ほいほいとぼとぼ日記・爺爺刻々

馬込の袴線人道橋昔話

馬込周辺にお住まいのりばてぃさんという方から、馬込の新幹線にかかっている袴線人道橋(人専用の線路を越える橋で歩道橋とほとんど同じ作り)が30数年前(りばてぃさんはお若いので)は、背の低いネットフェンスのみであったとのご指摘をいただいたのであります。そうなんであります。現在は、年季が入って日焼けと傷で白っちゃけたアクリル板のようなものに覆われていて、下を走る電車も遠くに見える丹沢、富士山も到底見える代物ではないのであります。他の跨線橋や道路橋はまだ金網だけなのにここだけ厳重なことになっておりまして、なんかワルサがあってこんなことになったのかと残念な次第であります。夕日に沈む富士山と電車を眺めるには一番いいポイントなのでありますがね。
さて、ご指摘いただいた袴線人道橋の背の低い金網のみの時代の写真がたまたま、アタクシが撮っておりまして、それを今日は公開するのであります。まずは、真打ちの新幹線であります。それも当たり前に0系であります。

写真自体は、たぶん43年前であると思われますのであります。何故かと申しますとアタクシが中学2年くらいに買ってもらったオリンパスペンFで鉄道を撮っていた時代と推定されるのであります。
35ミリサイズを半分にして撮影するいわゆるハーフサイズカメラの最高級一眼レフでありましたが、最近デジタルで復活しておりまして、買いたいなぁと迷ったりしているのでありますが、問題はこの写真であります。なにが問題かって、もう忘れているでしょうが、これは0系を鑑賞するための写真ではなくて、「背の低い金網の袴線人道橋」を確認いただくものでありますので、誤解なきようによろしくお願いするのであります。確かに余計な板もなく、金網だけであることが確認していただけたと思うのであります。
しかし、下手な写真であります。40年以上前のプリントでありますので退色も相当進んでおりますが、ピンぼけでぶれ気味とは情けない次第であります。たぶんフィルムはサクラカラーで感度も悪く、さらに夕方の光不足に三脚なしで撮ったというドジ写真で申し訳ありません。この次も同様でありますので、写真の下手さ加減はこれで釈明終わりといたします。
さて次は、元々は新幹線より前からここに走っていた通称品鶴線の貨物列車であります。現在は横須賀線や湘南新宿ライナーが主役であります路線でありますが、数十年前は品川(汐留)と鶴見(品鶴線の由来)を結んだ貨物の大動脈だったのであります。
アタクシの中での品鶴線の王者は、昭和29年にデビューした唯一の8動軸機であり国鉄史上最大級の電気機関車でありますEH10が牽引する貨物列車であります。これは、格好良かったし近代の香りがしたのであります。おおおお、って感じであります。これは跨線橋の階段部分から撮影したものであります。

最後は、たぶんEF57の重連かと思われる貨物列車であります。こちらはなんとなしにノスタルジックな感じでありますが、このあと十数年後に引退となるのでありますが、この当時はまだまだ現役で活躍していたところであります。

明日は、別アングルからの写真をご紹介いたすのであります。お楽しみに。。。

コメント一覧

ほいほい
りばてぃさん
アタクシ&会長よりも15歳若いのですな。44歳かぁ。結構結構。こんど暇があればお会いしましょう。
貨物列車鑑賞委員会会長
シャー、シャーっと。
ふむふむ、単一編成とか脱線を防ぐ編成とか、なるほどそうでありましたか。
そうであれば車輪が線路の繋ぎ目に刻むリズムにもいくつかのパターンがあったのでありますね。
それにしても新幹線の開通は、そんなのんびりした馬込の台地に、強烈な印象を残したものでございましたね。
ところでりばてぃさんは池上線の現役車両と同年代とか。私の頃は大正生まれの車両が頑張っていたものでした。床が木で、ときおりワックスが丁寧にかけられたりしてね。
りばてぃ
ご質問いただきました年齢ですが、1966年生まれ(丙午)です。池上線では同い年の電車がいまだ活躍中です^^。
ほいほい
パンタグラフ!!
そうでしたね。0系は、2両にひとつパンタグラフがありましたから、よく離線してスパークが飛んでましたね。今の700系では考えられない光景でした。りばてぃさんは、おいくつ?
りばてぃ
ああ、なんと懐かしい風景でありましょう!私も何度となく列車を見に行きました。貨物列車の2軸4軸の混在したリズムがいまでも頭の中に残っています。0系新幹線はパンタグラフが多く、通過する度に人道橋が大きく揺れ、スリルを味わったものです。
ほいほい
確かにね
貨物列車の2軸と4軸の音の変化は予想つなかないスリルがあったものであります。また、会長は確率論に言及されておりますが、まったく同じ編成の確率は結構高かったと思われます。というのも、タンク車編成、セメント、石炭、ホッパー車編成など単一編成が多かったこと。また、混成でも脱線を防ぐためにある程度並べる順があり、変な編成はできないのであります。
貨物列車鑑賞委員会会長
多々坦々
機関車もさることながら無蓋車も懐かしいですね。貨物列車というのは木材や砂利を積んだ無蓋車とか牛や馬を積んだ家畜車とか何を積んでるのかわからない有蓋車とか、いろんな貨車が凸凹つながってるのが面白かったのに、最近はコンテナ車ばかりでつまりません。音もそう。車軸が二つだけのと四つあるのと、そして車両の長さもマチマチで、それがてんでんバラバラにつながって走るから「タタタタンタンタンタタタンタンタタッタタンタタタタ・・・」などとジャズのアドリブのように予測しがたく独特の緊張感があったのに、コンテナ貨物は客車と同じ単調なリズムしか刻まないので鑑賞の対象とはなりにくいです。
そう言えば貨物列車の編成は二つと同じものはなかったのかもわかりませんね。まったく同じ編成が存在した確率は数学的にはどうだったのでしょうか?
ところで品鶴線を走る運転士さんは国を代表して走る誇りを持っていたといいます。だって「国家の品鶴」っていうぐらいですから。
ハイ、おあとがよろしいようで。
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