同じ過ちを繰り返さぬために
12月27日( 日本時間28日 )に、アメリカのオバマ大統領と日本の安倍晋三首相がハワイの真珠湾を訪問し、スピーチした。
オバマ大統領「最も激しい対立は最も強い同盟に」(16/12/28)
オバマ大統領は5月27日にも来日され、
広島市の平和記念公園を訪れ原爆死没者の
慰霊碑に献花の上、スピーチをされている。
75年前の12月7日( 日本時間8日 )に日本軍は
真珠湾のアメリカ軍基地を空襲し日米開戦に至った。
最近は特に過去の戦争に関して深き思いを
巡らす様になったのだが本当に、くり返し思うのは
「 今の平和な日本に生まれたのは本当に幸運だった 」
と言う事。^^ ↓ ↓ ↓
「 お国のために命を捧げろ 」的な「 赤紙 」
( 召集令状 )が3回も4回も届いたら本当に嫌になる。
しかし学生時代は、ろくすっぽ勉強せずに
ビデオゲームばかりやっていた私めは
「 なぜ日本は太平洋戦争を始めたのか 」
という疑問が、かなり以前から有ったものの
その原因がなかなか掴めずに居た。
以前に当「 瓦版ブログ 」でも綴ったのだが、1904年から勃発した日露戦争などは今の様に国際情勢が
「 みんなで仲良く強調しあって世界は1つ♪ 」的な空気( 一部、そうでない国々も有るが )ではなかった。
当時は「 欧米列強、帝国主義、弱肉強食 」の世界だった事からも、うかうかしていると
あっという間に「 植民地化 」されてしまい、食い物にされるしかないと言う風潮だったので、
これを打破するためには相手を打ち破る、という選択肢しか無かったのだろう。
しかし1941年( 昭和16年 )12月8日から
開戦してしまった第二次世界大戦中の日米戦争は、
もっと複雑な事情が絡み合って居るようである。
まず、日本国側としても自国の権益を貪るのが
目的で勝ち目のないアメリカに喧嘩を
ふっかけたのでは無いという事だけは間違いない。
そこの間には日中戦争最中の中国、
イギリス、フランスなどの各国の権益を巡る思惑も
複雑に入り乱れて居たのである。
当時の第32代アメリカ合衆国大統領は
「 フランクリン・デラノ・ルーズベルト 」氏
( Franklin Delano Roosevelt )で、彼は
黄色人種を蔑視する環境で育ってきた
影響も有ってか、そのような反日的な感情を
日本に持っていたとされる。↓
( 1945年、昭和20年4月12日、脳卒中で死去 )
更には、当時の世界での日本の立ち位置が
黄色人種の独立国家では4ヶ国しかない内の
1つである日本が経済的な発展を遂げてきたのも
経済新興国のアメリカに取っては目障りな
存在に映ったのかも知れない。
が、モチロン日米が開戦に至る原因は
それのみではなかった。
日中戦争が大きな火種に、なっていた
昭和12年( 1937年 )7月7日に勃発した
「 盧溝橋事件 」が発端となった日中戦争( 支那事変 )は
そこからの権益を狙うアメリカやイギリスとの深刻な対立を
もたらす様に、なっていった。
もともと、この盧溝橋事件も7月4日の夜に事前に中国側に
通知済みであったとされる、日本軍の夜間軍事演習中に
中国側の軍部が実弾を発砲したのが発端だった。
By Unknown - http://www.gettao.com/bbs/viewthread.php?tid=5033, Public Domain, Link
日中戦争の最中、アメリカは援蒋ルートを使って
蒋介石政権に軍事支援を行い、日本を牽制する
行動に出ている。
( この時は、まだ中国に「 宣戦布告 」を
していないので、正確には日中戦争ではなく
「 支那事変 」と呼ばれている )
これに伴って8月24日には陸軍参謀本部が
10万人を越える兵士の動員を決定。
全国各地で召集令状、いわゆる赤紙が配達された。
明治6年から発布された徴兵令( 国民皆兵制度 )を
1927年( 昭和2年 )に改定した兵役法によるもの。
昭和13年( 1938年 )国家総動員法を制定。
