私がなぜ動画を尊重するか?
たくさんの愛国心に目覚めた知恵者を支援する
覚悟を持っているからです。
私は戦後の生まれですが、
日本の歴史をイデオロギー教育で受けたことは
一度もありません。
日教組の教育も、右翼も教育も受けてません。
私たち田舎者の教育は、
小学校の校長先生が中道の教育をモットーに
先生と子供たちの人権を尊重し、
なおかつ日の丸を行事のときに掲げて
国歌を歌っていたからです。
そんな校長先生が、10年以上もいて
下さったおかげです。
だから、先生方も人権が守られ、転勤する先生が
生徒の前で涙を見せるほどでした。
だから、イデオロギーに染まることは
ありませんでした。
戦前の良き歴史とマナーを尊重し、
かつ人権の尊重と子供の教育の要と
なっていてくださったことに感謝です。
いまでの校長先生の顔が浮かんできます。
戦前の 「 勝つまでは・・欲しがりません 」
のような隣組の強制も、戦後の教育の混乱も
そっちのけでした。
だから、天皇陛下が列車で通過するときは、
日の丸の旗を振っていました。
日清戦争・日露戦争・515事件・満州事変・
太平洋戦争などの真実は、田舎で
8ミリ映画が観られた時代でした。
都会と違って、GHQの手の届かない地域で
したから、よかったのです。
中学生のころから、イデオロギー教育が
始まったようですが、
中学の校長先生が素晴らしかったので、
イデオロギーには無関心でした。
都会の巷では、ジグザグのデモが横行し、
安保60年のデモ。70年のデモ・右翼の街宣車
真っただ中で青春でしたが、
どちらにも染まることはありませんでした。
それが、田舎の私たちの真実です・
だから、友の死に直面したときは、
先生と共にクラス全員で
告別式に臨んだこともありました。
だからこそ、アメリカのウソも、
中国の戦略も半島のチグハグも
出鱈目であることが分かっていたのです。
一方の日本政府の出鱈目と弱腰も
分かったのです。
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