10時ごろ ケアマネさんが 来訪し
書類に印を 押して帰った
昼食に握り寿司と草餅を食べました。
戦時中に東南海地震があったのです。
相当な被害でしたとか。
三重県にも「 ここまで津波がきた 」と
石碑があります。
私たちは、戦後生まれですから
年配者に聞いたことがあります。
B29が空襲で爆弾を落としたのも
伊勢神宮と周辺地域です。
それと松阪から津から鈴鹿・四日市など
工場のある場所もB29の爆撃目標でした。
このときは、父は大阪にいたそうです。
大阪もB29の標的になったそうです。
奈良と京都は大丈夫でした。
古都として欧米に知られていたから安全でした。
先輩たちの話と談論で知ったのです。
戦争のさ中の大地震でしたよ。
だから、南部では、戦後に
有線放送で危機を知らせるように
なったのです。