1940年( 昭和15年 )9月27日に日独伊( 日本、ドイツ、イタリア )三国同盟締結。
昭和16年7月、日本軍はフランス領インドシナの南部( 現在のベトナム北部 )まで進駐した。
こうした流れの中で、実はアメリカとの開戦までの伏線の中で、中国が大きく影響する事になったのは言うまでもない。
ちなみに私めは当初、日中戦争を始めたキッカケは日本側の「 大東亜共栄圏 」とか言う思想を成就せしめんがために中国を支配下に置く目的が有ったのかと思っていた。
しかし実際に大東亜共栄圏を提唱するのは昭和15年頃からであるから、これ目的での日中戦争では無いということが分かった。
対日経済制裁の石油を全面禁輸は効いた
かねてから日本への警戒感を強めていた
ルーズベルト大統領はインドシナ進駐に対抗して
昭和16年8月に対日石油の全面禁輸を実施。
前月の7月26日には在米日本資産の凍結を実施している。
経済封鎖でも容赦なく四方からのA( アメリカ )B( イギリス )C( 中国 )D( オランダ )包囲網を敷く。
日本は石油の殆どをアメリカ( 70% )や植民地であった東南アジアであるヨーロッパの植民地から輸入していた。
石油の禁輸が続けば、飛行機も軍艦も動かないジリ貧状態に。
近衛内閣から東條内閣に、なっても外交交渉は継続
昭和16年10月、米との戦争を回避すべく外交交渉を継続していた「 近衛文麿 」( このえふみまろ“公家”公爵 )首相は、
一部の軍部の強硬論を抑えきれずに辞職。
( 終戦後の昭和20年12月16日、A級戦犯として出頭する前夜、青酸カリで自決しているが日中戦争拡大の責任を感じていたのであろうか )
陸軍大臣だった「 東条英機 」( とうじょうひでき )氏が首相に就任。↓( 1948年、昭和23年11月12日、東京裁判にて絞首刑の判決 )
11月17日、当時の外務大臣「 東郷茂徳 」( しげのり )氏は「 外交に拠って戦争を回避 」しようとしていた。↓
( 1948年、昭和23年11月4日、東京裁判にて禁錮20年の判決 )
大本営政府連絡会議での東郷「 乙案( 最終案 )」は、
「 今は我慢の時。インドシナ南部から軍部を撤退させる代わりに米国は対日の石油の供給再開を求め、中国問題には干渉しない 」と言う交渉案を打ち出して見せた。
17時間にも及ぶ会議の末、「 戦争準備と外交とを並行して行くが期限は11月いっぱいまで 」という軍部側の条件だった。
コレを最終案としてアメリカの「 野村吉三郎 」駐米大使に暗号化した電報で打電。
しかし、この暗号は1年以上も前からアメリカ側の「 ウィリアム・F・フリードマン 」氏らのチームにより、アメリカのシアトル郊外のベインブリッジ島のフォートワードにある秘密施設で、キッチリと解読され内容は全てルーズベルト大統領に漏れていた。
米国は、栃木県の小山送信所からサンフランシスコの米国通信会社の受信所に送られた日本の外交電報を米国西海岸シアトルにほど近いベインブリッジ島の海軍電信所で傍受し、テレタイプ(電動機械式タイプライター)でワシントンDCの海軍省ビルに転送した。
こうした直通電信回線の設定により米国の解読班は、日本大使館の電信係員より、少なくとも配達に要する一、二時間程度早く日本の外交電報を手に入れていたのである。
【 引用ここまで↑出典:デイリー新潮2018年12月7日掲載 】
外交電報のコードネーム、パープル暗号( 暗号機B型 )を解読した文書は「 マジック 」と呼ばれ、現在でもアメリカ国立公文書館に保管されている。
その間、日本軍は戦争の準備をしました。
ベインブリッジのラジオによって傍受されたメッセージは、戦争を始める合図でした。
【 引用ここまで↑出典:ワシントン州の歴史の無料百科事典 】
米ベインブリッジ島の海軍通信所は「 ステーションS 」という呼び名で、当時は極秘扱いだった。
従って、この提案を断れば日本は開戦に踏み切る事も相手は知っていた。
が、さらには日本側も負けてはおらず、
米国と中国のやり取りの電報暗号もキッチリ解読していたのである!!
