いつから数に縛られてしまったのだろう
それは管理と欲から…
世界中のネイティブの
文化の根源には 大切な 境地があった
生命や愛を尊び
それらを物として数値化しない
誇り高き神聖な こころ があった
バッファローの群れから
生命を頂くとき
数を数えて生産的に生命を食糧として
殺傷するのではなく
感謝の祈りを持って
波動でとらえた時
群れから違う動きを持って走るバッファローをみつける
エネルギーとして
動物界の霊の言葉として
とらえ感謝して頂く
そして仕留めた魂が宇宙に還る祈りを捧げる
動物も自然も人類も
生命は循環してゆく
そこには数値に限定されない
畏敬への念と愛を讃える祈りがあった
歴史の中で生産的ないわゆる白人的な文化が入植して
バッファローの群れも
毛皮と肉の塊として
数値にあらわされ
欲に支配され
命や祈りをもなく絶滅するまで生産されてしまった
世界中で田も畑も
土地も数値で測られ
誰かが人間目線だけの価値観で
価格がつけられ売り買いされ切り刻まれ
そこに在った
すべての念や魂やエネルギーをも
偏った目線と価値観で数値化してしまった
現代社会は愛や寿命まで
数値化しようとしてしまう
そこからの安心や不安で判断することは
ほんとうに良い事なのだろうか
人は可能性を秘めている
私達が等しく持っているのは
自由な発想からなる無限の力のはずなのに
洗脳ともいえる
固定観念や価値観を拭うのは
並大抵のことではない
表面的な快適さや
幸せに洗脳された持続可能ではない
それが現代の支配の文化の始まりである
すべてものあらゆるものから
spiritが抜けてしまう世界の
行く末を危惧し
母なる地球のすべての子供達のために
大切なその光を取り戻すために
唯一あるもの
そこから無限に輝く世界と生命のために
祈り
独自のバランスを持って
体現をお伝えさせて頂いている