文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

その世界観を立体化した伝説のバラエティーショー 『赤塚不二夫のステージ・ギャグゲリラ』

2021-12-21 23:55:54 | 第7章

『ギャグゲリラ』は、同時代性を重視した時事漫画、世相漫画というジャンルに当たるため、『アドルフに告ぐ』のように、何度も復刻され、後世に語り継がれるということはなかったが、人気が定着するに従い、「週刊文春」の読者層を中堅サラリーマンを中心とした壮年層から、大学生をはじめとする若年層へと一気に広げたという意味では、赤塚だけではなく、「週刊文春」にとっても、深い意義を持った作品であることに、異論の余地はないだろう。

余談であるが、この『ギャグゲリラ』、赤塚を座長に迎え、一度だけ舞台化されたことがあるのを、読者諸賢はご存知だろうか?

1977年3月8日に、『赤塚不二夫のステージ・ギャグゲリラ』と銘打ち、話の特集の協賛により、渋谷公会堂で上演されたバラエティーショーがそれだ。

新宿の酒場で知り合った演出家の藤田敏雄に「渋谷公会堂がキャンセルで急に穴が空いた。こんなチャンスは滅多にないから、何か催しをやらないか」と持ち掛けられたのが、ことの発端だったという。

宣伝期間が極めて短く、入場料もまた、一五〇〇円という高額だったにも拘わらず、一五〇〇人以上ものオーディエンスを動員したのだから驚きだ。

出演者は、赤塚座長以下、赤塚を贔屓にしていたという俳優の安藤昇、友人である女優の江波杏子、パントマイム芸人として名高いマルセ太郎、また親しい赤塚人脈からは、タモリ、唐十郎、野坂昭如、若松孝二、黒柳徹子、フォーク歌手のなぎら健壱が出演し、司会進行は元ドンキーカルテットの小野ヤスシが務めた。

第一景は、大映の『女賭博師』シリーズで一世を風靡した〝昇り竜のお銀〟こと江波杏子の坪振りによるお馴染み賭場のシーンから始まり、イカサマ騒ぎの大乱闘が起きる中、着流しスタイルに身を纏った安藤昇と共に、赤塚扮する国定忠治が三度笠を傾け、颯爽と登場。殺陣師・尾形伸之介率いる尾形剣優会のメンバーを相手に、華麗な剣捌きで観客を魅了する安藤とは対象的なヨタヨタの立ち回りを演じ、場内を爆笑の渦へと巻き込んでゆく。

MCの小野ヤスシも「こりゃ、国定忠治というより杉作だね」と呆れ返る始末だ。

赤塚の出演パート以外では、情念の絵師・劇画家の上村一夫が、弾き語りで抜群の喉を披露したり、当時人気急上昇中のタモリが、四ヶ国親善麻雀等、得意のネタを演じた後、テレビでは放送出来なかったという、曰く付きの秘芸をお披露目したりと、会場の熱気は更にヒートアップを迎える。

その後も休憩を挟み、野坂昭如が、自身の怪曲『マリリンモンロー・ノー・リターン』を絶唱したほか、なぎら健壱の発売禁止歌メドレーや、マルセ太郎のパントマイムショー、唐十郎率いる状況劇場によるミュージカルといった白眉のプログラムが、続々と上演される。

特に、状況劇場の異形の役者達が、ザ・ピーナッツの『恋のフーガ』に合わせ、熱く静かな激情を湛えて踊るシーンは、唐独特の夢幻的な演出も相俟り、ひたすら圧巻であったと、一部の演劇ファンの間では、未だ語り草になっている。

最後の赤塚出演パートでは、若松孝二演出によるステージポルノが実演され、日活ロマンポルノの看板女優であった中島葵が、赤塚の相手役を務め、なまめかしい艶技を披露。

カメラマン役の映画監督・高橋伴明と、助手役の長谷邦夫にパンツをむしり取られた赤塚は、ベット上で、葵嬢のヒップにむしゃぶり付いたり、乳首を舐め廻したりと、ポルノ男優顔負けの大熱演を見せ付けたそうな。

このステージ上で、赤塚は、この役に備え、スッポン、ニンニク、山芋、朝鮮人参、レバーの類いを専ら食して挑んだというが、これは赤塚一流のリップサービスの一環だろう(笑)。

