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【152】四天王寺 大阪 天王寺

2010年12月21日 | 【 近畿の古刹 】

【152】四天王寺 大阪 天王寺

住所 大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
宗派 和宗 総本山
山号 荒陵山
開山 聖徳太子
本尊 救世観世音菩薩

国宝 懸守、七星剣、丙子椒林剣 紙本著色扇面法華経冊子(98葉) 四天王寺縁起 金銅威奈大村骨蔵器
重文 西門、六時堂、石舞台 石鳥居、方丈 観世音菩薩半跏像など仏像8躯
備考 新西国霊場 1

 『日本書紀』に登場する四天王寺は、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折、聖徳太子が形勢の不利を打開するために四天王像を彫り寺院を建立したのがはじまりです。しかし、四天王像はすでになく、本尊は救世観音菩薩です。
 聖徳太子が四天王寺を建てられるにあたって、四箇院の制(帰依渇仰・断悪修善・速証無上・大菩提所)をとられたことが国宝四天王寺縁起にあります。平たく言えば、仏法修行の道場とした「敬田院」、病者に薬を施す「施薬院」、病気の者を収容し病気を癒す「療病院」、身寄りのない者や年老いた者を収容する「悲田院」の四つの施仏教の根本精神の実践の場として、四天王寺を建てたということです。
 平安時代に天台宗と真言宗の影響を受けるもののどちらにも属せずにいます。しかし、修行方法等は、天台宗の技法が取り入れられたりしています。太子信仰、 舎利信仰、浄土信仰に支えられた四天王寺は、天皇家、藤原氏の貴族の庇護のもと栄えてきたのです。と言いましても、天台宗の山門派と寺門派の争いに巻き込まれたり何時の時代にも争いの中に踏み入れていた寺でもあります。
 大阪南の真中にありながらここまで国宝、重文が残っていることがすばらしい。

新西国の御詠歌

  

ありがたや 法のはじめの 天王寺

 亀井に浮かぶ み仏の影


西国薬師の御詠歌

 

かしこしな 法のはじめの 名をとりて

なにわの寺は すえの世までも

(他の御詠歌)

ありがたや 法のはじめの 天王寺 亀井にうかぶ 不動明王

よつのそら まもれるてらに あとたれて ひじりのとくを あらわすかな

あみだぶと こころは西に うつせみの もぬけはてたる 声ぞ涼しき

父の里 立ち出で来たる 母の里 また立ちかえる 父の故郷 

勝鬘院 愛染堂 西国愛染1番御詠歌

愛敬を 授けて衆生を 救はんと 誓いや深し 愛染明王

 

 

 

 

供養する 安らぐこころ 観世音

四天王寺に 散り舞うさくら   


天王寺 市がひらかれ 賑わうて

読経流れ 何を願わん

    弘法大師の月命日21日 聖徳太子の月命日22日
    が縁日になって 拝観無料で賑わっています。
 

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