( 長い間、極秘扱いとされて来た )
最終的には開戦が狙いだったルーズベルト大統領
ルーズベルトは敵国であるドイツと同時に
日本との戦争に入る為には3ヶ月間の
準備期間が必要だと考え「 コーデル・ハル 」国務長官に
「 日本との戦争の準備が整うまで、
“暫定協提案”を作って交渉を引き延ばせ 」
と指示している。
すでにこの時点でルーズベルト大統領は
日本と戦争する気マンマンで有ることが伺える。
何故なのか?
冒頭でも申し述べたように、
反日感情だけの判断では無いのは明々白々。
1つには世界恐慌で失業者が溢れかえってる
アメリカ国内の景気を回復させる為には
戦争を起こすことで国内特需を押し上げる事が
有効な手段だから。
実際に彼はニューディール政策と共に対日参戦に拠る
戦時経済で驚異的なV字回復をアメリカに、
もたらしている。
だが、もう1つルーズベルトには自分から
戦争を始められない理由があったのだが、
それが「 選挙公約 」での
「 戦争はしない 」という発言だった。
この事からも、彼は
「 相手側から戦争を起こさせる様に仕向ける 」
狡猾な戦略が必要だったのである。
要はアメリカ国内の世論を味方につける戦略である。
11月20日( 米時間 )ハル氏は、この内容を知っていたが
2人の大使に「 十分に検討させて頂く 」と返答。
11月22日アメリカ側のハル暫定協提案が書き上がった。
「 日本がこれ以上南方に進出しない事を条件に
米国は経済制裁を緩め日中戦争の解決には干渉しない 」
「 ただしこの提案の有効期限は3ヶ月とし、
それ以降は改めて交渉する 」と言う内容。
同日のAM9:00 ハル国務長官は
イギリス、オランダ、オーストラリア、中国の
大使や公使と会談し暫定協定案への了解を求めた。
ここで徹底的に横槍を入れる中国陣営
この日本への妥協案に中国大使の「 胡適 」( こてき )氏は
「 米国は中国を見捨てようとしている 」と衝撃を受けた。↓
胡適氏は直ちに、この提案内容を中国の指導者、
「 蒋介石 」( しょうかいせき )氏へ電報で打電。
日中戦争の最中に有った中国の「 蒋介石 」氏は
「 不安と怒りが心の中を激しく交錯した 」
と、この時の心境を吐露している。
胡適大使に「 絶対に日本と米国を妥協させてはならない、
それは中国の死を意味する 」と指示した。
さらにはイギリスの
「 ウインストン・レナード・スペンサー・チャーチル 」
首相にも働きかけ電報を送った。
「 米国が日本と妥協案を結んだら中国は失望し、
あなた方の語る国際信義という言葉も信じなくなる 」
11月24日ハル氏は中国大使の胡適氏を呼び、
説得を試みる。
「 あと3ヶ月待てば日本への戦争準備が整うのですよ 」
しかし胡適大使は
「 いまアメリカが妥協案を出したら中国は崩壊します 」
と納得しない。
この様な経緯から、日本への返答期限は先延ばしに
されたが、このとき既に日本海軍は準備を整え
エトロフ島に結集しハワイ真珠湾攻撃の命令を
待っていた。
11月25日ハルは暫定協定案を日本に提示すると
閣僚に宣言するが同日、中国の蒋介石側から
日本との妥協案を非難する電報が次々に入ってきていた。
この事態に怒ったハルは中国の胡適大使を呼び
「 交渉担当者である私を通さずに閣僚に電報を送りつけるとは何事か 」
と問いただすと胡適氏は、
「 いまアメリカが日本に石油を1滴でも売れば、
それは中国人兵士の血を1ガロン流すのと同じ事なのですよ 」
と猛然と反発した。
このようなやり取りの中、期限引き伸ばしの報告を
野村大使は東郷外務大臣に報告しているが
なぜか東郷外務大臣は沈黙を守り続けたと言う。
何故、なんの指示も出さなかったのか?