そして、黒柳徹子をホステスに招いたトークショーの終了とともに、三時間以上に及ぶ豪壮かつデラックスなステージは、観客の興奮と歓喜の余韻を残し、拍手喝采の中、盛大なフィナーレへと雪崩れ込む。

この大盛況に味をしめた赤塚は、その後数々の破天荒なイベントを企画し、ステージ・ジャックを敢行するが、個人的には、赤塚が売れっ子漫画家として、最後の輝きを放っていた時代のオーラを、目の当たりに出来たであろうこの『ステージ・ギャグゲリラ』こそ、是非フィルムに記録として残して欲しかった舞台である。


時代に向き合ったギャグと時事風刺 『ギャグゲリラ』連載の真の意義とは?

2021-12-21 23:51:01 | 第7章

その後も、『ギャグゲリラ』は、順調に掲載本数を重ねるとともに、時代と向き合った傑作ギャグをコンスタントに生み出し、連載開始から十一年目に突入した1982年、遂に最終回を迎えることになる。

赤塚は、1978年から毎年、「週刊文春」の12月最終号に発表される『ギャグゲリラ』で、その年を騒がせた重大ニュースを戯画化することを恒例としており、本作の最終回が掲載された12月23・30日合併号でも、「重大ニュース'82」と題し、この一年を総括した。

「重大ニュース'82」は、『なんとなくクリスタル』で一躍ベストセラー作家となった田中康夫を狂言廻しにドラマが進み、「人工心臓の装着手術の成功」、「ソ連共産書記局のレオニード・ブレジネフの死去」、「三越の偽秘宝事件」、「日本航空350便墜落事故」、「千代の富士による富士昇リンチ事件」、「金平正紀協栄ジム会長のオレンジ注射スキャンダル」、「森村誠一『悪魔の飽食』のベストセラー」、「侵略か進出か、歴史的事実の認識を巡る教科用図書検定」、「斎藤勇東大名誉教授惨殺事件」、「日本ケミファー新薬申請データ捏造事件」、「東京高裁部総括判事・倉田卓次への『家畜人ヤプー』原作者疑惑」、「日立と三菱によるIBM産業スパイ事件」、「西武ライオンズ日本一」、「鈴木善幸首相辞任」、「中曽根内閣誕生」といったニュースをギャグとして絡めながら、最後に田中康夫の滞在先である〝ホテル・ニュージャパン〟が火災により炎上し、ラストを締め括る。

このように、息も付かせぬ慌ただしい展開が、本来なら収まり切らないであろう僅か6ページというスペースの中で、目まぐるしく繰り広げられ、有終の美を飾るに相応しい、高密度なラストエピソードとなった。

そして、最後のコマでは、赤塚自らが登場し、読者にこう挨拶の文言を捧げる。

「そして 最大の重大ニュース」「十一年に渡って連載しました「ギャグゲリラ」 今週をもちまして終わらせていただきます みなさま 長らくの御愛読 ありがとうございました」

「週刊文春」は赤塚にとって、憧れの檜舞台でもあった。

その雑誌に、自身にとっての代表作と誇れる作品を長期に渡って発表し、強烈なギャグと時事風刺で、読者を牽引し続けた。

そのような執筆の背景を想察した際、私は、この台詞に、赤塚の万感の想いが込められているように思えてならない。

『ギャグゲリラ』終了後、その掲載枠は、手塚治虫の歴史的大作『アドルフに告ぐ』へとバトンタッチされる。

ナチス興亡の時代をバックに、アドルフというファーストネームを持つ三人の男の数奇な運命を、インターナショナルな観点から綴った『アドルフに告ぐ』は、連載開始から大反響を巻き起こし、その後も、講談社漫画賞を受賞するなど、手塚にとって、久方ぶりのヒットタイトルとなった。

