私は子どものころからこう思っていました。
「人間はほおっておいても自分で自分の面倒は見れるけれども、動物たちは人間がケアをしてあげなければいけない存在だ」と。
幼稚園にも行く前の話。
結局、物心ついたばかりぐらいに思っていたことは、自分の今世の課題となっているかもしれないと、歳を重ねるたびに、そう感じることが多くなってきます。
もう一つの課題があります。これも同時期のことですが、拾ってきた子猫がアクシデントで次の日に死んでしまい、「この子は生きていて幸せだったのだろうか?」という想いが残りました。それは、その後、父が癌の闘病を経て亡くなった時にも、同じ疑問が残りました。自分たちも本人も精いっぱいやってきたにもかかわらず。
3.11の震災後、重大な局面を迎えた時に、人がどこにつながって決断をしていくか?を、人をサポートするセラピストとして、もっと深く知らなければいけないと思い、スピリチュアリティについて学びたいと、やっと強く思いました。
そのプロセスの中で、母の病気や飼い猫の失踪などの体験の中で、多くのことを実践する機会がありました。そして、幼少期からの疑問は、3.11という避けがたい高い山を登らざるを得なくなったことで、いくつかは答えの方向性を見出すことができています。
人間のことは、なんとなく分かったので、ほっと一息と思っていると、また家出癖のある飼い猫が、ふらっといなくなったりします。そうすると、やはり動物たちに私はどう向き合うのか、までが自分の課題の中にあるのかと思い至りました。
2009年に神奈川県の相模湖町から裏磐梯まで連れてこられた、わが家のにゃんこ姉妹、12歳。震災当時は2歳。
もうすぐ、丸10年目の3月11日がやってきます。その時までには戻ってきて欲しいですが、いずれにしても、自分の新しい課題を生きることに、また自覚を持つ日にしたらよいかなと思っています。
自然界からあまりにも乖離してしまった人間に、また自然界とのつながりをもたらすための何かを、動物たちや自然界の生き物とともに、貢献できること、考えていきたいと思います。
本当は、人間と動物の魂的な違いを書こうと思ったのですが、その前提が長すぎて、すみません。
今日はここまでにしたいと思います。
「人間はほおっておいても自分で自分の面倒は見れるけれども、動物たちは人間がケアをしてあげなければいけない存在だ」と。
幼稚園にも行く前の話。
結局、物心ついたばかりぐらいに思っていたことは、自分の今世の課題となっているかもしれないと、歳を重ねるたびに、そう感じることが多くなってきます。
もう一つの課題があります。これも同時期のことですが、拾ってきた子猫がアクシデントで次の日に死んでしまい、「この子は生きていて幸せだったのだろうか?」という想いが残りました。それは、その後、父が癌の闘病を経て亡くなった時にも、同じ疑問が残りました。自分たちも本人も精いっぱいやってきたにもかかわらず。
3.11の震災後、重大な局面を迎えた時に、人がどこにつながって決断をしていくか?を、人をサポートするセラピストとして、もっと深く知らなければいけないと思い、スピリチュアリティについて学びたいと、やっと強く思いました。
そのプロセスの中で、母の病気や飼い猫の失踪などの体験の中で、多くのことを実践する機会がありました。そして、幼少期からの疑問は、3.11という避けがたい高い山を登らざるを得なくなったことで、いくつかは答えの方向性を見出すことができています。
人間のことは、なんとなく分かったので、ほっと一息と思っていると、また家出癖のある飼い猫が、ふらっといなくなったりします。そうすると、やはり動物たちに私はどう向き合うのか、までが自分の課題の中にあるのかと思い至りました。
2009年に神奈川県の相模湖町から裏磐梯まで連れてこられた、わが家のにゃんこ姉妹、12歳。震災当時は2歳。
もうすぐ、丸10年目の3月11日がやってきます。その時までには戻ってきて欲しいですが、いずれにしても、自分の新しい課題を生きることに、また自覚を持つ日にしたらよいかなと思っています。
自然界からあまりにも乖離してしまった人間に、また自然界とのつながりをもたらすための何かを、動物たちや自然界の生き物とともに、貢献できること、考えていきたいと思います。
本当は、人間と動物の魂的な違いを書こうと思ったのですが、その前提が長すぎて、すみません。
今日はここまでにしたいと思います。