先日、『奥会津の木地師』の
ドキュメンタリー映画の見た後に、
早稲沢にある木地工房跡の見学をしてきた。
映画は見るのが2回目だったが、何度見ても、
人間が持つあの技術のすさまじさに、驚く。
山の中での掘立小屋づくり、
川から水をひいてくる技術、
木を切り、木から器の元になる
型を掘り出すなど、様々な木地の技。
自然を扱い、手を使って
何かを生み出すことを忘れた
現代の私たちがら見たら、
すべてがまるで神業だ。
そして、仕事が安全につつがなく進むように、
山の神に祈る場面がある。
ほこらもお札も自分でつくるという
オールマイティぶりにもビックリだ。
そしてそれを普通にやっている。
最近、「儀式」の重要性を考え始めていたので、
何か、ストンと腑に落ちたものがあった。
うちでも庭にサンクチュアリをつくったり、
東西南北に、ご神木を決めておいて、
自然界に感謝する場をつくっている。
生きるための食べるものや
生活に使うものを自然からいただいていると
自然と感謝の気持ちを伝えたくなる。
仕事でも、自然のものを利用させてもらい、
植物療法なり、木工やものづくりなどを行えば、
作業であまった葉っぱや枝、出てきた木くずなどを
ゴミ箱に捨てるというのは、論外だ。
自然に還るものは自然に戻すのが、
地球や自然界に対する礼儀作法だ。
もし、理由があって、そう出来ない時には、
利用させてもらった自然界の存在に、
ちゃんと理由を伝えることも礼儀作法。
なんとなく、やるようになったことだけれど、
植物を知ることや、自然の声を聴くと言った時に、
この地味なことがもっとも重要であり
土台になっている。
しかし、講座やワークショップなんかでは、
あまり、それを項目だてて取り上げることは
してこなかったなと思った。
大切なものは隙間にある。
隙間の秩序をつくるために
儀式ってのはあるのかもしれない。
大切なことを伝えられる方法を、
もう少し熟考したいと思った。
ドキュメンタリー映画の見た後に、
早稲沢にある木地工房跡の見学をしてきた。
映画は見るのが2回目だったが、何度見ても、
人間が持つあの技術のすさまじさに、驚く。
山の中での掘立小屋づくり、
川から水をひいてくる技術、
木を切り、木から器の元になる
型を掘り出すなど、様々な木地の技。
自然を扱い、手を使って
何かを生み出すことを忘れた
現代の私たちがら見たら、
すべてがまるで神業だ。
そして、仕事が安全につつがなく進むように、
山の神に祈る場面がある。
ほこらもお札も自分でつくるという
オールマイティぶりにもビックリだ。
そしてそれを普通にやっている。
最近、「儀式」の重要性を考え始めていたので、
何か、ストンと腑に落ちたものがあった。
うちでも庭にサンクチュアリをつくったり、
東西南北に、ご神木を決めておいて、
自然界に感謝する場をつくっている。
生きるための食べるものや
生活に使うものを自然からいただいていると
自然と感謝の気持ちを伝えたくなる。
仕事でも、自然のものを利用させてもらい、
植物療法なり、木工やものづくりなどを行えば、
作業であまった葉っぱや枝、出てきた木くずなどを
ゴミ箱に捨てるというのは、論外だ。
自然に還るものは自然に戻すのが、
地球や自然界に対する礼儀作法だ。
もし、理由があって、そう出来ない時には、
利用させてもらった自然界の存在に、
ちゃんと理由を伝えることも礼儀作法。
なんとなく、やるようになったことだけれど、
植物を知ることや、自然の声を聴くと言った時に、
この地味なことがもっとも重要であり
土台になっている。
しかし、講座やワークショップなんかでは、
あまり、それを項目だてて取り上げることは
してこなかったなと思った。
大切なものは隙間にある。
隙間の秩序をつくるために
儀式ってのはあるのかもしれない。
大切なことを伝えられる方法を、
もう少し熟考したいと思った。