「日本は謝罪を必要とすることなどしていない」外国人が語る真実!世界各国の要人の証言に衝撃!【世界が賞賛する日本】
5時台の 朝の陽ざしが マッカッカ
小窓に注ぐ 陽光・感謝


5:28 。


5:46 。
10時ごろ 物干し済ませ 昼前に
介護サービス 買い物依頼
( うっかり、味噌を買ってもらうのを忘れた 。 )
片付けて 書類にサイン 済ませたら
古代・朝鮮 この話なり
任那府があったことから、神功皇后の参観征伐の話に盛り上がった 。
業者さんとの話に、花が咲く 。

パソコンで 観て初めて 紀元5-6世紀の様子が分かった 。
百済があったことは、知っていたが、それ以上のことは知らなかった 。
百済の民は、日本語が通じていた民族であったこと。
高句麗と新羅は、別の系列の民族だった 。
ここに、卑弥呼が統治していたとか 。
そこへ、皇室の 神功皇后が行ったのですから、
卑弥呼と皇室は、密接な関係だったと考えるのが自然であると 。
そうすれば、私の疑問が1つ解けた 。
高度な知識と技術と科学的判断力を、備えていたのが、
古代人だったと確認できる 。
なぜなら、日本と半島を舟で往来するには、相当な知恵と技術と
航海の知恵が必要だからである 。
船が、古代ではカヌーのような舟だと聞いてきた 。
しかしまったく 優れた造船技術を使っていたと。
日本海から東シナ海の海域は、流れの変化と
暗礁の知識がないと渡れない場所。
そのため、水先案内人が舟を誘導しなければ転覆する 。
そのシステムが出来上がっていたことに驚く 。
また、船の構造が、水1滴も入らず、多勢をのせることができたことに、
驚く 。
現代の造船技術の原型が古代において、
出来上がっていたのが ヤマト民族と百済の民族であったと断言 。
だからこそ、卑弥呼が統治していたとしても、
学術者たちを抱えていれば、できたこと。
だからこそ、魏のクニにも、使者を送ることができた 。
古代人のすごさに脱帽よ 。
大和朝廷も、卑弥呼を評価していたと言えるのでは 。
古代歴史の書き換えが必要では 。
夏の花 時期過ぎてなお 満開の
秋を謳歌し 笑いの時よ

トリアングラリス


パイナップルリリー


夏水仙 = タマスダレ


イボクサ


イタドリ


おはようございます。