Hiro Eagle

北米先住民文化伝承者、シンガー、絵本作家、アーティストetc(御依頼はお電話迄)

2006年1月19日。Tatanka 氏を偲んで

2025年01月17日 | シャーマニズム



2006年1月19日
Tatanka氏は Spirit Worldに旅立った。

風が吹いていた…

その日の夜明け前
日本にいた私の枕元にも彼の魂は訪ね現れてくれていた

明け方
訃報の電話に眼を覚ますと
夢とも現実ともおぼつかない想いで

今までの流れの中で
何かを悟るように
鎮かに身支度し

祈りながら
そのまま飛行機に飛び乗り
アメリカに戻った

横たわり冷たくなった氏の
枕元に人々が集まっていた

同じSicangu Lakota (シチャングラコタ)の
大チーフメディシンマン 
Leonard Crow Dog氏が側で祈っていた

精霊が見護る中
皆、涙ながら
様々な想いが交錯していた


…………………


Crow Dog's Paradiseにて
氏の盛大な葬式が行われ

そのサウスダコタの地に
埋葬された

スコップ最後の土をかけ

その足で私は彼を弔う旅へと

彼の生まれたモンタナの地へと

車を走らせた。


…………


あれから19年が経った

私も彼に近い歳になったのだろう

今週のイニピで
祈りを捧げたいと想います

祈りをお送りください

繋がるすべての祈り手へ

One Voice
One Heart
One Mind
One ……




神聖なる深き偉大な魂へ
Ahou  Mitakuye Oyasin























1995年1月17日 5時46分52秒…

2025年01月17日 | シャーマニズム


6432人の方が亡くなられた
阪神淡路大震災から30年が経った

その時私は兵庫県の親友の正樹の家にいた
大阪のボクシングジムに移籍して
奴の仕事を手伝いながら、
怪我から再起するつもりだった
しかし
前日の1月16日月曜日に
世界が歪み街中が崩れてくる
白昼夢(vision)を見た
あまりにも苦しくなった

突然の事に仰天し
止める正樹に何とか説明して
夕方にバイクに乗って夜中中飛ばし逃げるように走り続け東京に朝、到着した。

電光掲示板のニュースが
ざわめく街の気配の中
真っ白なツルツルの雪景色の首都高を恐る恐る帰宅した

正樹と何とか連絡がついた
崩れてくる壁から逃れ机の下に潜って
生命が助かったという報告を受けた 

ニュースでは
夜中、眠けと幻影と闘いながら
生命からがら走ってきた高速が
現実に再現され崩れてぐちゃぐちゃになっていた
街も人も騒然としていた。

…………


兵庫から帰るとき
崩れる街と泣き叫ぶ
沢山の魂をも見たが

若い自分にはどうして伝えれば良いのか
そのすべもなく

伝えたくとも誰にも伝わらない
苦しみの中、
祈った
正樹にだけは本当の事を伝えた

やつは
最初は驚いたが
そうかお前らしいなと
豪快に笑い飛ばして見送ってくれていた

こうして
私はだんだんと創造主と神からの
啓示と運命を受け入れるようになり

その先に
ネイティブの世界に
導かれていったのだ。