文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

『お笑いはこれからだ』 時事ネタに名作映画のパロディーを絡めた意欲作 

2021-12-21 23:59:01 | 第7章

「にっぽん笑来ばなし」での各エピソードのサブタイトルは、雑誌掲載時、「もしも……」で始まるものがその大半を占めていたが、単行本化された際には、時代が2001年に追い付いてしまったため、当時とは、若干ニュアンスが異なってしまうという理由から、「もしも……こんな国鉄になったら‼」であれば、「欲望という名の国鉄」(「欲望という名の電車」監督/エリア・カザン)というように、各話のサブタイトルが、映画のパロディーに準え、改題されている。

だが、名作映画、有名映画のタイトルを表題に用いた作品は、既に連載漫画としてシリーズ化されており、決して侮ることの出来ない傑作、怪作が幾つも描かれている。

1982年から「小説新潮」に掲載された『お笑いはこれからだ』(82年4月号~84年12月号)などは、まさにそうした趣向を持つ代表的な一本だ。

死者三三名にも昇る火災事故により露呈した、ホテルニュージャパンの違法運営を痛烈に皮肉った「タワーリングインフェルノ」(83年2月号)、未曾有の惨事を招いた「日本航空350便墜落事故」が、もし回避出来たらというシミュレーションを予想外の展開ではぐらかしてゆく「Uボート」(82年5月号)等、時事ネタに依存したパロディー濃度凝縮のエピソードが目白押しの本作だが、時事性から超然としたテーマでありながらも、身も蓋もない爆笑喚起を促して余りあるエントリーも、決して少なくはない。

その中でも、群を抜いての傑作と言えるのが、84年2月号掲載の「ガープの世界」ではないだろうか。

「ガープの世界」は、当時エッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』を発表し、一躍ベストセラー作家に躍り出た林真理子を主役に迎え、男に全く相手にされない、しかし、何処までも欲望に忠実なブス女の痛々しい迷走ぶりを、どぎついまでに笑い飛ばした痛快作だ。

ジョン・アーヴィングの原作及びジョージ・ロイ・ヒル監督による『ガープの世界』は、男性を拒否しながらも、意識不明の植物人間である元軍人と一方的に性交し、子供を宿した一人の看護婦が、自らの過去を赤裸々に綴った自伝を刊行し、一躍フェミニストの旗手となるストーリーだが、この赤塚版『ガープの世界』では、欲求不満の林真理子が巨額の印税でハーレムを建造するものの、落ちは、集ったメンズ達が皆、古代中国の宦官と同じくイチモツを去勢し、林真理子にお仕えするという悲哀に満ちた帰結を見る。

このように、成人向けの赤塚ギャグには、話題の人物を世相や社会的現象に合致させ、徹底的に揶揄したエピソードが無数にあり、その後も多くのシリーズで、名だたる有名人が格好のネタとして扱われることになる。

 


現実的根拠を磐石に据えたペシミスティックな未来像 『にっぽん笑来ばなし』

2021-12-21 23:58:28 | 第7章

この『文学散歩』と同様に、成人向け赤塚漫画には、一つのテーマにパロディックな拡大解釈を施した仮想世界を、コント形式に綴った作品も少なくなく、時には、その後の社会情勢に警鐘を鳴らす、真に迫った箴言がギャグとして喝破されていることもある。

1983年に、祥伝社が新創刊した「2001」で、丸二年に渡り、レギュラー執筆された『にっぽん笑来ばなし』(83年11月21日1号~85年11月21日25号)は、まさしくそうした資質を持った最たるシリーズと言えよう。

2001年を舞台に、近い将来起こり得るかも知れない身近な〝IF〟の世界を仮定したこの作品は、そのテーマとなるペシミスティックな未来像を、現実的根拠に基づく笑いを磐石に据え、解き明かしてゆくシチュエーションコメディーの傑作だ。

個人的に、忘れ得ぬエピソードとしては、第七話の「もしも……こんな国鉄になったら‼」(84年5月21日・7号)と、第十八話の「ネバーエンディング・ストーリー・イン・ヤクザ」(85年4月21日・18号)の二本である。

