教育者であり神秘家でもあったルドルフ・シュタイナーは、
またルドルフかよ🐌
いっぱいあってな🐞
(1)死後に直ぐに訪れる魂の体験は、いままでの時間の流れの中で体験した点の経験では無くなる。
自分が死んだ地点から、自分が生まれた時に向かって順番に逆戻りして、人生で体験した全ての事柄をもう一度、再体験をすることになる。
なるほど🐱
人類は点の経験をしているですか🐶
(2)その時、自分の人生での全ての出来事が、霊的に眼前に現れる。
誰もがその人生での全ての出来事を、逆の立場で、あるいは別の内容で、あるいは関係した相手に自分が成り代わって体験することになる。
何のためにそんなことを?🐇
生きてる時にやった方がよくない?🐥
死んでからやっても意味なくない?🐣
死んでから人生を振り返っても遅いよねー(*´-`)
(3)例えば、ある人物が
激しい怒りから相手に肉体的あるいは精神的に苦痛を与えると、その人は死後、自分がその時の相手が感じた苦痛を受ける体験をするとですか?🐢
なんのために?🐛
(4)死後に、相手の立場に成り代わる体験は、自分の魂が浄化をするまで続く。生きて来た年齢の約1/3を要するだろう。
(以上)
魂の浄化のためですか🍄
私が書いて来たことと、ほぼ一致します。
ある意味そうでつね🐹
しかしボーが夢想しているのとは完全に真逆ちゅー🐰
ボーによれば死後の世界に時間はない。
コノ世での思いが継続する。
アノ世で人生のすべてを見せられ後悔する。
穴があったら入りたい。
生きてきた年齢の1/3を過ぎても魂の浄化は起きそうもない🐭
ただ、シュタイナー独自の新しい指摘は、
・相手の立場に成り代わる体験は、生きた年齢の約1/3を、アノ世で要する。
要するにシュタイナーはポジティブ、希望的、光的🦩
ボーはネガティブ、絶望的、闇的🦢
シュタイナーの死後の説明を読んで、改めて感じますことは、ことわざに有ります、
・「情けは人の為ならず」
他人にかける情けは、その人のためになるだけではなく、巡り巡って、やがて自分のためになるということです。
シュタイナーはそんなこと言ってなくない?🐯
逆の立場、別の内容、あるいは関係した相手に自分が成り代わった時、その人はどんな体験をするのか・・・
いろんなパターンがあります🦋
例えばマロのお客様。
将来を嘱望された自慢の兄が、夏休みの終わりに小6の長男を連れて恩師の別荘へ遊びに行き、そのまま帰らぬ人に。。。
みんなで散歩中に長男が「あっちに道がある!」と走っていったので、ダメだよー😱と追いかけて、
2人とも崖から落ちてしまったんやて🦖
悲しいですねー(_ _).。o○
青山女子短大の講師でシカゴ大の博士課程だったかな。
夏休みで帰国してたみたいです。
人々の深い悲しみが自分のことのように感じられたです。
。゚(゚´ω`゚)゚。
でもお客様は泣いてる暇がなかった。
残された妻を支えなきゃ!
次男はまだ小学校の低学年だったしね。
で一緒に暮らすことにしたんだって。
それは心強かったでしょうねー^ ^
と思いきや、
「すごく嫌だった」ってあとで言われたんですって😷
うそー!🙀
とその時は思ったけど、よく考えてみたら義妹夫婦、&その子供たちと一緒に暮らすなんて逆に苦痛かもね。
彼女は教師だったから、経済的にもそれほど困窮してなかったんじゃないかな。
よかれと思ってやったことが逆に相手を苦しめることになった。
でも嫌なら嫌ってハッキリ言えばいいのだし。
あとになって「あれはすごく嫌だった」なんて言ったら相手が傷つくし、親切にしてもらったのに失礼だよね。
そういうのは墓場まで持ってった方がいいですね( ^ω^ )
ってことで、死んでから相手の気持ちを知って愕然とするなんてことがあるかもしれない。
が、だからどうってこともない。
いろんな人間がいるなって知ればよい。
それによって自分の行いが否定されるわけではない( ◠‿◠ )
幼児虐待で子供を殺した親は、自分が死後に逆の立場を体験することでしょう。
他人を脅迫したり、誹謗中傷したことは、いつか本人に必ず返ります。
すべてボーに返ります🐮
全ては完璧であり、公平だった。
これからの生き方の参考に成れば幸いです。
幼児虐待で子供を殺した親になってみたら、想像してたのと全然違ったりするものです🐧
鬼子母神っていうのもいるしにゃ🐦
背景はいっぱいあってな🐍
人の数だけあってな🕷
その人の背景を知りもせずに、誰もがと言って脅迫したり誹謗中傷したことは、すべてボーに返ります🦕
穴があったら入りやがれい🐉