暗号を解読して妥協案の内容を知っていた東郷氏は
交渉は上手く行っていると勘違いして
米国を刺激しない様に静観したと言われる。
大英帝国イギリスの真の狙いとは
同日の夜にルーズベルト大統領の元に
イギリスのウィンストン・チャーチル首相から電報が入った。
「 もし中国が崩壊すれば私達の共通の脅威は
著しく増大するでしょう。
米国が中国の立場を十分に考慮した上で
政策を実施する事をイギリスは期待します。 」
中国を救うべきだと言う信義よりも、
ドイツに攻め込まれて苦しい立場のイギリスは
米国が参戦することに拠って強力な味方に
日本の同盟国であるドイツを攻撃して欲しかった、
という裏の狙いも有ったのだ。
何かの陰謀か?盛られた報告にキレたルーズベルト大統領
11月26日の朝、米国軍部からルーズベルト大統領の元へ
「 数十隻からなる日本の大輸送船団が台湾沖を南へ移動している 」
との情報が舞い込んだ。
これは米国軍部の盛りに盛った?過大報告だったが、
ルーズベルト大統領は大激怒。
「 日本は和平交渉の席でインドシナからの撤退を
唱っておきながら、遠征軍を送ろうとしている。
これは握手を求めるもう片方の手で
短剣を突きつける様なもので、日本は信用できない 」
だがこれは完全なルーズベルト大統領の誤解で
実際に日本側は輸送船を航海させてはいたが、
その数は十隻程度だったと言われている。
まぁ、でもこの輸送船団が1000隻でも1隻でも
アメリカ側の思惑は変わらなかったと思うのだが。
ハル国務長官が提案したハル・ノートとは
11月26日( 日本時間27日 )日本との交渉責任者、
コーデル・ハル米国務長官が書いた
「 ハル・ノート 」を日米会談で手渡す。
その衝撃的な内容とは?
米国はハル・ノートと言う外交文書で
強硬案を提示してきたのだった。
日本政は中国及びインドシナから
全ての陸海軍と警察部隊の撤退、
三国同盟の解消を要求してきたが
日本が待ち望んだ石油の供給再開の文字は無し。
この内容に難色を示した野村吉三郎駐米大使と
補佐役の来栖三郎駐米大使はハル氏に応酬したが、
まさに「 取り付く島のない 」といった有様で、
このハル・ノートの内容が日米開戦を決定づけた。
この妥協案に戦争回避の一縷の望みを託していた
外務大臣、東郷茂徳氏は
「 目も眩むばかりの失望に打たれた。
ハル・ノートを受け取ってからは働く熱を失った 」と記した。
「 米側の提示し来たれる対案は( 日本 )帝国の立場を無視せるものなり 」
という電報を無念の思いを込めて野村大使に送っている。
昭和16年12月8日、日本陸海軍はハワイ真珠湾基地を攻撃、
「 パールハーバー 」に拠って3年8ヶ月にも渡る
日米開戦に突入したというイキサツなのであった。
By U.S. Navy - Official U.S. Navy photograph
それでも戦争回避の道は無かったのか
「 やむを得ず 」という言葉が有るが、
それでも300万人以上の日本人犠牲者が出た
この参戦を回避できる手立ては無かったのか?
1つ、気になる投稿が有ったので、引用させて頂こう。
( 以下、岡崎久彦著「 日本の正論21世紀日本人への伝言 」より引用 )↓
“ 日本はハルノートを公表し、真珠湾を奇襲せず
堂々と宣戦布告をすればよかった。
そうすればアメリカの国内世論を味方にすることができ
いかにルーズベルトと言えども、もたなかっただろう。
アメリカを動かす大きな力は世論である。
アメリカの世論こそ独裁者である。”
( 引用ココまで )↑
これは、今みたくYouTubeやTwitterが無い当時でも
( Googleはアメリカだが )ラジオと言うメディアが有ったのだから、
やれば出来ないことでもないが、きっと方針が違ったのだろうなぁ。
アメリカ側は真珠湾攻撃を事前に知っていた?
