ホットサマーレイン♪1980年の現物EPレコード
あの「 氷室京介 」氏【 56 】の
所属していた大人気バンドBOØWY【 ボウイ 】の
ヴォーカリストで有った事は誰でも知っているし、
Wikipediaにも記述されている。
KYOSUKE HIMURO -KISS ME-
だが.....!?
ウィキペディアにも載っておらず、
殆どの方は存じ上げないだろうが、
BOØWY以前に氷室京介氏は
「 寺西修一 」のクレジット名で
「 スピニッヂ・パワー 」( Spinach Power )
という名前のバンドの三代目ボーカリストを
されていた時期がある。
( 外国のバンドspinash powerでは無い )
何度も削除されている当時のTV映像は
現時点でニコニコ動画に上がっているが、
スピニッヂ・パワーの意味は
「 ほうれん草の力 」とかいうことらしい。
TOP画像は、その時にリリースしたEP版の
アナログ・レコードドーナッツ盤であり、
ヤフオク!で運良く8.000円くらいで落札出来た♪^^
氷室氏はBOROBOROBOROでコーラス参加されていない!?
当時の所属事務所名は長戸大幸氏【 69 】が
設立したビーイングでヒムロックこと寺西氏【 氷室氏 】は
二代目のボーカルだった織田哲郎氏が在籍していた頃から
コーラスで参加されているとウィキペディアには記載されている....!?
この様な経緯から、氷室氏の初デビュー作は
スピニッヂ・パワーのEPドーナツ盤レコードの
「 BORO・BORO・BORO 」からのコーラス参加であると
言われてはいるが、実は違う様である!↓
( 以下「 BOOWY( 暴威 )結成以前の氷室狂介「 SPINACH POWER 」加入 」から引用 )↓
“なんと森下詩音様から直接コメントを、いただきました。
2期のCHORUSは寺西修一では無く、森下様とのことです。
( 2014.12.18 )”
( 引用ココまで・出典:FC2ブログ )↑
織田哲郎氏がメインボーカル、森下詩音氏が
コーラスのボロボロボロだが、不肖この私めは、実は
このレコードの現物も持っているのだが、
実際に拝聴してみても、どこにも氷室氏
( 当時のクレジット名は寺西修一 )
のコーラスの声が聴き取れないのである。
実はスピニッヂ・パワーの2nd.LPの「 ラナウェイ・トリップ 」の実物も
私めはヤフオク!で落札して持っているのだが、ここのクレジット名にも
寺西修一の名前は記載されていない。↓ ( 実は見本盤だったりもするが )
決定的なのは、当時のボウイのマネージャー担当だった
故・土屋浩氏( 元BLUE FILMボーカル )が「 紺 待人 」名で綴った
「 大きなビート木の下で 」に書かれて居る内容である。
( 以下「 大きなビートの木の下で 」から引用 )↓
66ページ目
1980年、上京した3人を待っていたのは
高崎で聞いた話とは全く違う状況だった。
( 引用ココまで・出典:ソニー・マガジンズ文庫 )↑
「 BORO-BORO-BORO 」の発売日は1979年の10月5日なので、
まだ氷室( 寺西 )氏がスピニッヂ・パワーに加入する前の年だ。
という事は、氷室京介氏がBORO-BORO-BOROのレコーディングに
参加しているというウィキペディアの情報は間違っている事になる。
次章でも述べるヤマハ・ロックコンテスト「 WAST WEST 」の
全国大会が1979年8月25日、中野サンプラザでのステージで、
この時にはデスペナルティで出場しているのである。
それでは、BOROBOROBOROのEPが発売された当時の第2期の
スピニッヂ・パワーのメンバーは誰が在籍していたのであろうか?
- ボーカル:織田哲郎氏( 本名:濱田 哲郎 )【 59 】
- ギター:野村哲也氏( 元桑名正博グループ・ゴーストタウンピープルのギター担当 )
- ベース:田辺モット氏( 1978年から活動したベーシスト )【 58 】
- ドラムス:木村マモル氏( 元合資会社ドラムス担当で後のBOØWY初期ドラマー )
なお、野村哲也氏は同姓同名のゲームクリエイターにも、いらっしゃる
( スクエア・エニックス所属 )が、全くの別人である事を附しておく。
当時のベース担当の田辺モット氏は公式YouTubeチャンネルで
動画もアップされている。↓
田辺モット ベーススクール
ヤマハ・イーストウェスト‘79の実物LPレコード
それでは、さらにこれより前の時期に
氷室氏が組んでいたバンド名を御存知だろうか?
ボウイ時代の松井常松氏【 56 】も在籍していた
5人組の「 デスペナルティ 」で、ヤマハ主催の
全国ロック・コンテスト「 EASTWEST‘79 」に
出場した時の「 ブルーシガレットラブ 」
( 後のCHU-LU-LU )が、氷室氏がメジャーデビューを
果たす前に唯一、音源化されているLP版である。
( このLPも持っているが、買ったのはヤフオク!で
こちらも運良く、8千円ほどで落札でき申した♪ )↓
氷室氏はこの時、自身の本名である「 寺西 修 」名で
出場されていたが、「 入賞 」は果したものの最優秀賞は
うじきつよし氏【 59 】率いる「 こどもばんど 」で、あった。
ちなみに、後のBOØWYのギタリズム.....じゃなかった、
ギタリストの布袋寅泰氏【 55 】は、土屋浩氏も在籍していた
「 ブルー・フィルム 」というバンドに所属しており
関東甲信越ブロックの決勝で氷室京介( 寺西 )氏が率いる
デスペナルティに敗北を喫している。
6人編成の初期ボウイのドラマー、木村マモル氏の今は!?
