列車は今の時期ないということがやっとわかり、またもや予定たてなおし!!マクドナルドでお茶しながら食べたチキンがマクドナルドじゃないほど旨い!のにびっくりしながら列車決定。いざチケットを入手♪ようやく手にいれた明日の朝のクラコフ行き。いやー1日かかってしまった。サバイバルもしたし、旧市街も見たし、夜のzacで食べる夕食はポーク?カツレツにスープも本当においしいし(このスープの味付けはなんなんだろう今までに食べたことないぞ)敦志さんたちともおどりの話しで盛り上がるしワクワクは止まらない!

パリ→ポーランド移動の日

2005-10-25 | 05ヨーロッパ
案の定、ホテルの人が迎えにきてくれた時、誰一人として起きれなかった・・ばたばたばた。パリ、バイバイ。今度来たときはもっとうまいもの食うぜ!パリでは英語まったく使わなかったねーなんて話しして飛行機へ。ヨーロッパ内だからか出国や入国のむつかしい手続きはなく、すんなりポーランド入り。到着した街はポーランドでも北の港街グダンスクGdansk。空港には今回うちらを受け入れてくれたカーシャという女性が自転車で(!)来てくれていて、タクシーでさほど遠くないところにある劇場"ZAK" Cultural Cnetreへむかう。今回の舞踏フェスでメインに入っている竹之内敦志さん(川本は一昨年のExitで彼と会っている)が昨日からワークショップを初めていて、さっそくそれに参加させてもらう。呼吸から始まり、両手で色んなものを抱き込む、歩く、その人の立つ、死にむかって歩く。など5時間のWS。あまり人のワークショップをうけたことのないカタタにはとても新鮮だった。敦志さんと共に活動している音楽の小宮広子さんは石や鈴、鐘や太鼓、見たこともない素材などをつかって音を出していく。それが、絶妙の間をもって作られていくのが素晴らしくおどっていても刺激的だった。カーシャやワークショップに参加していた人たち、敦志さんらと共に夕食をいただきながら、暖かくむかえられ、おどりの話しをし、スープのおいしさにびっくりしながら、ポーランドスタート!!

パリ観光

2005-10-24 | 05ヨーロッパ
昨日は、あてどもなく街をさまよったので、今日は計画をたててみた。オペラ座→美術館→夜のショーの3本立て!といっても情報がないので、劇場でネットを借りてみるけど、さっぱりわかんなくって直接行ってみることに。オペラ座どーーーん。またも、たちくらみしそうになる。パリは物の怪より人の像が多い気がする。たくさんの視線と金ピカにやられる。建築や内装などスバラシイ物だらけだし、ひとつひとつは目をみはる物ばかりなんだけど、ここまで隙間恐怖症の上の上をいかれるとなんか執念がなにを倒したいの??と勘ぐってしまう。舞台ではリハーサルをやっていて客席に入ることはできなかった。小さな明かり取りの窓みたいのから、ちらーり小さい人影を確認したのみ。見たかったなぁ。ダンサーで今フランスに住んでいるレイちゃん(彼女とは97年にduoとか一緒にやった。オービタルリンクってのをやっている)と落ちあいカフェでパリのおどりについて聞く。なんとこの国では職業としてダンサーをやると、ギャラの半分が税金でもってかれるらしい!ポンピドゥーセンターに行ってみる。1階は電飾が苦手な感じで貧血になりかける。一番上の階まで透明なエスカレーターでパリをだんだん下にみながら上昇していく。ホントなら入れないチケットだったみたいだけど、「DADA展」に入ることができた。その後下の階の「BIG BANG展」もみることができた。日本でこんなに規模の大きい展示をみたことがないので、もう吸収できるものは全部すいこんでやるっ!と無我夢中で眺めていた。造形のものが得におもしろく、ジャコメッティなんかは生で見ないと意味がない!と思った。ベルメールの人形も初めて立体でみた。「みる」というのはやっぱりすさまじいね。衝撃も感動も感応も一瞬にして沸き立つし、脳味噌の開きも毛穴の開きも半端じゃない。ドーパミンでまくり。気がつくと時間が足りなくなってしまい、足早に出口を探して外へ。レイちゃんと再び合流し、夜ごはんを近くのレストランですましていざシャンゼリゼへ♪リドのショーを見るために列に並ぶこと小1時間。シャンペン付きの回だったのでほろ酔いでスペクタクルなショーを見る。ぶっちゃけ、ダンサーたちはどおってことないのばっか集まっていて下手くそさ加減だけが目立つんだけど、合間のシルク(サーカス技)や大道芸の人、スケートリンクが奈落から上がってきてスレスレの技を見せてくれたりには歓喜♪しっかし、スバラシイ衣装とセットだったわー孔雀まみれの衣装が欲しかった!!とまぁ、観光な1日でパリ最後の日をしめくくり。恐怖のパッキングおわらず、朝は間近なばたばた最後の夜でした。

