祈りを、うたにこめて

祈りうた(いのち  兵士)

兵士

 

 ロシアのウクライナ侵略が終わりません。
 報道のなかに「戦争」の生々しさを伝えるものが増してきました。妊婦さんや子どものおびえた顔・老人の怒りの顔が眼を射ぬきます。空襲警報の音・砲撃の音・銃撃の音などが耳を刺します。「がれき」を「瓦礫」と書くことも覚えました。
 映像や音に加えて、兵士のニュースも増えてきています。ロシア兵の葬儀の様子もみました。大きな冷凍車を指しながら、ウクライナのひとが、このなかにロシア兵の遺体がたくさん入っている、という言葉もききました。
 「侵略」・「戦争」とは、まさに「ひとの殺し合い」なのです。むごいことと思います。

 ヒロシマに原爆が落とされたあと、編まれた詩集があります。『詩集ヒロシマ』というその詩集を、何十年か前に買いました。いまその詩集を読むとき、ウクライナで起こっている事が重なります。
 

 

無題  田尾絹江(小学5年)

ばくだんがおちたあと

おかあちゃんが

だいじにのけといた米をたきながら

せんそうをして

なにがおもしろいんだろう

といって、

たかしや たかしや

まめでかえってくれと

いって泣きながら

おむすびをつくる

(詩集「ヒロシマ」編集員会『詩集ヒロシマ』1969より)

 

 侵略を指示した者にいたみはないでしょう。しかし、その指示に従って戦いに出て行かざるをえない兵士、そして、命を奪われていく兵士が、どれほどいるでしょう。そのひとりの兵士の死を嘆く人々は、どれほどいるでしょう。「何人の戦死者が出た」と、数が報道されます。しかし、死んでいくのは「数」ではないのです。ひとりの、生身のにんげんなのです。「群死」はありません。ただ「個死」だけがあるのです。

 これまで書いた、「兵士」に関わる詩をまとめました。

 

兵士

 

君という予定された死者よ

まだ君は無名の兵士だが

やがて もっとも有名な兵士となる

祖国の英雄となる

 

君という

予定された死者よ

君の血が流れるのは

君がたくさんの「敵」を殺したあとか

水や食糧を運んでいるときか

それとも

戦地にむかう戦車のなかで

平和のために行くのだと

そう自分に言い聞かせているときか

 

ああ 君という

待たれている死者よ

君のママは

君の血で染まった国旗を抱くか

誇らしいわが子よと叫んで

そして

獣のような目をぎょろつかせる

独裁者のその熱い声に

大きくおおきく頷(うなず)くか

─彼に続け!

 彼の命を無駄にするな!

 彼のいのちを奪った者らに

 報復の銃を取れ!

 さあ、次は君だ

 君が英雄になれ!

そうわめく独裁者の熱い声に

 

 

 

その国の兵士よ

 

―行ってらっしゃい、気をつけて

日本の母は笑顔で子どもを送りだす

―行ってきます 

その声にこたえて そして

―ただいま
 
夕方また 笑顔で子どもの声を聞く

 

その国の母よ 

あなたも

笑顔で送りだしただろうか

抱きしめたあと 息子に

―行ってらっしゃい、気をつけて と

 

その国の兵士よ

きみは何と言って家を出ただろう

―国境での軍事演習に

そう言ったのか

―隣国の同胞を守りに

そう言ったのか

それとも

―隣国の市民を殺しにと

そうきみは言ったのか ママに

 

その国の兵士よ

その国の兵士よ

きみは戸口で

ママに

―ただいま

そう言えるのか かがやく笑顔で

 

 

 死んだラザロのバラード

  イエスは、はっきりと彼らに言われた。「ラザロは死んだ」(聖書)

 

ラザロは死んだ もう生き返らない

かれの体に

彼はいない

もう生き返らない

ラザロは死んだ

もう生き返らない

 

MODOTTE KITE!

もどって きて!

家族は叫ぶ 

戦場で

けれども ラザロは死んだ

もう生き返らない

 

ラザロはぼやく ─わたしは誰にしたがった?

ラザロはなげく ─わたしは何人の人殺し?

ラザロはさけぶ ─わたしは何をまもったの?

ラザロはうめく ─私はノーとなぜ言わなかった?

 

ああ ラザロは死んだ

もう生き返らない

ラザロは死んだ

かれの骨は野ざらし

髪も爪も

どこにもない

ラザロは死んだ。

 

 

 

死んだ兵士に

 

若い君の最期のひとみに何が

映ったでしょう

映ったひとは何と

いったでしょう

君はそのひとに何を

つたえたかったでしょう 

 

君の撃った弾(たま)

とつぜん 或るひとの人生を砕きました

くだかれた人はそれまで

何をしてきたでしょう

だれを愛してきたでしょう だれに

愛されてきたでしょう

 

きみと

そのひとと

握手することは永久に

ありません 

 

 

 引き金

 

引き金を

つくるひと

 

引き金を

ひく人

 

引き金をつくれ と

命じるひと

引き金をひけ と

命じるひと

 

その引き金で

死んでゆくひと

 

死んでゆく人を

テレビで眺める

あなた

わたし

 

 2022年2月21日から「ウクライナ」というカテゴリーで、投稿を重ねてきました。先日、「あとがき」ともいえるご訪問ありがとうございます。に、これまで書いた文章をまとめました。私自身が何をしたのか、何ができたのかを確かめたいと思いました。
 今回の記事は、兵士に焦点をしぼったものをまとめました。
 兵士の生き死にについては、「戦車一台が破壊されたということは、三名か四名の命が奪われたということ」だと考えるにとどまっています。もっともっと考えなくてはと思います。

 

●ご訪問ありがとうございます。
戦争について考えることは、私には「いのち」について考えることとなっています。戦争そのものをいたみます。

 

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