2014/01/14【小都知ノ峯】684m
丹生都比売神社⇒光明真言板⇒有王丸の墓⇒院の墓⇒八町坂⇒二つ鳥居⇒小都知ノ峯⇒六本杉⇒貧女お照の墓⇒丹生都比売神社
5.6km 10579歩
【丹生都比売神社】
住所 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
祭神 丹生都比売大神(にぶつひめのおおかみ)
高野御子大神
大食都比売大神
市杵島比売大神
国宝 銀銅蛭巻太刀拵(ぎんどうひるまきたちこしらえ)
重文 本殿 4棟・楼門・木造狛犬 2対・木造鍍金装神輿・金銅琵琶・兵庫鎖太刀・鍍金長覆輪太刀・鍍金長覆輪太刀・法華経・後村上天皇宸翰寄進状
備考 紀伊国一の宮
丹は硫化水銀のことで、秦始皇帝が永遠の命を得るために飲んだと言われる水銀のことです。全国の丹生川と言う川には、水銀が採れたことになります。主に朱色の顔料として重宝されています。神社仏閣に多い朱色はこの顔料で、防腐剤やシロアリ対策に使われたと思われます。また、金の蒸着に水銀が使われていた為に金銅仏にも使われていたようです。その水銀が、高野山をはじめ中央構造線に多く採掘されています。それらを一手に牛耳っていたのが丹生一族なのです。その一族の祀る丹生都比売大神は、天照大御神の妹神であると言われています。この丹生一族と弘法大師との結びつきなど、謎の多い一族で、渡来人であるとも言われています。
【丹生都比売神社】
二拍手と 霜踏む音似 八町坂 天野の郷の 丹生の大神
【光明真言曼荼羅碑】
オンアボキャ 光明真言 唱えして 高野の聖地 巡り参らせ
・大峯修験者の碑
高い石柱の四基は、大峯修験者(山伏)が大峯入峯に際し建てた碑で県の文化財指定されています。
・光明真言板碑
光明真言曼荼羅碑といい1662年に建立、時計の針の方向に梵字で光明真言が刻まれています。
・脇ノ宿石厨子
内部には、葛城修験の御本尊「役の行者」の石像が安置されています。
天野の里山
・有王丸の墓
平家打倒を企てた俊寛僧都の召使、有王は鹿ケ谷の陰謀に破れて鬼界ケ島に流され、さみしく世を去った俊寛の遺骨を治承三年(1179年)五月、高野山に納め法師となって主の菩提を弔い、天野に住み生涯を終えたといわれます。
・院の墓
院の墓と伝えられていますが、鳥羽天皇の皇后の侍賢門院(たいけんもんいん)の墓ではなく、院に仕えた中納言の局の墓と考えられます。
いよいよ八町坂の登山口です。八町ですから1.6kmです。
飴細工みたいな 霜柱です。
病み上がりですが 元気に登っています。
金剛童子の杖の跡 私は信心深い人間 決してこじつけとは言いません。
二つ鳥居へ登ってきました
二つ鳥居
天野の村 下の小森が丹生都比売神社です
町石道の町石路標
上古沢への四つ辻
町石道から右の山道に逸れます
小都知ノ峯683.5m山頂の石組
コウヤボウキかな
町石道に合流
以前 ここで高嶋監督に出会いました。
六本杉峠
・貧女お照の墓
高野山の奥の院に千年近くの間、光輝いている「貧女の一燈」と言われる燈籠があります。お照という少女が、自分の髪を売った金で養父母の菩提を弔うために献じた一燈です。
貧女お照の実父母の墓
心配してたんですよ。
団子さん、ご飯自分で作って他の家事もこなして
長くがんばってらしたでしょう。
うわーい、よかったよかった。
天野の里、また行きたいです。
とっても「うっとり」な場所でした。
まぁ 元気ですわ。
筋肉が落ちたとは言え 我が輩よりはるかに元気ですわ。
息切れする我が輩を尻目に どんどん登っていきますからね(笑)
天野の郷は 良い里山ですね。
お札と扇を納めて 破魔矢を頂いてきました。
お正月も成人式も終わって
落ち着いた頃を見計らってのお参りでした(ニッ!)
平家の滅亡間近という時代の名残が見てとれそうな場所のようですね。
のどかな里山の匂いも届いてきそうです。
奥様、順調に回復されましたようで、
久しぶりでお二人で歩く低山、なによりでしたね。
しかし
今日 もっと低い畝傍山へ行ったらへたばってました(笑)
やっぱり 退化した筋肉ですね。
無理せずに ぼちぼちと回復させて行きます。
ke-nさんも ぼちぼちと鶴見録地でリハビリしましょう。
コッコもそろそろ元気になってきたことだし
二上山あたり一緒に連れて行こうかと思っています。
当麻からだとキツイだろうから 峠から少し登る道を考えています。
時間が合えば いつでも連れて行きますよ~