笑っておっぱいを取り戻す!

乳がん発覚から乳房再建までの奮闘記

感謝してhappyに生きよう!

2021-02-22 05:36:00 | 日記
2019年9月乳がんで左胸全摘。10月から自家組織の再建を目指して形成外科を受診。2020年3月にエキスパンダー挿入の手術が決まっていました。

去年の今頃このブログを立ち上げました。そしてそこから形成外科の話も、婦人科の話も、乳腺科の話も全て変わり、再建は中止して、放射線治療を受け、当分の間再建はお預けになりました。

ときを同じくして、ダイヤモンドプリンセス号内での集団感染のニュースとともに新型コロナが日本に上陸。既にマスク不足は深刻だったけど、実感としてはまだコロナは対岸の火事で、テレワークが実現するとか、自粛の生活になるとか予想だにしてませんでした。それが、あれよあれよという間に、東京五輪中止が決まり、4月に緊急事態宣言。

私はテレワーク開始。2回の追加切除。5月から7月にかけての放射線治療。仕事に支障を来たすことなく人知れず治療ができたのはコロナのおかげでした。

予定通りエキスパンダーを入れていたらどうなっちゃってたんでしょう?コロナ感染を恐れつつ自家組織再建という大手術を遠隔地まで受けに行き、付き添いもない入院生活、術後の身で何時間もの電車の移動となったか、はたまた、今もエキスパンダーが入ったままで、いつ再建できるかも決まっていなかったか。

形成外科の先生が術前検査が終わってから予定通りにエキスパンダーを入れる手術はできないかも知れないと言い出したときには、ぼう然とし、その無責任な発言に怒りを覚え、恨みさえしそうでした。

一年経った今、確信が持てないまま前任者の決めたことをそのまま進めることの方が無責任で、形成外科の先生のあのときの判断は正しかったと思えるようになりました。今は感謝してます。

婦人科も乳腺科もその段階で分かっている情報を基に最善解を提案してくれたんだと思えるようになりました。不信感を抱いたこともあったけど、今は感謝しようと思い直しました。

新型コロナのことも恨めしく思っていました。今でも決して歓迎はしないのだけど、悪いことばかりでもなかったことに気づき、助けられたことには素直に感謝しようと思います。






大阪で生まれた女・18

2021-02-21 12:24:00 | 日記
このところ、ひとつひとつは小さなことなんだけど、色んなことが起こった。

そのうちのひとつが友達の引っ越し。ちょうど一年前に京都から帰ってきてご近所さんになった。

楽しくなるなぁとワクワクしてたのに、コロナのせいで秋まで会うこともままならなかった。コロナが落ち着いてきて何回か飲みに行って、春になったらテニスしようなんて言って盛り上がった。

なのに又コロナが復活しちゃって二度目の緊急事態宣言。そして友達の転勤が決まっちゃった。コロナによる業務縮小、東京事務所の閉鎖。京都に戻る。

昨日、一緒に飲みに行った。別れた後、すごく寂しくなって、何故か大阪で生まれた女のフレーズが頭の中でこだました。

大阪で生まれた女をググったら、この曲、十八番まであることを初めて知った。高校生のカップルが付き合って、夢を求めて東京に行き、彼女は一人で大阪に戻り、二人はそれぞれの道を歩み、、、と、壮大なストーリー。

朝からこれを聴きながらノスタルジーにハマってる。最近起こった色んなことがボディーブローのように効いて来る。たまにはこんなこともあるよと思うけど、もっと強くならなきゃダメだなとも思う。