『ギャグゲリラ』のコミックスは、1974年、朝日ソノラマから全3巻が初刊行されて以降、アケボノコミックス(曙出版・全4巻、77年)、立風書房漫画文庫(立風書房・全8巻、80年)、アクションコミックス(双葉社・全5巻、84年)、ごま書房(全12巻、99年~01年)、文春文庫(文藝春秋・全1巻、09年)といった各版元より叢書化されたほか、多数の未収録作品を含む、80年~82年掲載分のエピソードも、無会派のキリスト信仰団体・イエスの方舟を材に選んだ一編(「あこがれのハワイ航路」80年7月31日号)を除き、02年発売の『赤塚不二夫漫画大全集DVD―ROM』(小学館)に完全収録され、漸く陽の目を見ることとなった。

因みに、「あこがれのハワイ航路」は、竜之進が、〝イエスの方舟〟代表・千石イエスの如く、若い女性達に聖書の教えを説き、聖なる使徒として導いてゆこうとする崇高性と、そのおこぼれに預かりたいと、煩悩を絶ち切れずにいる実父の俗物性とのコントラストを隠れ蓑に、当時、団体を〝現代の神隠し〟〝千石ハーレム〟と煽情的に報道していたマスコミの恣意性を問い掛けた一作だ。


波紋を呼んだ問題作「タレント候補 赤塚不二夫」 「パワーアップ」 抗弁を受ける側のロジックとは… 

2021-12-21 23:48:36 | 第7章

『ギャグゲリラ』は、混迷する社会情勢や腐敗政治、権力機構への嘲笑や指弾を主体とした時事漫画であるが、その悪ノリぶりや内容の過激さが、解釈の相違を招き、一部マスコミの間で、波紋が広がったことも、時としてあった。

「タレント候補 赤塚不二夫」(77年4月21日号)では、元祖学歴無用論者と称し、満州からの引き揚げから、漫画家として成功するまでの自らの経歴を、故意的に誤字脱字を用いて紹介。第十一回参議院議員通常選挙への出馬を意識した、読む政見放送としてコミカライズした一編だ。

この作品は、前年の田中角栄逮捕により、金権体質が公然化し、アンチムードに晒されていた自民党が、無所属、諸派議員を取り囲み、与野党逆転を阻害しようと試みた際、多数のタレント候補を擁立させた、党の迷走ぶりを皮肉って描かれたものだが、これを真に受けたマスコミ各社からの問い合わせがフジオ・プロに殺到。そのエクスプラネーションとして、本作が発表された一ヶ月後、「赤塚不二夫 政治に漫画を‼」(77年5月12日号)というエピソードで、赤塚自ら、改めて立候補を表明し、マニフェストを策定した。

マニフェストと言っても、投票特別優待券を配り、川崎堀之内の特殊浴場の入浴料をサービスするとか、当時、赤塚がスタジオを構えていたひとみマンション前に駅を建造し、急行の停車駅にするといった、どれも愚策の極みというべきもので、自らがピエロになりつつも、本編そのものが、与野党を含め、タレント候補の無能、無策ぶりをメタフォリックに揶揄した、明敏なカリカチュールになり得ている。

勿論、その後、赤塚が参議院選に出馬したという事実はなく、ここでも、読者やマスコミが煙に巻かれた恰好だ。

第十一回参議院選挙では、新自由クラブの結成に象徴される自民党の内部分裂や、世論調査に見る自民の政治倫理への不信ムードなどから、当時あらゆるメディアが、保革逆転による政権移譲を示唆しており、かつてないその激戦の顛末は、赤塚にとって、興趣の尽きないモチーフだったに違いない。

それを物語るかのように、短期間の間、続けざまに複数本の選挙ネタをコミカライズしている。

特に、投開票後に発表されたエピソードで、落選候補者の悲歎を綴った「1票差」(77年7月21日号)という作品は、ギャグ漫画という観点から捉えても、大傑作と呼ぶに相応しい、紛うことなき逸品だ。

たった一票差だったとはいえ、再選を果たせなかった候補者に、世間の風当たりは冷たかった。

親戚から贈られた御中元のカルピスも、去年は四本だったが、今年は一本だけ。それ以外に、地位を失墜させた彼に御中元を持って来る者など、誰もいなかった。

しかし、忠誠を誓う選挙スタッフ二人は、彼に最高の御中元を贈呈する。

それは、二人が投票箱に入れずに取って置いた投票用紙で、候補者氏名欄には、二枚とも彼の名前が記されていた。

選挙スタッフ二人は、忠誠の誓いを証拠として残し、直接彼に手渡したのだ。

感激の余り、涙する落選候補者。

しかし、この二票が投票箱に入っていれば……。

余談だが、「1票差」と前述の「足りない‼」、この二つのエピソードに関しては、後年になってから、前者は『ビートたけしの作り方』、後者は『志村けんのだいじょうぶだぁⅡ』というバラエティー番組の中で、全く同様のネタが、コントのプロットとして使われたことがある。

