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【251】石手寺(虚空蔵院)第五十一番

2008年08月20日 | 【四国八十八ヶ寺】

【251】石手寺(虚空蔵院)第五十一番

住所 松山市石手二丁目
宗派 真言宗豊山派
山号 熊野山
開山 行基菩薩
本尊 薬師如来

国宝 仁王門
重文 本堂、三重塔、護摩堂 訶利帝母堂、鐘楼、梵鐘 五輪塔、宝篋印塔

 伊予の大守越智玉澄により建立され、行基菩薩が薬師如来を刻み本尊としたのがはじまりです。法相宗安養寺と号していたが、弘法大師が堂塔を整えて真言宗に改宗した。
 道後温泉から歩いてすぐの所にあり、国宝の仁王門があり仁王像が運慶作といわれています。三重塔、本堂、大師堂、護摩堂、阿弥陀堂、鬼子母神を祀る訶梨帝母天堂等があります。

四国遍路の伝説
 昔、伊予の国浮穴郡荏原の郷に衛門三郎という強欲な長者がいました。ある日、門前にひとりのみすぱらしい托鉢の僧が訪れましたが、衛門三郎はこの僧が弘法大師であることも知らず、僧の持っていた托鉢を取りあげて投げつけました。ところがその後8人の息子達が次々となくなりました。これには強欲非常な衛門三郎も恐ろしくなって邪見をひるがえし、家を捨てて大師を訪ね四国巡拝に旅立ちました。
 しかし、いくら四国の霊場を回っても大師にお会いすることができず、遂に21回目の巡拝を続けているうちに天長8年(831)阿波国の焼山寺の麓で病いに倒れ、明日をも知らぬ身となりました。その時、弘法大師が突然枕元に現れて三郎の手に衛門三郎と刻んだ1寸8分の石を授けますと三郎は安心して息を引取りました。後に、伊予の豪族河野息利に男子が生まれましたが、何日たっても右手を握ったままで開きません。安養寺に願をかけたところ、手の中から衛門三郎と書かれた石が出てきました。そこでこの子こそ衛門三郎の生まれかわりと、石を安養寺に納め石手寺と寺号を改めました。

1998.08.18
2008.03.31

 

 

 


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