この話しは何年も前に、何かの書籍で読んだ記憶が有るが、
これだけ暗号電報をキッチリ解読していて、真珠湾攻撃の
「 ニイタカヤマノボレ一二◯八 」の打電も、
その前の暗号通信も分からない訳が無い。
これは暗号を解読した文書も残されているので間違い無い。
実は“ニイタカヤマノボレ”の打電よりも早い
真珠湾攻撃の前日の12月6日( 日本時間7日 )に
レインブリッジの秘密施設では、
日本の東郷茂徳外務大臣からアメリカの
野村吉三郎駐米大使宛に送られた
“1つの暗号”を傍受している。
その内容は「 日本政府はアメリカ政府の態度を鑑みると
今後、交渉を継続しても妥結に達することは
無いと認めざるを得ない。 」と言う、
日米交渉の打ち切りを通達する「 最後通牒 」であった。
当然、この内容はアメリカ側に即座に解読され
日本大使館に届く前にホワイトハウスに
伝わっているのだが、この時ルーズベルトは
「 いよいよ戦争だな 」と、つぶやいたと言う。
さらにルーズベルト大統領はハル・ノートの原案に、
この様なメモを添えて居た。
「 日本が、これ( ハル・ノート )を受け入れる可能性は
殆ど無いだろう。
すぐにでも起きる災いに皆、備えなければならない 」と。
更に当時のアメリカの「 ヘンリー・スティムソン陸軍長官 」は
ハル・ノートが手渡される前日の夜に自身の日記で
ルーズベルト大統領との会話を、この様に記している。
「 ルーズベルト大統領は、
『 日本という国は“無警告攻撃”で悪名高い。
アメリカは来週月曜にも攻撃を受ける可能性がある 』
と注意を促した。」
「 問題は大きな危険を避けながら
どの様に日本を誘導していくかだ。
最初の1発を打たせるように 」
ヘンリー・スティムソン陸軍長官は後に
「 アメリカの世論を纏めるために日本に先に攻撃させたかった 」
と証言している。
さらに自身の日記にも「 真珠湾を日本軍が攻撃した
( パール・ハーバー )という一報をルーズベルト大統領から受けた時
『 この危機で優柔不断だったアメリカ国民の世論は
一致団結するだろう 』との思いから、“安堵の気持ち”が訪れた 」
と書き記したことから、「 真珠湾攻撃陰謀説 」が浮上した。
ハッキリ申し上げよう。
当時、ハワイの真珠湾にお住まいだったアメリカ国民の方々は
日本が真珠湾攻撃をして多大な犠牲者が出ることが
米国側は事前に知っていながら、わざと素知らぬフリをして
すっとぼけてアメリカ国民を見殺しにしたのではないか?
と言われている。
それは何のために?
日本側に真珠湾の先制攻撃をさせて、
多大なる自国民の犠牲者と引き換えに、ルーズベルト大統領は
「 アメリカ合衆国にとって恥辱の日 」などと
アメリカ国民の同情と反日感情を煽り世論を味方に付ける為の
プロパガンダ( 政治的な宣伝 )に利用したのではないか?
と思っている。
だいたい今でもパールハーバーという言葉自体が
アメリカ国民に対しては禁句でタブー視されている
反日感情の史実なので、あまりこれ以上は申し述べないが、
電信係が寝ていて大統領側に解読した情報が届かないとか....?
レインブリッジの暗号解読専用の秘密施設には
20人近い専任スタッフが写真に写って居るのに、
それはチョット考えられないんだよなぁ。(-_-;)
と言う、私めなりの考察でした。
繰り返しになるが、戦争には反対でも
自国の防衛は絶対に必要不可欠であると考える。
世の中、神様仏様だけなら
自国の防衛など必要ないのだろうが。
しかしながら基本的には、せっかく人間として
生まれて来たのに強制的に徴兵された挙句に
戦死したのでは、いかに「 お国のために 」とは言え
何のために生まれて来たのか分からないではないか。
ではでは。(^^)