パリ散策の日

2005-10-23 | 05ヨーロッパ
本日は、公演を見に来てくれた日仏会館の方にお呼ばれして、Odeon駅で待ち合わせ。古き良き時代を匂わせる路地に立ち並ぶ店店店。新進気鋭っぽい内装のお店で、ガラス張りのキッチンでは何やらシェフたちが腕を振るっている。ああ!楽しみ♪やっとフランス飯を堪能できるのね!!とワクワクしたのにーー選択ミスをしました。ワタクシ・・トマトとモツァレラのサラダはこの上なく美味しかった。チーズがうまいのはヨーロッパの特権とばかりにふかふかなモツァレラとオイルもまぁなんておいしいこと。。しかーし、メインで”タタール”を頼んでしまった。牛肉という言葉についフラフラと注文してしまったそれは、やく前のハンバーグ野菜抜き、味付け無し、一言でいうと肉のたたき。上に生卵がのっているが卵の直径の10倍はあったんじゃないかしら・・んーーーーっ食えねぇーーっ途中からまさに頂上が見えているのにその1歩が疲労で出せない登山家みたいになってきて、付け合わせの野菜なんかとうに食べきったし、塩も胡椒もバルサミコももう飽きた。冷や汗。。エスプレッソが幸せでした。さて、散策は始まる。3人は重いお腹をかかえて、サンジェルマン大通りをまっすぐ歩き、「あれはもしやサンジェルマンデプレ教会では?入るべきよー」と入りこみ西洋の教会に立ちくらみをおこす。ぐるっと巡って、外に出て今度は川の方へ歩いてみる。惜しくも今日は日曜日。アンティーク屋や画廊はそろってお休みなので、ショーウインドウを眺めつつ歩く歩く。「ああ、これがあのセーヌ川ね!なんて空!!」と感激。ヨーロッパの空は広いね!「ほら、あの手、セーヌに映っているあの手、どうしてあの手は水面で燃えているのかしら。ほんとうに水と火とはおなじものだわ」なんてナジャの一節を思い出しながら。なんだか大きな橋があったので、のんびりしている休日の人たちを眺めながら歩いていると、突然の喧嘩。ぼこぼこ顔を蹴られるおじさん。その音がすごく平和そうにみえたあたりの空気をかき消して、現実に引き戻す。ここまで来たら、シテ島まで行かなきゃとばかりに歩き。やっと到着ノートルダム大聖堂。外で鳩に埋もれて一体化しているおばあちゃんがいつ動くのかと見とれてみたり、鳩を呼ぶおじさんと少年のショーに感化された観光客がみんなしてパンをちぎって片手を大きくあげるマスゲーム的な一瞬をみのがさなかったり。そしてノートルダムの鐘が鳴ったので、中に入りこんでみる。回廊は時間が終わってしまい見れなかったが、突然に司教さんたちが奥の部屋からおごそかにあらわれミサが始まった。高い天井にひびくパイプオルガンの音。テノールの男性の声に会わせてお祈りする大勢の人たち。香炉のようなものでその場を清めてから司教さんはお祈りの歌を歌いだす。どのくらいその場にいたかわからないけれど、ミサの間じゅう大勢の信徒たちの足元でこっそりその空気を嗅いでいた。うすぐらい人人の柱の影で。遠くにあんなにもライトアップされた司教さんたちが見える。さらに遠く上の方にキリストとマリアの像。皆一心にお祈りの歌を歌っていた。さすがに疲れて、あとはふらふらと反対岸をあるきまわり、疲労困憊しながらベルビルの街へ戻る。今日は日本料理屋で、日本のビールでかんぱい♪

パリ本番2日間

2005-10-22 | 05ヨーロッパ
BertinPoireeでの公演は、3人にとって初心にかえる良い公演だったと思う。小さな小屋で、限られた灯体の中それぞれがソロシーンでそれぞれが立ち返ることができたと思う。カタタもたった一つの赤い照明が斜めから空間を区切る形で当てられた中密度の濃い時間をおどれた。このシーンでカタタに課せられている「がまんすること」は当初かなり難しかったのだけれど、立つ中で、静止した中で粒子のようにおどれるまたは全く停止する、ということがつかめたように思う。思えば、東雲舞踏は、立ち上げがパークタワーネクストダンスフェスティバルに「和栗のもとで踊っていたあの3人はどうしてんだ」ってことで声をかけてもらい、大きな空間での作品作りからはじまった。共同で作品を作り上げていきながら、川本がだんだんと演出としてやっていくようになり、海外公演などでもソロシーンはあるもののここまでお互いがソロをやるといった作りのものはなかったんじゃないかな。今年の4月に東京でやった「ど」初演から、芯に近づいたものがやれて嬉しかった。音楽のスカンクがいない中MDでやるのもカタタにとっては久々だったので、本当にカラダ一個でおどりきった!という感じ。良い通過でした。。。