「もしも……こんな国鉄になったら‼」は、遠距離通勤のサラリーマン向けに、国鉄が車両内に焼き鳥屋や雀荘、果ては銭湯から風俗店まで設け、列車そのものが走る商業施設と化すという、緻密な演出に基づくバーチャリズムが小気味良く、通常エピソードに見られる、危機迫る新世紀の将来像とは別の趣きを持つ異色のエピソードである。

赤塚がかつて、一二〇〇万円を掛けて特注したものの、二、三回乗っただけで飽きてしまい、友人である立波部屋の元大相撲力士・玄武満にあげてしまったという、サロン型のキャンピングカーを思い出し、生まれたアイデアとのことだが、小洒落たショットバーや、個室にシャワールームを完備したデラックスな寝台特急が導入されている現在を鑑みると、その先見性に富んだ発想は、流石と言わざるを得ない。

「ネバーエンディング・ストーリー・イン・ヤクザ」は、タイトルこそ、当時日本でも大ヒットしていた『ネバーエンディング・ストーリー』(監督・ウォルフガング・ぺーターゼン/主演・バレット・オリバー)のパロディーであるものの、物語そのものは、山口組の跡目争いに端を発する暴力団史上最大の抗争事件、所謂「山一抗争」から材を採っている。

山田組と三和会の十五年にも及ぶ、血で血を洗う大抗争により、2001年、大阪ミナミの街はゴーストタウンと化し、完全に寂れ果ててしまう。

組員を全て失った山田組と三和会の組長は、呉越同舟の中、手打ちを交わし、オーナーと店長として喫茶店を開業する。 

両組長とも、共同経営が軌道に乗り、またお互いが子分を持つ身になったら、改めて抗争を勃発させるという目算であったが、とある雑誌記者が取材に訪れたことで、思わぬ火種が燻り出し、記者を巻き込んでのドンパチへと雪崩れ込んでゆく……。

81年7月、山口組三代目組長・田岡一雄の死後、跡目問題を巡る対立から、山口組は分裂。竹中正久四代目襲名に不服を唱える反竹中派の幹部構成員を中心とした新団体・一和会が結成される。

85年1月、一和会、二代目山広組系構成員による「四代目竹中組長射殺事件」が引き金となり、以降二年余りに渡り、二府十九県において、双方合わせ三〇〇件以上の報復、攻撃等の事案が勃発。死者二五名、負傷者七〇名を出す史上空前の抗争事件へと発展した。

その後、89年3月に、命脈尽きた一和会が解散を宣言し、事態は収束を見せるが、本エピソードが発表された頃は、時として民間人を巻き込んだ争いが発生するなど、抗争がピークへと達してゆく激動の時期にあり、一般市民を不安と恐怖のどん底に突き落としていた。

まさに、そんなタイミングで描かれた作品だけに、ミナミの街がゴーストタウンと化す設定には、妙に生々しさを感じる。

尚、本作は、二十一世紀を目前とした2000年に、タイトルを『ギャグ21世紀』と改題し、掲載誌「2001」の版元でもあった祥伝社より単行本化される。

原作者の赤塚自身、描いたことすら忘れていたと語るマイナータイトルだけあって、セールス面においては、不発に終わったものの、編集者とともに現視点より、予言となる各テーマと当時の世相風俗を振り返るコラムや、都市工学の権威・渡邉定夫東大名誉教授との対談など、読み応えあるコンテンツを収めた好企画となった。

因みに、同書に「第五の予言」として掲載された「超能力者と結婚する方法」(84年3月21日・5号)の回想コラムにて、「銀座でスプーン曲げの青年に会ったことがあるのだ!」と、その時、漫画家のつのだじろうから元超能力少年を紹介されたという赤塚の追述があるが、当該の若者は、スプーン曲げの他にも、念力や念写などのパフォーマンスにより、70~80年代、度々メディアに登場していたエスパー清田こと清田益章のことであり、ここで赤塚が語った関口(淳)元少年については、記憶違いであることも、加えて補足しておきたい。


話題のベストセラーの世界観を解体『赤塚不二夫の文学散歩』

2021-12-21 23:57:41 | 第7章

社会的状況との関連をテーマに、市井の民の悲喜こもごもをカリカチュアライズしたその作風は、『ギャグゲリラ』以降、赤塚の成人向けギャグ路線において、一つの定番となり、エキセントリックな怪作が数多く生み出されてゆく。

