「パーマカルチャー的には病気は無い」
先週末、安曇野のシャロムヒュッテでパーマカルチャー・ギャザリングがあった。
これからの新しいコミュニティづくりについて、皆で活発な意見が交わされた。
コミュニティというと、閉鎖的な宗教的なものを思い浮かべる人も結構いるようですが、
それは一時期のヒッピームーヴメントのコミュのイメージが残っているのかと思う。
ヒッピームーブメントはカウンターカルチャーだったけれど、
今や、新しい生き方を見つけようというのは、カウンターではなくて、
メインになっていかなければ立ち行かない世の中になっているのではないかと思う。
100人の人が全国から終結して大盛り上がりだった。
面白いことがいろいろあったけれど、個人的には医療・健康とパーマカルチャーに関して、
設楽さんに意見を聞いたことが、かなり面白かったし、いろいろ整理されたところがある。
11月に開催される日本ホリスティック医学協会のシンポジウムの抄録を
頼まれているので、それもあって、パーマカルチャーと医療・健康について
設楽さんに意見を聞いてみることになった。
「パーマカルチャー的には病気は無い」と最初に設楽さんは言った。
病気にならない環境づくりをするのがパーマカルチャーだ。
病気という警告があるから、その分、死なないで生きているともいえる。
病気は何かのひずみのお知らせでもある。
病気にならない環境づくり、そして、生き方。
今回のコミュニティづくりのキーワードに
「個人の自立。個人個人が自分らしさを生かしてコミュテニィに貢献する」
そんな言葉が何度も出てきた。
今の社会、個人個人が自分らしく生きているだろうか。
私自身がセラピーの仕事に関わっていて、最終目標というか、
自分の世界観には「自立と調和」というキーワードが根底にあった。
ひとりひとりが自分らしくあり、そして全体が調和するという漠然とした感覚がどこかにある。
自分を探そう、今の自分を変えようというよりも、
よけいながんばりや思い込みを手放すことが、
そこに到達する方法ではないかという気がする。
そして、よけいながんばりや思い込みが病気を生んでるといってもいいかもしれない。
自分が自分らしくいられる環境づくりが大事、
でも、環境がつくられていなくても、自分が自分らしくいれば、
それについて環境がつくられてくるともいえる。
環境がないから出来ないのではなく、環境は自分で創るものともいえる。
勇気がある人は、環境がなくても、人がやってくれるのを待たず自分で動いてみよう。
そうすれば、何かが変るのではないかと思う。
世の中には、新しいものの突破口を開く人、出来たもの維持する人、
そして、古くなったものを破壊する人などいろいろな役割があると思う。
それも、その人らしさであり、みんなが同じになる必要はない。
自分の役割はどれだろうね
先週末、安曇野のシャロムヒュッテでパーマカルチャー・ギャザリングがあった。
これからの新しいコミュニティづくりについて、皆で活発な意見が交わされた。
コミュニティというと、閉鎖的な宗教的なものを思い浮かべる人も結構いるようですが、
それは一時期のヒッピームーヴメントのコミュのイメージが残っているのかと思う。
ヒッピームーブメントはカウンターカルチャーだったけれど、
今や、新しい生き方を見つけようというのは、カウンターではなくて、
メインになっていかなければ立ち行かない世の中になっているのではないかと思う。
100人の人が全国から終結して大盛り上がりだった。
面白いことがいろいろあったけれど、個人的には医療・健康とパーマカルチャーに関して、
設楽さんに意見を聞いたことが、かなり面白かったし、いろいろ整理されたところがある。
11月に開催される日本ホリスティック医学協会のシンポジウムの抄録を
頼まれているので、それもあって、パーマカルチャーと医療・健康について
設楽さんに意見を聞いてみることになった。
「パーマカルチャー的には病気は無い」と最初に設楽さんは言った。
病気にならない環境づくりをするのがパーマカルチャーだ。
病気という警告があるから、その分、死なないで生きているともいえる。
病気は何かのひずみのお知らせでもある。
