栗原貞子「生ましめんかな」
ウクライナのニュースのなかに出産をひかえた妊婦さんのことがあった。病院がロシア軍に攻撃されるなかで、新しいいのちを生み出そうとしている。どれほど怖く、不安なことか。
そのニュースを見ながら、栗原貞子の詩「生ましめんかな」を思い浮かべた。
生ましめんかな 栗原貞子
こわれたビルデングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生ぐさい血の臭い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ。
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です。わたしが生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。
かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
(『詩集ヒロシマ』、詩集「ヒロシマ」編集委員会刊、一九六九年)
栗原貞子は広島の詩人・歌人で、ヒロシマにこだわり続けた。「生ましめんかな」は、原爆被爆後のヒロシマでの実話に基づいて書かれたという。悲劇のなかでの希望を描いた作品として、胸を打つ。
ウクライナでもいま、同じようなことが起きているかもしれない。いや、先日、病院が攻撃され、妊婦さんも赤ちゃんも亡くなったというニュースを見た。なんということだ!
しかし、惨劇の止まない世界のなかで、次の世界を託すべきいのちが生まれる。産声(うぶごえ)をあげる子どもはいるのだ。 「あまりにひどい世界だけれど、負けない。負けはしない。決してあきらめない。元気に育ってみせる」という産声、どうかそういう産声でありますように。
●ご訪問ありがとうございます。
2022年3月23日、ウクライナのゼレンスキー大統領の国会演説が行われました。12分間の中で語られたことばは深いものだと思いました。優しい温かい心が、日本への感謝のことばとなって伝えられたと受け止めました。一方、不屈の闘志も、助けてほしいという悲痛な思いも、淡々としたことばから伝わってきたのです。
私は約一か月、ウクライナをテーマにして投稿してきました。「命」と「平和」が、ずっと続いてきた中心的な思いです。
ロシアの侵略はまだ止みません。それどころか、核兵器の使用を口にさえしています。人の心のすさみかたにやりきれない気持ちです。
けれど、「復興」への視点をもった大統領のことばも、私は聞きました。希望のことばだと思いました。困難のなかにあって、いえ、だからこそ次の時間を見ていく志が要るのだろうと思いました。
今回、「生ましめんかな」の詩を通じて考えたこと、それは「復興」であり、「希望」です。