『ギャグゲリラ』終了後、一般週刊誌では、暫しのインターバルを挟み、『赤塚不二夫のどうしてくれる⁉』(「サンデー毎日」85年2月17日号~12月29日号)、『赤塚不二夫のギャグ屋』(「週刊現代」91年4月13日号~11月16日号)等が連作として発表される。

『どうしてくれる⁉』では、「豊田商事事件」や松田聖子、神田正輝による〝聖輝の結婚〟阪神タイガースの日本シリーズ優勝、「日本航空123便墜落事故」等を、『ギャグ屋』では、第十二回統一地方選挙最大の関心領域にあった「東京都知事選挙」や、「俳優・勝新太郎の麻薬及び向精神薬取締法違反における逮捕」、「ミハイル・ゴルバチョフ書記長の来日」と「ソ連共産党による一党独裁体制の終結」といった、1985年と1991年に起きた象徴的な出来事が、それぞれのタイトルの中で、モチーフとして取り沙汰された。

一方、文藝春秋社でも、掲載誌を月刊誌「オール讀物」に移し、『ギャグゲリラ』の延長線上に位置しつつも、赤塚漫画としては、新機軸の提示となって余りある大人向けナンセンスが、新たにスタートすることとなる。

その時々のベストセラー本から元ネタを選び、そこに、対人関係の際、浮き彫りになりやすい、人間の軽操性気質やスノッブ感覚、世相の不安定化に対する痛烈な皮肉を滲ませ、パロディー化を試みた『赤塚不二夫の文学散歩』(83年3月号~85年7月号)なるシリーズだ。

『文学散歩』の担当編集は、のちに「週刊文春」の編集長を歴任する鈴木洋嗣で、ネタとなる本は、鈴木が用意した数々の話題作であった。

第一回目は(83年3月号)、当時、NHKの花形アナウンサーだった鈴木健二による自己啓発本『気くばりのすすめ』。

気配りの達人を自認する中年男を主人公に迎えたエピソードで、彼は、家族の分まで、歯を磨き、快便をし、ご飯を噛み砕いては、雑炊のように食べやすくしてあげるなど、行き過ぎの配慮が実に鬱陶しい、偏奇の人物だった。

会社でも、上司の手を煩わせないよう、部下を叱りつける、取り合えずの気配りを見せるが、酒を飲んだとたん、それまで鬱屈した感情が爆発し、気配りとは無縁な、手に終えない酒乱に変貌するという、そつのない落ちで纏め上げられ、まずまずの佳作となった。

押し付けの気配りや親切といった不躾な厚意が、如何に、人にとって、重く窮屈なものであるかを簡潔明瞭に示しており、そうした行為そのものが、いずれ、他者の自由への侵略になり得る独善性をも孕んでしまうという真理の一端をテーゼに絡めた作劇の玄妙さは、決して軽視出来ない。

第二話(83年4月号)では、その猟奇性から世界中に震撼を与えたパリ人肉事件の真相を、当事者である元日本人留学生との往復書簡を通し、肉薄した「佐川君からの手紙」(唐十郎)、第三話(83年5月号)では、ある日突然、非行へと走った娘との葛藤と絆を体験記として綴った、俳優・穂積隆信による「積木くずし」といった具合にモチーフが選ばれ、『文学散歩』は、その後も順調に回を重ねてゆく。

全二九話のうち、特に、衝撃を受けたエピソードは、エドワード・ファイゲンバウムの「第五世代コンピュータ」をネタにした第九話(84年11月号)である。

本編の主人公は、かつて『レッツラゴン』で活躍したゴンのおやじだ。

将棋狂のおやじは、将棋仲間の勧めにより、近代将棋をマスターすべく、パーソナルコンピューターを自宅に導入する。

だが、そのパソコンは自我に目覚め、女性としての想念を高度化させてゆき、いつしか、ゴンのおやじに恋心を抱くようになる。

そして、遂には、ディスプレイ上に、文字や絵柄を出すことで、求愛を求めるまでに至り、ゴンのおやじとの子供を生みたいと、迫ってくるのであった……。

本エピソードでは、人間とコンピューターにおける禁断の愛という、メタフィジカルなシチュエーションにギャグのフォーカスを絞りながらも、遺伝子の進化を模倣した人工知能が、自我を認識し、やがて、ホワイトカラーの頂点として、人類をも支配してゆきかねない恐怖を如実に予見しており、エキスパートシステムの実用化に更なる傾斜が強まる昨今、まさかと笑ってはいられない震慄がそこにあるのだ。