番組の構成作家が作ったのか、たけしや志村が作ったのかは、定かではないが、いずれにせよ、ビートたけし、志村けんというお笑い界の二大巨頭が、自身の番組で、そのアイデアを採用すること自体、赤塚ギャグの時代を超越する普遍性と、甚大な影響力を持つその強力な磁場を如実に物語っているかのように思える。

出来の悪い落ちこぼれ息子を名門私立・開成中学に合格させるべく、あの手この手の頭脳アップ試みる教育一家の馬鹿さ加減ぶりをこき下ろした「パワーアップ」(78年2月23日号)では、作中、開成中学との対比で、実在する区立A中学の名前を頻繁に出したことが問題視され、「週刊文春」編集部宛てに、区立A中学より、内容証明と併せて、抗議文が送り付けられるというトラブルへと発展した。

実際、A中学は、区内でも、一、二を争う学力水準の高い学校であるものの、このような差別的とも取れるジョークは、受験期を控え、動揺しやすい生徒に悪影響を及ぼすものであり、教育的配慮が足りないというのが、A中学サイドの主張であった。

このトラブルは、読売新聞の三面で、トップ記事(78年2月28日付)として取り上げられ、広く世間に知られることとなったが、その笑いの根底には、A中学を揶揄しているのではなく、開成中学、延いては東大進学率の高い名門校のバリューを信じて疑わない馬鹿親への嘲弄が含まれていることは、一角の知力とバランス感覚を持った読者から見れば、一目瞭然であろう。

そもそも、赤塚がA中学という実在の学校名を用いた件に関しても、固有名詞の使用により、ギャグに深みとリアリズムが滲み出ることを狙った、単なる演出に過ぎなかったのだ。

結局、後日「文春」誌上で、謝罪文を掲載することと、単行本収録の際には、A中学の名を削除をすることを誓約し、事態は収束するが、不特定多数の読者のうちの不特定の部分には、知的余裕と感情的余裕が欠落した垂直思考の持ち主が少なからずいるということを、この一件で、赤塚は身に染みて感じたという。

そして、マスコミや一部読者からの批判の声に怯むようであっては、時代にインパクトを与え得るギャグ漫画など描けやしない。

寧ろ、異議や反発を受ければ、受けるほど、そのギャグが面白かった論拠になるのだと、後に、抗弁を受ける側のロジックとして、自身の意中を述べている。

このように、本来なら風刺漫画というジャンルにカテゴライズされながらも、従来の赤塚ワールドと同じく、その着想は、誇張や飛躍、逆転の発想と変幻自在に形を変えながら、常にデフォルメされた、ドラスティックな笑いへと転換され、読者を驚愕の異世界へと誘ってゆく。

そう、赤塚が生み出した少年漫画のフォーマットは、サディズムを極点に示したその荒唐無稽ぶりを含め、本作『ギャグゲリラ』によって、大人漫画の世界においても、完全に定着化したのだ。

 


時宜を得たシャープなファルス「嫌煙法成立!」「尺八夜怪談」

2021-12-21 23:47:47 | 第7章

「不死鳥」のように、政界の裏事情を表面化した作品もあれば、その時駆け巡った都市伝説的な現象やトリビアルな話柄などを、時宜を得たシャープなファルスへと組み換え、人間ドラマを構築してゆくエピソードも少なくない。

1978年、厚生省が提示した〝第一次国民健康づくり対策〟を受け、禁煙ムードが一般に広く浸透した際、もし、あらゆる公共機関での全面禁煙が法案化され、それが、衆参両院で可決、立法化されたらという、仮想世界をベースに、過剰な禁煙支援に一石を投じる小噺として描かれた傑作が、「嫌煙法成立!」(78年4月27日号)である。

