1968年5月、パリは揺れていた。
マロ子はビートルズを聴いていた🎧
教育改革を訴えた学生たちが街頭で声を上げ、
やがて資本主義体制そのものを批判する大規模なデモとなった。
パリは揺れてますねー🐢
自分たちの都合によって、あるいは調子に乗って、
デモの内容がコロコロ変わるんすね🐛
マロは小さい頃から資本主義そのものを批判してましたで🐧
心の中で🐦
「私は世界を平等にしたかったのです」
1970年、理想に燃えたクシュネールが活動の場として選んだのが国際赤十字だった。
マロ子が国際赤十字を選んだのもその頃だった🐱
ナイジェリアでは当時、分離独立を主張する東部のビアフラと政府との間で紛争が起きていた。
そうだったでつかー🐇
政府はビアフラへの食糧の供給を遮断。
人々は想像を絶するような飢餓に襲われる。
なるほどにゃ🐯
マロ子はビアフラの子供たちを励ます活動に参加したけど、
飢餓の原因は貧しさだと思ってたわん🐶
子供たち全員が飢餓状態に苦しんでいました。
栄養失調で次々と死んでいく姿を見守ることしかできなかったのです。
まあそうでちゅね🐹
クシュネールはこの事実を世界に発信すべきと考えた。
しかし、
中立な立場をとる国際赤十字は、現地の政治に一切干渉しないことを医師たちに求めていた。
ああ🦙
クシュネールは見たことを口外しないよう、誓約書まで書かされていた。
マロのお仕事も秘密厳守が義務づけられています🦩
中立でんでんではなく、お客様は神様なので🦢
私は誓いに背き、ビアフラの惨状を告発しました。
子供たちが死んでいくのを黙っていられませんでした。
国際社会への働きかけが必要だと思ったのです。
結局赤十字を辞めざるを得なくなり、
1971年12月、国境なき医師団を創設🦜
一つだけ譲れないルールを決めていた。
現地の様子を告発しなければ改善されません。
私達は医療を行うだけでなく、声を上げることも誓ったのです。
そっかー🐣
マロは何も誓わない🐀
たまーに声を上げることもあるけど、ほとんど沈黙してますね。
告発したいことは山ほどあるけどさ。
告発してもしなくても同じでちゅー🐁
改善されるかもしれないし、されないかもしれない。
人間の意識次第🐕
今のところ改善の兆しは見えない。
不正も、不平等も、暴力も、
そんなことより家のローンの方が大事。
金のためなら何でもあり。
それが人間なのだ🐈
間違ったことをやめさせるのは容易なことではない。
一つやめても次がある。
意識が変わらない限り、負の連鎖は終わらない🐞
自分にとって都合のいい政策は他の人にとって都合が悪かったりするし、
多様性賛美は、なんでもアリのエログロ社会の創造につながるし、
男女平等は、か弱い女性をこき使う戦略だったりするし(๑˃̵ᴗ˂̵)
SDGsという意味では長続きしそうもない🐝
一時的に痒みを止めるだけ。
いずれ戦争が始まるでしょう🦋
ちなみに私は、この国の政治に干渉しません。
赤十字の精神を貫いております。
ギャハハ(⌒▽⌒)