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短歌と俳句のおもしろコミュニケーション広場

太陰暦:如月五日:方丈記を真似て2集

2023-02-24 01:41:15 | 撫子の春

丑三つの  真夜中のこと  目が覚めて  

キッチンに立ち  朝餉の準備     

故郷の  田舎の小道  本山に   

続いているよ   夜明けはまだよ   

本山の池のそばに  ハヤト三葉つつじ  

いつも来た  何がなくとも  不思議なる  

心の底の   叫びと化する  

 

親鸞聖人の心は、民の心の回帰を

受け止める力があるよ。  

若者も、一度は礼賛するが良い。   

藤堂高虎が、この地を無償で提供したのが本山になった。  

だから、真宗高田派の総本山が建造された

ことへの感謝です。

江戸時代は、このあたりが砂浜で、

あとは海になっていたのです。

地震や台風に強い地盤にするのは、

至難の業でした。  

奈良時代には、一身田として

口分田の開墾の地でしたよ。  

38家族が、開墾のため集まってきたのです。

砂浜を稲作用の田んぼにするのは、

四苦八苦でしたよ。  

江戸時代に、かろうじて本山の土地に

まで気来たのです。  

伊勢別街道からの延長上に、道しるべとなる

道標がありますよ。

昔の県道10号線があったのが街道の印です。

宿場町  門前町  関の街道筋  伊勢街道への道  

奈良県に続く熊野古道  大阪・京都への亀山からの古道  

上野・名張の古道  キリがありません  

いずれの古道も、死に線と言われる

ほどの厳しい往来です。  

うっそうと樹木の茂った中の道は、

夕暮れが早く朝の日の出は遅い。  

野宿は危険です。 

斎宮への道も、その道にたどり着く

までが大変でしたよ。 

断崖絶壁の古道は、落ちたら死にます。  

たくさんの人の命が失われました。  

いまでこそ、関西線とJR線と近鉄線と

高速自動車が走るから便利になりましたが、

紀伊半島の厳しさは今も同じです。   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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