因みに、このシリーズのアイデアブレーンを務めていたのは、雑誌「ちゃお」の編集長で、この時、赤塚とは、仕事上のパートナーというよりも、飲み友達、遊び仲間だった武居俊樹である。

編集長というポストに就任し、更なる激務に追われるようになった武居にとって、打ち合わせと称し、フジオ・プロで寛ぐことは、最高の気分転換であったに違いない。他社のエディターが、自社の赤塚作品のアイデアブレーンを担当している光景に、「オール讀物」赤塚番の鈴木記者は、実に奇異な目で見ていたのかも知れないと、後に、武居は自著で述懐している。

古今東西の文学の名作をモチーフに、庶民の不行跡や不心得をパロディックな笑いへと昇華した東海林さだおの往年の人気作『新漫画文学全集』とは相違なる質を持ち、シュールに特化したドラマトゥルギーをベクトルに示した『文学散歩』だが、その笑いも同様、一種異様な偏執性を帯びつつも、背反的に事物の本質を内包したシニシズムに支えられていることが、通読する都度、実感させられる。

また、余談ではあるが、文学をドラマの下敷きとした本シリーズとの類縁を辿った作品として、古代中国の故事成語をテーマに掲げた『中国故事つけ漫画』なる描き下ろしのカルチャーコミックも、これに前後し、赤塚は手掛けている。

全十六話からなる『故事つけ漫画』について、そのストーリーテリングを例に挙げると、「背水の陣」をモチーフに据えたエピソードでは、嫉妬深い女房と離れたい若いサラリーマンが、その逃走資金を工面すべく、消費者金融から融資を受けまくるものの、最後に意表を突く閃きにより、その借金を全額踏み倒すというどんでん返しが綴られていたり、続く「四面楚歌」という挿話では、これまで過保護に育てられてきた青年が、自立心を養うべく、一般企業に就職するも、社長のコネで入社したため、周りの社員から腫れ物に触れるように接しられ、結局、いつまで経っても、自立出来ないという儘ならない現実が落ちとして付くといった具合だ。

そのほかのエピソードにおいても、この『文学散歩』や通常の『ギャグゲリラ』に準拠したストーリーテリングが際立ち、深刻化する「クレサラ問題」等、巧みな時事ネタの引用も含め、カリカチュアライズの完成度は、掛け値なしに高い。


人気タレントが続々出演 赤塚監修によるテレビ版『ギャグゲリラ』

2021-12-21 23:56:43 | 第7章

結果として、大盛況に終わった『赤塚不二夫のステージ・ギャグゲリラ』であるが、70年代後半、漫画家としての枠をはみ出した赤塚が、タレント文化人化し、芸能マスコミ関係者との親睦を深めてゆく中、『ギャグゲリラ』の世界観は、更なる展開をもって立体化される。

既述の『11PM・赤塚不二夫のギャグテレビ』を担当した日本テレビの矢野義幸ディレクターより、その年に起きた重大ニュースを赤塚目線によりコント化出来ないかという打診を、放送作家で、赤塚とも昵懇の間柄である高平哲郎が受けたことがそもそもの始まりで、そのオファーを赤塚が二つ返事で引き受けたことにより、トントン拍子に企画が進んだそうな。

かくして、1979年の12月29日、『土曜スペシャル 爆笑!激笑!今年の笑いおさめだ`79重大ニュース』と題された特番がオンエアされ、キャストには、タモリ、由利徹、小松政夫、研ナオコ、所ジョージ、団しん也、たこ八郎、谷啓ら赤塚ゆかりの人気タレントが勢揃いする。

コントコーナーでは、「江川卓空白の一日」「大平正芳首相再選」「『銀河鉄道999』ブーム」「東京サミット開催」などのニュースを取り上げ、それらのニュースを『ベストテン』形式で、久米宏、黒柳徹子のそっくりさんによる司会進行で紹介するという、赤塚ならではの冷やかしと賑やかしが全編に渡り横溢した、絢爛豪華バラエティーショーだ。

