なでしこBLOG

短歌と俳句のおもしろコミュニケーション広場

ユラリと写真:暮らしの悲喜こもごも  

2022-11-30 09:56:10 | 冬のステップ

明日からは  師走となって  年末へ  

まっしぐらだよ  早いもんだネ      

 バコパコピア  

       

電話にて  日時計日記   届いたと  

友から話   良かったニコリ       

 

お互いに  年を重ねて  今もなお  

元気な声に   喜ぶ姿     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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方丈記を真似て2集:鎌倉 

2022-11-30 03:42:07 | 撫子の歴史探訪で

鎌倉と  題する歌の  5番目は   

静御前の  悲しみの句よ     

        

若宮堂の  舞の袖  静のおだまき 

わかみやどう  まい  そで  しず   

くりかえせし  ひとをしのびつつ 

  

義経の 子供を産んで  男児だと  

引き離されて  悲しみ謡  

           うたい

北条政子がそれだけは止めてと懇願  

頼朝は信頼する部下に男児を預けたよ 

武士の子で、負けたときは男児が殺される決まりが

出来たのもこのころだと思うよ。 

 

義経は、平泉には立ち寄っただけで

すぐにアイヌ人と共に北海道へ行ったのである。

函館・帯広・札幌あたりには、

義経神社とか弁慶神社が多数あるよ。

平泉で殺されたのは替え玉でした。

弁慶の服を着た替え玉が立ち往生した。

すぐに火を放ったので骨しか残らなかった。

だから頭を箱に入れて鎌倉殿に差し出した分けよ。

義経は  アイヌに農耕を教えた。

弁慶が亡くなったあと 

単独でウラジオストックへ行ったよ 。

そこで蒙古人と接触し、日本は

食料も豊富で天国だ と語った。

それが、後の元寇になったよ 。  

北条時宗のときよ。

ウラジオストックには、義経の神社と鳥居があるよ。

いまでもあるかと思う。

それらのことが欧州にも伝わって

東方見聞録にも掲載されたことがきっかけで

ジパング目指せ!!が合言葉のようになったよ。

 

 

  

   

 

 

 

 

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危機回避:中国の暴動は

2022-11-29 21:01:58 | 撫子の旅行

今、上海で暴動が起こっているよ。

住民たちも、学生たちも、

習近平のやり方に、カンカンになって怒るよ。

   

大弯と日本が危ない。

なぜなら、ボートピープルの来ることが分かる。

大弯に侵入しているからよ。

中華民国を結成するとか。

大弯の有事は日本の有事よ。

おき縄も危ないよ。

自衛隊さんの出番がすぐ目前にあるよ  。

   

このことが  沖縄県の  知事さんに  

理会できるか  心配するよ  

 

 

 

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緊張感の中で:危機回避  

2022-11-29 20:08:34 | 危機回避

入浴を  済ませてさあて  寝ようとし  

戸締りの後  ドーンと音よ      

避雷針  雷さんが  突如として  

飛びついた音  闇夜の事件    

電柱は無事だよ。

家々の  あかりも無事よ  助かった   

わが自治体は  災害防止よ    

冬眠中のアマガエルさんは、

網戸にへばりつき冬眠中よ  

アハハハハ・・・・。

笑ってやって下さい。   

高架橋の避雷針でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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なでしこの歴史観:方丈記を真似て2集

2022-11-29 06:28:41 | 撫子の歴史探訪で

キオイサカ  

紀尾井坂   明治維新で  家禄とか   

失った武家  反乱起こす 

  

キ:紀州  オ:尾張 イ:井伊直弼  

この武家は  江戸城にすぐ  御家人の  

中の衷心  家禄没収   

水戸藩は、白虎隊で有名になったのである。

大久保利通が長官として実行した。

このことから、武士たちに襲われたのである。  

三重県は、確かに困惑した武士もあったが、

紀州と尾張の目付け役に睨まれていたので、

解放気分だった。

伊勢神宮や高田本山があり、

伊勢参りは継続されていたので

そこに、明治天皇の行幸も重なって  

武士も民間人も\(^o^)/だった。

125社の直轄お社の守が一挙に花開いたよ。  

それぞれの藩の城は、文化財としての

価値を発揮したよ。

睨みを解放されて、良かったよ 。   

鉄道網や道路整備や洪水に強い橋造りなど

技術革新にまい進したよ  。   

三重県の知恵が京都の観月橋にも

使われていますよ。 

神宮の宇治橋の工夫にも古代からの知恵です。

式年遷宮の時、橋桁の支柱が残されています。

あえてそうしたのです。

洪水の回避のためですよ。

私が20歳のころ、皇学館の官庁さんから

話を聞いたのです。

三重・奈良・京都

これは歴史上の要ですからネ!!!

 

 

 

 

 

 

  

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