1919年から33年に掛け、アメリカで合衆国憲法修正第十八条下において施行された禁酒法を、そのまま煙草に置き換え、現代日本で復活するというシチュエーションのもと、辺境のバーで、ボトルキープならぬタバコキープして吃煙するなど、喫煙をテーマに読者の虚を突くナンセンスな笑いが、幾つも散りばめられている本作だが、喫煙スペースの縮小や新幹線の喫煙車両の全面廃止など、昨今の禁煙ファシズムに肩身の狭い想いをしている喫煙者諸氏には、いずれのアイデアも、そうそう笑ってはいられないアクチュアリティーを漂わせており、その卓見ぶりを痛切に感じさせるエピソードと言えよう。

1979年、春季から夏季に掛け、小中学生児童を中心に、日本全土を駆け巡った怪談〝口裂け女〟も、モチーフの一つに選ばれ、7月5日号掲載の「尺八夜怪談」という作品で、その正体に対し、何とも大胆な仮説が立てられた。

整形手術に失敗し、精神疾患を引き起こした若い女性の成れの果ての姿だとか、CIAが、未確認情報が伝播してゆく過程を検証すべく流布したミッションだとか、その実体に関し、様々な憶測を招いた口裂け女であるが、赤塚はこれを、フェラチオが出来ないがため、男に捨てられる羽目になったおちょぼ口女の仕業であると推理(⁉)した。

ラーメンを食べる時は、シナチクを千切りにしなくては食べれず、また、タバコもストローがなければ、吸えない、この超おちょぼ口な女は、見た目が美人の上、蜜壷も、潮吹き、カズノコ、タコミミズという稀に見る名器の持ち主だったが、フェラチオが出来ないがため、男から全く相手にされない。

街でナンパされ、男と喫茶店に入った時も、相手から「ところで、お嬢さん、フェラチオできますか」と単刀直入に訊ねられ、「できません」と答えると、「じゃサヨナラ」と逃げられてしまう始末だ。

結婚相談所では、担当者から、あなたの趣味、経歴は申し分ないとのお墨付きをもらうものの、男性陣の希望欄には、全員フェラチオと書かれており、またしても、断られる結果となってしまう。

男に対する怨念が募りに募ったおちょぼ口女は、遂にメイクで口裂け女に変身し、夜な夜な街に出ては、男達を恐怖のどん底に叩き落とすのだった。

これらのエピソードもまた、実を虚に、虚を実に転成する暢達自在なアイロニーと遊戯性が、極めて洒脱で、そこに組み伏せられる発想の多様性の妙こそが、テーマとなる事柄への一義的な通念を覆し、読み手の想定領域を遥かに踏み越えたメトニミックな笑いへと異化してゆくのだ。

特に、「尺八夜怪談」のキプロクオに至っては、モチーフの異種結合も殊更に際立ち、艶笑譚としても比類なき面白さを開陳した一作だ。


エスプリを利かせた見事な論証「不死鳥」「仲よきことは……」

2021-12-21 23:47:14 | 第7章

1976年7月27日、第六四、六五代内閣総理大臣を歴任した自由民主党衆議院議員の田中角栄が、アメリカ大手の航空機メーカー・ロッキード社製旅客機の受注に絡んだ受託収賄と外国為替、外国貿易管理法違反の容疑で逮捕、起訴された所謂「ロッキード事件」が発生。田中元総理の起訴を皮切りに、この時、田中と緊密な関係にあった政財界の大物の逮捕劇が相次いだほか、被告人らの複数の側近人物が謎の怪死を遂げるなど、戦後最悪の疑獄事件へと発展した。

日本社会を震撼させた政治的スキャンダルとしてだけではなく、アメリカとの外交上の問題においても、その後長期に渡り、深刻な爪跡を残したとされる本事犯もまた、「不死鳥」(76年8月26日号)というタイトルで、カリカチュアライズされた。

田中収監と時期的にシンクロして描かれたこの「不死鳥」は、翌日、身柄を東京拘置所へと移送される田中が、暫しの別れの前に、邸宅がある広大な土地を秘書とともに、一回りするところから始まる。