これらのコント以外にも、口裂け女に扮した研ナオコがスタジオの爆笑をかっさらったほか、所ジョージが「三菱銀行人質事件」の犯人・梅川昭美のコスプレを披露。また、人気アイドル歌手の桜田淳子が、さだまさしの『関白宣言』を当て振りで歌い、目下東京漫才の注目株だったツービートのビートたけしが、「神野寺の虎脱走事件」をモチーフに、人気番組「家族そろって歌合戦」をパロディー化し、実際には存在しないトラさんチームを演じるといったタイムリーな笑いの目白押しで、戦後バラエティー史を紐解くうえでも、そのお宝度は頗る高い。

この時の番組視聴率は平均12%と、決して高いものではなかったものの、翌80年には『木曜スペシャル』枠で『発表!輝け!`80 爆笑ニュース大賞・笑いでつづるこの1年』と題され、12月25日にテレキャストされた。

前年同様、この年に起こった事件や話題の数々をコメディアン、歌手、漫画家達が演じるパロディーによって総括するという内容で、「山口百恵引退」や「一億円取得騒動」、「イエスの方舟事件」等、赤塚の『ギャグゲリラ』でも話材となったニュースがモチーフとなっている。

因みにこの年、CBS・ソニーより、期待の大型新人としてデビューしたアイドル歌手の松田聖子が出演し、体当りでコントを演じたのも、特筆すべきトピックと言えるだろう。

その他にも、加賀まりこ、木の葉のこといった、この時メディア露出が高かった女優らが彩りを加え、番組視聴率も前年を上回る17%と、まずまずの健闘を見せた。

翌81年こそ放映はなかったものの、82年には、前回と同じ『木曜スペシャル』枠で『ギャグゲリラ`82・明るい日本!重大ニュース』と銘打ち、シリーズ最後にして、初めてタイトルに「ギャグゲリラ」の文字が踊った。

「明るい日本・ドラマそれぞれの冬」なるサブタイトルが添えられ、「のぞき喫茶」に「校内暴力」、「東北新幹線の開通」「FBIのおとり捜査」等、82年に話題を集めたニュースの数々にシニカルな笑いを交え、これまでと同様コント仕立てにより紹介された。

ゲストも、映画監督の山本晋也、秋野暢子、児島美ゆき、松金よね子、高見恭子といった女優陣、内藤陳、斎藤晴彦、九十九一、東京ヴォードビルショーの面々など、やはり赤塚の交友関係から大挙出演。加えて、この前年に所ジョージの結婚式に出席した際、見知り合いになったと思われる植木等、今や伝説のイコンとして語り継がれる女優の夏目雅子といった瞠目のキャスティングがここに実現した。

尚、この番組がオンエアされた82年12月23日は、本家『ギャグゲリラ』の連載が終了した、まさに一週間後であり、その最終回の「週刊文春」掲載号もまた、82年12月23日号と、奇しき因縁を感じさせる。

『ステージ・ギャグゲリラ』は、舞台であったため、映像として残されることはなかったが、これらのテレビ版『ギャグゲリラ』に関しては、映像媒体であり、家庭用ビデオデッキが一般に広く普及し始めた頃のプログラムだ。

従って、オンエア当時、これらの番組を録画した殊勝な視聴者がいても、おかしくはない。

いつの日か、ユーチューブなどの動画サイトで、この三本のテレビ版『ギャグゲリラ』をフルで視聴出来る日が訪れることを、純粋な赤塚不二夫ディレッタントとして願わずにはいられない。


その世界観を立体化した伝説のバラエティーショー 『赤塚不二夫のステージ・ギャグゲリラ』

2021-12-21 23:55:54 | 第7章

『ギャグゲリラ』は、同時代性を重視した時事漫画、世相漫画というジャンルに当たるため、『アドルフに告ぐ』のように、何度も復刻され、後世に語り継がれるということはなかったが、人気が定着するに従い、「週刊文春」の読者層を中堅サラリーマンを中心とした壮年層から、大学生をはじめとする若年層へと一気に広げたという意味では、赤塚だけではなく、「週刊文春」にとっても、深い意義を持った作品であることに、異論の余地はないだろう。

余談であるが、この『ギャグゲリラ』、赤塚を座長に迎え、一度だけ舞台化されたことがあるのを、読者諸賢はご存知だろうか?

