祈りを、うたにこめて

祈りうた(メメント・モリ  八年後ー二〇二二年のメモ)

八年後―二〇二二年のメモ

 

 1 

  「二〇三〇年、あなたは何をしていますか」―そんな問いかけで始まる自動車のコマーシャルを見た。
 ―二〇三〇年、さて、わたしは何を…。
 そう自分に問いかけてみようとした。だがすぐに、
 ―あと八年だな。
と思った。「たった八年か、短いな」ではない、「八年も先だな、ずいぶん先の話だな」と思ったのである。
 そのコマーシャルに出てきた人たちは、口々に自分の希望や夢を語る。いかにもうれしそうに。八年後の自分は当たり前に生きている、そう信じ切っている顔だ。皆若い。日々生を積み重ねていると思っているのだ。
 ―わたしがあと十年若かったら…。
とも思った。八年後の自分に胸をふくらませることができたかもしれない。
 コロナ禍のなかでも、いや、獰猛(どうもう)なウイルスがもう二年も全人類を引き裂き、縮こまらせているこの中だからこそ、決して遠くはない明日に期待するのだ。
 メメント・モリ。―いつ死が訪れるかヒトにはわからない。だから、死を覚えて今を大切に生きなさい、一事一言をていねいにしなさい。
 わたしは幼いころから、死に対して親しい思いをいだいてきた。恐れも不安も感じながら、一方で死は解決であり安らぎであるという気持ちも持ってきたのだ。
 メメント・モリ。―この言葉を知ったのは十代の終わりだったと思うが、なじんできた言葉だなと思った記憶がある。「死を忘れるな。死すべき己であることを覚え続けよ」
 わたしはもう若くない。コロナ禍の状況に置かれていなくても、死が現実のこととして迫りつつあることを感じている。実の父・母・姉はもういない。義理の父・母もいない。祖父祖母も、近い親戚の幾人かも亡くなった。会社でお世話になった上司も、中学や高校の同級生の数名も、すでにこの世にいない。
 年賀状をもらって、「彼・彼女は元気でやっているんだね」と思わなくなった。「ああ生きていたんだね、この一年」。そんなふうに思う。命はいつまでもあるもの、という年齢ではないのだ。
 それでもわたしは、あえて問うてみた。
 ―わたしよ。二〇三〇年、おまえは、「十年日記」の三冊目に毎日綴っているか?
 ―わたしよ。二〇三〇年、おまえは、毎週教会へ通っているか?
 ―わたしよ。二〇三〇年、おまえは、妻と笑いあい、口喧嘩をしあっているか?
―わたしよ。二〇三〇年、おまえは、息子たちやその家族の幸せを祈り続けているか?
―わたしよ。二〇三〇年、おまえは、戦争と差別と飢えのない世界を望み続けているか?
 不思議なことだが、そんな問いかけをしてみると、
―よし、それまで生きてやるぞ!
というファイトのようなものが、腹の底のほうから湧いてくるのである。

 

 

 

 二冊目の十年日記」を買うとき、ずいぶん迷った。一冊目はそれほど考えずに買い、十年使った。二冊目は、老い先を思った。これから十年後の歳まで私は生きているかどうか、なにか怪しい気がしたのである。
 「五年日記」にしようかとか、「三年日記」もあるなとか、書店の棚の前でしばらく腕組みをしたのだった。
 結局買うことにして、すでに五年経った。今「五年日記」の状態になっている。
 五年前、コロナ禍はなかった。ロシアによるウクライナへの侵略戦争もなかった。それでも、時代の不安定さや自分自身の健康などを考えると、五年先十年先に自分が生きている、そのことに大きな期待を寄せる気は湧かなかった。二十代三十代のときのように、十年先は「中期計画」であるなどとは到底思えなかった。
 五年経って、現在の世界や日本は、もっととげとげしくなっている。不安定が当たり前のようで、安定できる平らな石が見つけにくいありさまだ。ミサイルや弾丸が世界の少なくない地域で夜昼飛び交っている。差別は根深い。餓えた子どもの数はいかほどか。
 「愛」が瀕死状態のなかで、自由とか平等とかは、ほんの一握りの者たちの特権と堕してしまってはいないか。
 そして私自身、老いてきた。妻も病をかかえている。二人でこの先の五年を望む、その谷間におりてきたようだ。
 ―わたしよ。二〇三〇年、おまえは何をしているか、していたいか?
  今は、刻むように生きていこうとしている毎日である。
  「刻むように生きる」というと、ドキドキして一瞬の緩みもないように見えるかもしれないが、そうではない。肩に力を入れた、ゆとりのない暮らしではないのだ。笑いもあり涙もあり、買い物もあり散歩もあり、といったもろもろの、カラフルな・動的な姿をイメージしているのだ。―そう、七色の虹を基にした生き方である。そこに黒や灰色が加わることもあるだろうが、基になるのは虹の色、希望の色、愛の色なのである。
 わたしは神を信じる者なので、聖書を読み、祈ることから一日を始め、夫婦で祈り合って一日を終える。その間の一時間一時間をいとおしく思いながら過ごしていこうとしている。
 その一日いち日の積み重ねで、もしも神がおゆるしになるなら、生きて二〇三〇年を迎えたい。夫婦そろって。

 

★たんぽぽの 何とかなるさ 飛んでれば
★いつも読んでくださり、ほんとうに有難うございます。

「メメント・モリ」―生きることは死を覚えること。ニヒルになるのでなく、ひたむきに生きるため、より良く生きるために。

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