ど根性 染井吉野が 昨年に
咲いてみごと 今年も期待
昨年に咲いた 染井吉野 。
今年では 3月終わり まだ蕾
チラチラ開花 し始めるなり
庭の草 茫々になる 草の名は
ツルのカラスの エンドウという
花壇・庭 所狭しと 生えまくり
ツクシも長けて スギナボコボコ
( 出入りの出来るまで草取りをした 。 )
< 自然からのメッセージ ・ 南北朝戦争で >
日本の南北朝の行方と現代の日本と、色々 。
南北朝は、なぜ・だれが、なんの目的で、
戦争となったか。
その後の行方は?
ようやく、今になって分かったことがあるよ 。
江戸時代の 水戸光圀公が 「 シシツガイシ 」で
明らかにした部分と、その後の行方 。
数年ほど前に、兵庫県の湊川神社に旅行したことがありました。
なぜ、湊川の戦いなのか?
疑問でした。
それが、アベノミクス一族と関係があるとわかったよ 。
というより、山口県と南朝の関係です 。
だからこそ、湊川の戦いだったのです 。
この続きの話は、後日にします 。
私が歴史上の楠正成のことを、子供のころに知っていた。
それは、女の子の間では、手作りの 「 お手玉遊び 」の
歌として、 「 桜井の別れ 」の歌が受け継がれていたから 。
私も、近所の子供たちと、 お手玉遊びをしたから知っていた 。
あーおば しげれる さくらいの さーとのわたりの・・・・
と、歌いながら、お手玉を ほおり上げる 。
それで、楠正成 と 正行親子のことを知っていた 。
この続きは、明日にします 。