なでしこBLOG

短歌と俳句のおもしろコミュニケーション広場

平井憲夫さんと原発の影    

2012-08-03 15:32:15 | 自由日記
平井憲夫さんは  1997年1月に被曝で逝去  
1級プラント配管技能士として、腕利きのテクニシャン。

20年間、配管工事などを手がけてきた人である。
その遺稿で、愕然と。


マインドコントロール(洗脳教育)を受けて、自らも、
現場の洗脳教育に、従事。   
安全神話を、絶対視するように。被曝を恐れぬように。



1989年     : 福島第二原発で 再循環ポンプがバラバラに。


1991年 2月  : 美浜原発で  細管破断事故    


これらの事故は、ECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で。原発を止めた。   
このような1億総被曝の危機的事故が、たびたび起ってきた。   


たとえ話では:  1億人を乗せた高速バスが、時速100キロで、ブレーキがなく、暴走するようなものだと。


1995年 12月8日  福井県の動燃の「もんじゅ」ナトリウム漏れ事故     
一歩間違えば、同じこと。     


ー フランスでは ー     
日本が、フランスへ依頼して  プルトニウムを(再処理)。    
1995年  フランスは、  南太平洋で核実験を。    

このとき、日本の再処理核生成物つまりプルトニウムを、原爆に使ったと。

核爆弾も、原子力も、プルトニウムは、なんら変わらない。


その結果、 タヒチの人たちが被曝。


イノチと引き換えに、事実を残した。     

これ以上、歴史を繰り返すつもりか。


日本人の恥かも。   

  
       

  

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