ドラムを担当されていた、まこっちゃんこと
高橋まこと氏【 63 】はスピニッヂ・パワーから
初期の暴威に加入した木村マモル氏と入れ替わる形で
後から加わった唯一、福島県出身のBOØWYメンバーである。
高橋まことが叩く「MARIONETTE ~マリオネット~」[BOØWY]
( 以下「 元ボウイ高橋まこと氏インタビュー 」から引用 )↓
“─最初は、なんとなく誘われて。
( 高橋 )その後、一緒にお茶しながら、
「 実はもうドラムいないんで、できたらドラム叩いて貰えませんかね 」
って言われて「 いいよ 」って。
そしたら「 もう次のロフトのライブが決まってるんで、
20曲くらいあるレパートリーを覚えて貰わなきゃならないんで
合宿したいんですけど付き合ってもらえますかね 」って。
それも「 いいよ 」って答えたんだけど( 笑 )”
( 引用ココまで・出典:元ボウイ・高橋まこと氏 )↑
そんなドラマーの高橋氏の前任者である木村マモル氏は、
スピニッヂ・パワーを抜けた氷室氏が木村氏の自宅まで行き、
初期の暴威に引っ張ってきたのである。
加入後、結果的には活動の中で初期の暴威のメンバー達との間で
合わない「 音 」のズレのほか、様々な要因が重なって
高橋氏と入れ替わる形で脱退。
その後は暴威のプロデューサーとして活躍された。
もともと、スピニッヂ・パワー時代には氷室京介( 寺西修一 )
氏と一番、気が合ったとされる木村マモル氏だったが、
最近は2012年末からもソロ・アーティストとして
新しい名前の「 SEIHITSU 」名での音楽配信を、
着うたフルのviBirth MOBILE BY GIGAで始めた。
配信のアルバム名は「 human 」であったが、
現在は配信を中止している。
その着うたフルでのBIOGRAPHYを見ると、
木村マモル氏の詳細なプロフィールが
綴られて居たので、シェアさせて頂く。↓
( 以下「 SEIHITSU 」から引用 )↓
“京都出身で1970年代より主に関西で活躍したロックバンド
「 合資会社 」でドラマーとして活動開始。
その後ディスコシーンでスマッシュヒットを連発した
「 SPINACH POWER 」( KING RECORD )に在籍。
SPINACH POWER( スピニッヂ・パワー )の 最後のヴォーカリスト
氷室京介らとBOØWY( 暴威 )を結成し、 初代ドラマーとして
1stアルバム「 MORAL 」のレコーディングと数回のライブに参加。
メンバーとしての脱退後、BOØWYの2ndアルバム
「 INSTANT LOVE 」( 徳間ジャパン )のプロデュースを行う。
その後はレコード会社ディレクターや、フリー音楽プロデューサーを経て
ミュージック・ビジネスにおけるプランナーとして活動。
自身の経歴とはかけ離れたコンピューター・ミュージックの作品を
ハイピッチで数多く発表する予定である。
「 SEIHITSU 」は「 静謐 」の意である。”
( 引用ココまで・出典:着うたフル®viBirth MOBILE BY GIGA )↑
木村マモル氏がスピニッヂ・パワーから暴威に移る際の事情に詳しい
「 当事者の方からの書き込み 」が、当記事のコメント欄に
記載されていたので、ありがたくやり取りを、させて頂いた。
当時の現場を知る当事者の生の声を頂く
詳しい、やり取りは当記事の下に有るコメント欄を
ご覧いただきたいが、お名前は存じ上げないが当時、
氷室京介( 狂介 )氏や木村マモル氏がスピニッヂ・パワーを脱退し、
初期の暴威を創設した時の詳細を知る方から
直接の情報を頂く事が出来申した。(*´∀`)
コメント欄に書き込みを頂いた方は、実際に京都のバンドで
約1年半、木村マモル氏を同じ釜の飯を食った、
メンバー同士だった音楽関係者なのだと仰っている。
これは不肖この私めのかってな推測にはなるが、おそらく
元「 合資会社 」のメンバーだった、どなたかだと思われるのだが
実際には、そうではなかった。
ご本人から、「 僕の本名と情報の出処は記載しないように! 」
との、ご希望が有ったのでココには記さない。
別のWordPressブログ「 瓦版茨城 」で記事に、したためたので
宜しければ是非!^^ ↓ ↓ ↓
氷室京介氏がBOØWYの前に居たスピニッヂ・パワーとは?
......いずれにしてもボウイが凄いのは、あの時代にして
サウンドが誰からの受け売りで無い、完全に自分たちの
オリジナルの音を創り出した点である。
よく日本音楽史を語る書籍などで「 BOØWY以前BOØWY以後 」
などと書かれているのは、きっとこのためなのであろう。
( 瓦版ブログはamazon.co.jpを宣伝しリンクする事に依って、サイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。)
今日の〆の和歌を詠む♪【 短歌57577 】
「 あのボウイ
布袋氏語る
音楽で
飯が食えたの
最後の二年 」