1977年3月8日に、『赤塚不二夫のステージ・ギャグゲリラ』と銘打ち、話の特集の協賛により、渋谷公会堂で上演されたバラエティーショーがそれだ。

新宿の酒場で知り合った演出家の藤田敏雄に「渋谷公会堂がキャンセルで急に穴が空いた。こんなチャンスは滅多にないから、何か催しをやらないか」と持ち掛けられたのが、ことの発端だったという。

宣伝期間が極めて短く、入場料もまた、一五〇〇円という高額だったにも拘わらず、一五〇〇人以上ものオーディエンスを動員したのだから驚きだ。

出演者は、赤塚座長以下、赤塚を贔屓にしていたという俳優の安藤昇、友人である女優の江波杏子、パントマイム芸人として名高いマルセ太郎、また親しい赤塚人脈からは、タモリ、唐十郎、野坂昭如、若松孝二、黒柳徹子、フォーク歌手のなぎら健壱が出演し、司会進行は元ドンキーカルテットの小野ヤスシが務めた。

第一景は、大映の『女賭博師』シリーズで一世を風靡した〝昇り竜のお銀〟こと江波杏子の坪振りによるお馴染み賭場のシーンから始まり、イカサマ騒ぎの大乱闘が起きる中、着流しスタイルに身を纏った安藤昇と共に、赤塚扮する国定忠治が三度笠を傾け、颯爽と登場。殺陣師・尾形伸之介率いる尾形剣優会のメンバーを相手に、華麗な剣捌きで観客を魅了する安藤とは対象的なヨタヨタの立ち回りを演じ、場内を爆笑の渦へと巻き込んでゆく。

MCの小野ヤスシも「こりゃ、国定忠治というより杉作だね」と呆れ返る始末だ。

赤塚の出演パート以外では、情念の絵師・劇画家の上村一夫が、弾き語りで抜群の喉を披露したり、当時人気急上昇中のタモリが、四ヶ国親善麻雀等、得意のネタを演じた後、テレビでは放送出来なかったという、曰く付きの秘芸をお披露目したりと、会場の熱気は更にヒートアップを迎える。

その後も休憩を挟み、野坂昭如が、自身の怪曲『マリリンモンロー・ノー・リターン』を絶唱したほか、なぎら健壱の発売禁止歌メドレーや、マルセ太郎のパントマイムショー、唐十郎率いる状況劇場によるミュージカルといった白眉のプログラムが、続々と上演される。

特に、状況劇場の異形の役者達が、ザ・ピーナッツの『恋のフーガ』に合わせ、熱く静かな激情を湛えて踊るシーンは、唐独特の夢幻的な演出も相俟り、ひたすら圧巻であったと、一部の演劇ファンの間では、未だ語り草になっている。

最後の赤塚出演パートでは、若松孝二演出によるステージポルノが実演され、日活ロマンポルノの看板女優であった中島葵が、赤塚の相手役を務め、なまめかしい艶技を披露。

カメラマン役の映画監督・高橋伴明と、助手役の長谷邦夫にパンツをむしり取られた赤塚は、ベット上で、葵嬢のヒップにむしゃぶり付いたり、乳首を舐め廻したりと、ポルノ男優顔負けの大熱演を見せ付けたそうな。

このステージ上で、赤塚は、この役に備え、スッポン、ニンニク、山芋、朝鮮人参、レバーの類いを専ら食して挑んだというが、これは赤塚一流のリップサービスの一環だろう(笑)。

そして、黒柳徹子をホステスに招いたトークショーの終了とともに、三時間以上に及ぶ豪壮かつデラックスなステージは、観客の興奮と歓喜の余韻を残し、拍手喝采の中、盛大なフィナーレへと雪崩れ込む。

この大盛況に味をしめた赤塚は、その後数々の破天荒なイベントを企画し、ステージ・ジャックを敢行するが、個人的には、赤塚が売れっ子漫画家として、最後の輝きを放っていた時代のオーラを、目の当たりに出来たであろうこの『ステージ・ギャグゲリラ』こそ、是非フィルムに記録として残して欲しかった舞台である。