慈悲とは、4つの概念である四無量心
どうでもええわ🐌
慈・悲・喜・捨
言葉はどうでもええねん🐞
「慈しみ」の心。他人や相手の楽を望む心です。
一番簡単ですね。
日々是、慈しみの心🤟
「悲」の心。他者の苦を取り除いてあげたいと思う心です。
これは簡単ではありません。
下手すると自分がとばっちりを受ける。
コロナウィルスみたいなもんですわ😷
「喜び」の心。他人の幸福を自分のことのように喜ぶ心です。
これも「苦」と同じですね。
何が幸福で何が不幸なのか、他人にはわかりません。
なので下手するととばっちりを食う🤭
「捨」の心。仏教では、平静。相手に対する平静で落ち着いた心。動揺しない落ち着いた心を指します。
上の2つと矛盾しますね👆
悲と喜があるなら、捨はない。
捨があるなら、悲と喜はない。
仏教は方便に満ちています。
教科書を丸暗記してもダメー🙅🏼♀️
これこそが、計り知れない仏陀の慈悲♡
悟ったつもりになっても意味がない。
スピ系が愛してやまない「腑に落ちる」も、
なんかねぇ(*´-`)
あやつらコロコロ変わるからな🐁
実は何もわかってないんちゃうか?🐀
私は、翻訳の過程で「捨」の漢字が使われたことに神意を思います。
お前が翻訳してんのかよ🌵
この漢字の通り、「捨てる心」が大切だと感じます。
何を捨てるかが問題だ🍄
これは、他人を捨てるのでは無くて、
そうとも言い切れない🌳
他人が、嫌がることは、捨てること。
それは「慈」に含まれます。
そんなことより、
悪口をやめようキャンペーン捨てません?🐣
嫌なこだわりを捨てる。
悪口へのこだわり捨てません?🐥
嫌な執着をすることを捨てる。
仏典の翻訳とか🐙
仏の心を知らないのに翻訳なんかできるわけない。
そもそも日本語も満足に知らないのに、翻訳できるわけない🦀
「慈・悲・喜・捨」の心が自分に大きく育つほどに、自身が菩薩、観音様に成って行くと感じます。
逆でちゅね🐹
菩薩、観音様だから、慈悲喜捨が大きく育つ。
菩薩は菩薩、観音様は観音様、
ボーはボー。
最初から決まってんだよ🐰
しかし、
この世に生まれた時はみんな一緒。
スタートはみな平等。
人生経験の中で徐々に自分らしさが顕現するのです。
=真我実現🌟
菩薩が現れたり、観音様が現れたり、
それを見たボーは自分もそうなりたいと思い、なれると信じ、修行に励む。
=願望実現✨
仏典を読み、瞑想をし、慈悲喜捨を心がけ、
やればやるほど、全然菩薩から遠いよねー😹
弥勒曰く、
私を追ってはいけない。
追えば見失うだろう。
自分自身でありなさい。
他人のあとを追ってはいけない。
もし他人のあとを追うなら、あなたは個性を失う。
個性の輝きなしに、人生における進歩はない。
弥勒は真我実現の術を教える。
願望実現メソッドでは、あ・り・ま・せ・ん👆