今日は、久々にオイリュトミーに行った。
10月7日に一年の締めの発表会が終わったので、
これから秋~冬は、基礎に戻りじっくりと学ぶ時期になるそう。
そこで、本日は人智学のお話や、
シュタイナーがオイリュトミーをどう考えていたかというお話を聞いた。
オイリュトミーには、音楽オイリュトミーと言語オイリュトミーがある。
音楽オイリュトミーの目指すところとしては、オイリュトミーを上手に踊るとか
そういったことではなく、「音の狂いがわかること」だそう。
不自然なもの、不協和音を感じること。
そして、それはエコロジーにも通じるということ。
時々思うのだけれど、「これはいいな~」とか「こと人は波長が合うな」とか、
「いい感じだな」と思うときに、美しい和音の響きな感じがするときがある。
反対に「なんだか変」というときは、響きが気持ち悪い感じがする。
明確に和音とか音に聞こえるわけじゃないけれど、
たとえて言うと、そんな感じだなと思うときがある。
なんとなく感じている不協和音って、意識化しないと体に悪い気がする。
10月7日に一年の締めの発表会が終わったので、
これから秋~冬は、基礎に戻りじっくりと学ぶ時期になるそう。
そこで、本日は人智学のお話や、
シュタイナーがオイリュトミーをどう考えていたかというお話を聞いた。
オイリュトミーには、音楽オイリュトミーと言語オイリュトミーがある。
音楽オイリュトミーの目指すところとしては、オイリュトミーを上手に踊るとか
そういったことではなく、「音の狂いがわかること」だそう。
不自然なもの、不協和音を感じること。
そして、それはエコロジーにも通じるということ。
時々思うのだけれど、「これはいいな~」とか「こと人は波長が合うな」とか、
「いい感じだな」と思うときに、美しい和音の響きな感じがするときがある。
反対に「なんだか変」というときは、響きが気持ち悪い感じがする。
明確に和音とか音に聞こえるわけじゃないけれど、
たとえて言うと、そんな感じだなと思うときがある。
なんとなく感じている不協和音って、意識化しないと体に悪い気がする。
人はどうして歌うんやろうね。
不思議ばい。
どれが「本当に自然な自分」なのかを知るのだって、結構難しい。
自然な味、
自然な姿勢、
自然な暮らし、
自然なことが難しいなんて、なんて不自然な話・・・。
上のコメントはkotaroでした。
ほんとに音楽ってなんだろうね。始まりは自然の風の音や鳥の声を真似たとか言われるけど。
それだけじゃなく、人の声とか、実際には聞こえないココロの声とか感情とか、植物が発してる声とか、惑星の波動とか、音になって聞こえたりして、それが音楽になったのかなという気もします。
不思議ばい。
kotaroさん
ちょっと、プロセスワーク面白かったよ。ちょっとかじったぐらいですが。そして、自分がよりよく分かったような分からないようなです。
現代社会は不協和音に囲まれた生活なのかなぁ。
ずっとそこにいると麻痺してきてしまうよな。
また、グラタン屋で語りましょう。
楽器を弾くのって、体にいい気がする。
バイオリン弾いてる人を見て、振動が伝わるから、
なんか影響があるだろうなと思いましたが、
ピアノも響きが自分にも近いところで伝わってくる門ね。
音だけじゃなくて体に感じられる波動が来る気がします。
電子楽器とまた違いますよね。