【533】高天寺橋本院
住所 奈良県御所市高天350
宗派 高野山真言宗
山号 宝有山
開山 行基菩薩・元正天皇
本尊 十一面観音菩薩
養老2年(718年)高天山登拝の為この地を訪れた行基菩薩が霊地であることを感じ一精舎を建て一心に冥応し祈った。
或る日の事、念想中に容体より光を放ち香気漂う十一面観音菩薩のお姿が現われこの霊応に深く感じさらに修業を続け、困難と苦悩に屈することなく祈念し続けた。人々は、この姿に高天上人と呼び尊敬した。
元正天皇(715~724年)はこの功徳を仰いで、又高天の霊地たるを知り、寺地として与え、十一面観音菩薩を刻むことを許された(開基)。以来参拝する人々が後を絶たぬ程盛大かつ繁栄を極めた。又天平17年(745年)には聖武天皇(724~749年)発病の折病気平癒祈願をし、天皇より「宝宥山」の山号をいただくことになる。
鑑真和上(735年来日)を住職に任命されるなど、孝謙天皇(749~758年)も深く帰依され高天千軒と呼ばれ格式の高い大寺院で金剛転法輪寺七坊の一つとして石寺、朝原寺などと共に権威を誇った寺であった。又、葛城修験宗の根本道場として役の小角(634~701年)の修業した寺でもあった。
しかし、元弘の変(1331年)以後、南朝についた高天寺の修験僧高天行秀らが陰から援助していた事から北朝方の畠山基国(1333年)高師直(1348年)らにことごとく焼き打ちされ、延宝5年(1677年)住職頼勇の手により高天寺の一子院橋本院として復興なる迄350年余衰亡の一途をたどっていた。
橋本院の名前の由来
高天寺は南北朝時代に焼き討ちされたため、以前あった場所から本尊の十一面観世音菩薩立像などを移したとされています。そのときに、すぐ傍の池に橋があったことから、現在の橋本院という名になりました。
御詠歌
よそごとに ききしその名も 高天山 なくうぐいすの 声もみ法ぞ
橋本院へ再び 橋本院へ 3度目の花巡り 橋本院へ花巡り
2018/03/23 高天寺橋本院へ
アマナ咲く 古道歩きて 高天寺 白雲の峰に 観音の郷
雪の舞う 橋本院や 花閉じて 鶯隠れ 経も聞こえず
アマナの花は小さいながらも気品がありますね。
高天原という地名にもよく似合っている感じがします。
この辺りでもミスミソウが咲いているのですね。
お天気宜しく、春の花たちもめいっぱいに開いていて、
気持ちがよいですね。
福寿草やらミスミソウやらたくさん植えていて
案内していただきました。
アマナは まだ少し早いかと思っていたら
きっちり咲いていました。
檀家さんが草刈りしてくれるのは良いのだけど
山野草まで刈ってしまうと嘆いていました(笑)
それにしても極楽寺まで行くつもりが
汗びっしょりになって 引き返してきました。
車の中は クーラーがかかってました(笑)
今日はずいぶん気温が上がり、暑かったですねぇ~
高天原野草園のある所あたり
ですか?
色々な春のお花綺麗です。
アマナ、ミスミ草とても可愛い花、見てみたいです。彼岸桜も咲きだし、いよいよ春本番ですね。
高天原野草園のところです。
橋本院は 葛城古道を少し行ったところです。
古道沿いに スズシロソウがたくさん咲いていました。
目的は ヒメウズだったのですが
アマナを見付けてビックリでした。
桜が満開になる頃にもう一度行ってみようと思います。
此れも山に咲く花ですか?
葛城古道と言えば矢張り泉南方面に成るんでしょうか
由緒の有りそうな神社ですね、高天原と言えば
神さんのお祈りに出て来ますね。
平地の日当たりの良い土手や畦なんかに咲きます。
葛城古道は 奈良の御所市の金剛山から葛城山への山麓にある古道です。
お寺や神社がたくさん点在しています。
高天原は もちろんあの高天原のことで 神の降臨の地です。
天理から桜井までの山辺の道と同程度の古道です。
マンサクもすきですが、サンシュユも好きです。
今日は暑かったですね。
薄着で行きましたが、それでも暑かったです。
甘菜の名前とおり食べられてきたので
最近は ほとんど見かけない野草になってしまいました。
昔は たくさんあったのですけどね。
お寺さんは ほんとサンシュウユが多いですね。
何か仏教で意味があるのかもしれませんね。
確か 新西国の神峯山寺やったかに
サンシュウユの巨木があったように思います。
飴細工みたいですね~。
寒緋桜やミスミソウも綺麗!
また写真いただきました(≧∇≦)
昔は よくあちこちで見かけていたのですが
球根を採られるので 今や探してもなかなか見付かりません。