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短歌と俳句のおもしろコミュニケーション広場

tanigawa kotosuga = 谷川士清 

2019-02-25 00:02:02 | 撫子の歴史探訪で

谷河士清は、ご当地(三重県津市)の

江戸時代の  津藩の御殿医の家系の産まれであった   。

賀茂真淵・本居宣長・谷川士清  の  三傑  

 

谷川の生死については、1709-1776  。 

なぜ、三傑 ?   

賀茂真淵   :  万葉集 考  

本居宣長   :  古事記 伝 

谷川士清   :  日本書紀 考  

 

それぞれの分野で、解読したこと。  

江戸時代の平がな・カタカナ・漢字  混じりの解読です。  

賀茂真淵と本居宣長との接点は、  

賀茂真淵が、松坂に来て、宿に泊まったとき、

ひと夜の子弟で、教えを請い、

今でいう通信教育で解読の手がかりを知った  。 

3傑は、ほぼ  20年の差で、出生  。  

御殿医になるには、15歳で元服すれば、  

京都の貴族の家系で、薬草に精通している所へ勉強に行く 。  

これが、御殿医の使命  。  

本居宣長 も  谷川士清 も、5年間の就業を積んだ  。  

 

谷川が医者になり、 日本書紀の解読に当たり  

江戸のコトバと古語を  カード化して、 

母音と子音からなる  日本語の

発見をした。  

先に、医者になっていた本居宣長と

交流した。

 

これが縁で、本居宣長は、古事記の解読に

五十音図を使わせてもらう許可を得た  。  

 

3傑のうち、2傑が、ご当地出身  。  

しかも、伊勢神宮にご縁のある土地柄  。  

誇りに思う。  

 

この五十音図が、ローマ字の基礎となり、

現代のパソコンの文字に使われているのである。  

また、学校教育の基礎となっている  。  

あいうえお 

 

 

 

 

 

 


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