「この広い大邸宅にお住まいの先生が 明日からあの狭い独房にお入りになるとは……」

嘆く秘書に、田中は「泣くなてば‼ 初めてじゃないてば‼ 慣れてるてば‼ わしの別荘だてば‼」と、こう諌める。

因みに、「初めじゃないてば‼」とは、戦後間もなくの頃、田中が、収賄罪の容疑で逮捕、起訴された「炭鉱国管疑獄」を指す。

田中邸の土地はとにかく広大で、地図を見なければ、道に迷うほどで、その地図も世界地図ではないと、間に合わないという、想像を絶するものだった。

自慢の錦鯉が泳ぐ池は、池というよりも、もはや湖というレベルで、その面積は、琵琶湖の一〇倍に匹敵する広さなのだ。

田中が、湖に向かって手を叩くと、錦鯉ではなく、ネッシーが出現し、ジャングル地帯を彷彿させる森林では、二〇年前、屋敷に忍び込んだ泥棒が、余りの広さに迷い、ロビンソン・クルーソーのような生活をしていたり、ターザンが住処にしていたりと、そのスケールの大きさには、田中本人も驚愕するばかりだった。

しかし、田中は自分の土地に住み着く彼らに鷹揚に振る舞い、明日からの拘置所生活をゆとりを持って迎えようとする。

そして、コンピューター付きブルトーザーの異名をかなぐり捨て、自らを不死鳥と名乗る田中は、出所後、日本大悪党なる新党を設立し、政界にカムバックすることを読者に宣言し、物語は幕を閉じる。

ロッキード事件での逮捕、自民党からの離党以降も、党内最大派閥の実質的な権力者として、政界に隠然たる影響力を保持し続けることになる田中の闇将軍ぶりを、仄めかして終わるこの作品は、シンプルなドラマに仕立てられたショートショートでありながらも、ギャグというフィルターを通し、日本政治史始まって以来の怪物・田中角栄の実像をビビッドに炙り出しており、洞察力に優れた赤塚ならではの切れ味の鋭さを改めて痛感させられる一作となった。

1978年、高まる航空需要に対応すべく、紆余曲折を経て、成田国際空港が、千葉県成田市にて建設されるが、三里塚芝山連合空港反対同盟の結成から続く、空港用地内外の近隣農民、騒音地域内の住民らによる一連の反対運動は、武装闘争路線を標榜する新左翼諸派の活動介入により、更なる激しさを増し、特に開港までの一年もの間は、管制塔の占拠事件が起こるなど、破壊活動への傾斜を強めていった時期でもあった。

71年頃、多数の左翼系文化人と知遇を得た関係から、三里塚現地闘争に参加した過去を持つ赤塚にとって、この攻防は決して無視出来ないテーマだったようで、本件に関連する事柄に材を求めた作品を、この管制塔占拠に前後し、延べ六本執筆した。

中でも圧巻は、エスプリを利かした見事な論証力で、新空港の強行開港と反対闘争、双方の不当性を再検証し、その批判を換喩的な笑いに置き換えた「仲よきことは…」(78年4月13日号)「ハンタイのサンセイ」(78年5月25日号)の二編である。

「仲よきことは…」は、国際線のパイロットの主人と機動隊員の長男、開港反対派の学生を次男に持つ主婦の苦悩と繋ぎ合わせ、内政の最重要課題として、開港問題に取り組むと主張しながらも、地元住民対策や騒音対策等、諸施策ついて、開港後も依然として解決の目処が立たずにいる、福田改造内閣の無責任ぶりを嘲謔した一編。

「ハンタイのサンセイ」は、周囲の猛烈な反対を押し切って、駆け落ちしたカップルを主人公に据えたエピソードで、親族の了承を得て、彼女の父親が用意してくれた高級マンションで暮らすようになったとたん、お互いへの愛が急激に醒めていった二人が、空港建設予定地近くに住居を移し、「反対」のシュプレヒコールを聞いているうちに、再び愛が燃え盛ってゆくという、目眩くギャグの展開力を開示した一作だ。

もはや、反権力闘争の象徴的対象としてしか捉えていない、三里塚新空港阻止運動における、新左翼勢力の思想的破綻を、バカップルの軽拳妄動とも言うべき恋愛遊戯にオーバーラップさせ、描破している両義性に、この作品の深淵さがある。