病気にならない環境づくり、そして、生き方。
今回のコミュニティづくりのキーワードに
「個人の自立。個人個人が自分らしさを生かしてコミュテニィに貢献する」
そんな言葉が何度も出てきた。
今の社会、個人個人が自分らしく生きているだろうか。
私自身がセラピーの仕事に関わっていて、最終目標というか、
自分の世界観には「自立と調和」というキーワードが根底にあった。
ひとりひとりが自分らしくあり、そして全体が調和するという漠然とした感覚がどこかにある。
自分を探そう、今の自分を変えようというよりも、
よけいながんばりや思い込みを手放すことが、
そこに到達する方法ではないかという気がする。
そして、よけいながんばりや思い込みが病気を生んでるといってもいいかもしれない。
自分が自分らしくいられる環境づくりが大事、
でも、環境がつくられていなくても、自分が自分らしくいれば、
それについて環境がつくられてくるともいえる。
環境がないから出来ないのではなく、環境は自分で創るものともいえる。
勇気がある人は、環境がなくても、人がやってくれるのを待たず自分で動いてみよう。
そうすれば、何かが変るのではないかと思う。
世の中には、新しいものの突破口を開く人、出来たもの維持する人、
そして、古くなったものを破壊する人などいろいろな役割があると思う。
それも、その人らしさであり、みんなが同じになる必要はない。
自分の役割はどれだろうね
もしくは、新しく開拓する人かな。
維持するパワーがないので、いつも形ができるとそこを離れる…という、損な役回りをしてきた。でも、これからは、ちょっと違うかな。
維持するのが得意な人と組んで、私はいつもいつも開拓者を続けるのかも…。
むぅ、だね。
若輩ながら、(そんなに若くないか!はは)僕はとことん言い合える仲間を何人持つか!ということを大事にして生きてきた。
けど、それは、とことん言い合いたいの裏返しで、実際のところ、なかなか生きづらかった。自分自身にも問題ありだとも思ったしね。
それが、最近、PCを通した仲間たちといると、何でも言えて、とても生きやすく感じています。もちろん、何でも言える!と思うその根底には、
・人間に対する配慮
・地球に対する配慮
・余剰物の分配
といったPCの倫理をみんなが踏まえてくれてるからだと思う。
anjuさんの言うよう、
「個人の自立。個人個人が自分らしさを生かしてコミュテニィに貢献する」
はPCの倫理を理解した人たちなら、可能だと思う。
なんちゃって。
では!
しばらく研究会(火曜日の)でお目にかかっていませんが、ブログを拝見していると、ご活躍の幅がますます広がっていらっしゃる事を感じます。
「自立と調和」、まさにその通り!
と思い、初めて書き込みさせていただきました。
私もy
私も自発的環境づくりを心がけてしばらく経ち、ゆるーやかにその結果が出始めたように感じています。
とはいえ、まだこれからですが。
またお会いできる機会を楽しみにしています。
私もそうかも。形ができるころにはあきちゃったりするので、人にあげるみたいな。でも、執着してると、自分の中で循環しなくなるから、損だなと思っても、手放さないと結果的に辛くなったりするのが開拓者の運命かもね。
ふくちゃん、安曇野お疲れ様でした!
コンセンサスメイキングのディスカッションなど、面白かったね。
最近は人同士のかかわりが希薄になっているというけれど、人間どこかで深いレベルでわかりあいたいと思っているんだという気がします。
しかし、もしかすると、分かり合おうとするほどワケがわからなくなるのかもしれないので、分かり合うというより、認め合うということかもね。
PCの仲間達は、たぶん基本的に認め合うという認識があるのかもしれないね。
今の社会、基本が、戦うとか疑うとか、そういう意識のほうが強化される環境になってる気がします。
Katoさん、初コメントありがとう!!
今度の研究会は行きますよ~。
結果が出てくるのは緩やかかもしれないけれど、結果を感じとれるまで淡々と続けることも結構たいへんなことですよね。
同じようなことを思い感じている人がいること、心強く思います。
だいぶ、変な世の中ですが、いい方向に向いていくことを期待