雑誌STORYの林真理子さんのエッセイが好きだ。
彼女の小説は初期の「葡萄が目にしみる」でリアリティのある文章に惹かれ、そこから、彼女の小説は殆ど読んできた。
当時のエッセーはドギツくて、食傷気味だったが
直木賞を受賞した短編小説「京都まで」はすごく好きな作品だ。
恋愛の華やかさ、甘い香り、京都の町の妖艶な美しさと擦り傷のようなヒリヒリとした痛み、恋愛の全てを味わう事が出来たあの短編小説。
「京都に住んでみたいなぁ」そう憧れるきっかけとなった作品だった。
その林さんも、44歳で子供を産み、そこから母親業と仕事の両立が始まる。
アグネス論争で相当とんがった意見を言っていた彼女。
自分が子供を産んでも、同じ意見でいられるのか?
きっと多くの人が、意地悪な目で彼女の生活を見ていたに違いない。
あんなことを言っていたくらいだから、さぞかし、仕事も子育ても完璧にやれるのでしょうね、と。。
小説家としても、頂点を極めてしまえば、後は落ちるだけ。
発表する小説は、前回のものよりも面白くなければならない。
そうでなければ「林さんの書くものは、子供が生まれたことで落ち着いてしまった。」などと批判されるであろう。
人々の好奇な視線、良い作品を作り続けねばならないプレッシャー、
少しでも気を抜けば、あっという間に奈落の底へ落ちていく
そんな暗闇の誘惑にも負けずに、彼女は次々と名作を生み出していった。
そんな彼女の連載の中に、素敵な言葉をみつけた。
「運命を楽しみなさい」
「最後に幸せと思える人生に向けて、今、選択する。」
「人生の終わり方で、今までの努力の結果が出る」
人生、良い状況だけなのであれば、簡単に楽しめるだろうけど
好ましくない状況も「楽しむ」のか。。これは、ツライ💦
何よりもまず、今の自分の前に置かれている状況を、「運命」なんだと丸ごと受け止める。
これだけでも、結構しんどいですぜ。
林さんは、夜遅く寝て、朝早く起き、睡眠時間は3,4時間の日々を何年も続けたらしい。
幼稚園ではバザーのために縫物をして、先輩ママのためにコーヒーを買いに走り
子供がいなかったら、絶対に味わう事のなかった苦労の連続だった。
それでも、今、幸せであると。
自分の今を振り返ってみた。
どんどん激務になる仕事も
すぐ油断して、勉強のディスカウントをしようとする息子も
そっか。
これは、私の運命の一部 なのだとすれば
もう、半ばあきらめて
丸ごと受け入れるしか、ないんだ。
もともと、決まっていたかも知れない「運命」なのであれば
嘆いても仕方ない。
私の仕事は、忙しいのが当たり前なんだ。
私の息子が宿題をぎりぎりに始めたり、すぐに「油断」しちゃうのも、彼の「運命」なんだ。
きっと、変わらない。
さぁ、そうと来れば、私も逃げずに、自分の出来ることを しっかりやるしかない。
最近は、息子に頼られても、敢えて「見て見ぬふりをしていた」事も多かった。
息子の食べるものについても、お惣菜を買ってしまったり、結構、テキトーだった。
彼が巣立っていく時期は、いずれ、必ず やって来るというのに。
私は
「忙しい」を免罪符にしすぎていたな。
「最後に幸せと思える人生」に向けて、出来る限り、やれることは、やろう。
それがきっと「運命を楽しむ」って事に繋がっていくのだろう。
どこまで出来るか、わからないけど。。