3.2013/06/15 ペルー首都 リマより、世界遺産のナスカの地へ向かう
07:58 リマのホテル発。
アラスカから続く パンアメリカンハイウェイに入る、 全長48,000kmとか、ナスカ目指し一路南へ。
9:00、リマから約1時間、島の形が鯨に似ているので くじらの島といわれる島を右に見、さらにパチャカマ神殿のあるあたりを過ぎる。
さらに30分ほど進むと眠ったライオン岩(レオン・ドルミード)のある海岸という名の海水浴場のそばを通過。
10:00、トイレ休憩で、日本人が経営するという土産物店に行く。 高い塀に囲まれており、警備員が大きな扉を開ける。
外からは中に店があるとは伺えない。 12:50 レストラン着。じゃがいもサラダ、牛肉とマッシュポテト、でっかいアイスをいただく。
14:00 レストラン LA TERRAZAを出て、しばらくは民家が続いたが、15:00を過ぎたあたりから人家は途絶え草木のない砂漠の丘陵に入る。
不毛の砂漠地帯の山あいをひとしきり走っていくと、今度は灌漑が行われ緑が鮮やかに見える耕作地が見えてきた。
※リマよりナスカへの ルート図。 図下部の √ 印の場所がパルパ。
12:50 パルパの地上絵近くの レストランに入り、昼食をとる。 じゃがいもサラダ、牛肉とマッシュポテト、でっかいアイス。14:00 終了
15:40 パルパの地上絵の展望ポイント着、 向こうの山の斜面に 人の形の絵があるといううのだが、逆光で凹凸がとても判りづらい。
ナスカの地上絵よりは 古いという、絵柄は、人間というより、宇宙人ぽく見える。
4人のシャーマンと言われ、ナスカの地上絵が描かれた約2000年前より古いパラカス時代のものとされる。
下の写真は、線が判別できるようコントラストを高めて、加工しています。
←部分拡大してみると。
16時過ぎ、 展望台をミラドールという、そのミラドールの高さ 20mの櫓に登り、ナスカの地上絵の一部、手と木の地上絵を見る。
この高さからでは、低くて斜めに数百メートルの大きな地上絵を見ることになるので、きちんと形が判別できない。 下の右の写真が手、 向かって左から右に向かって2本の手が広がっている、なぜか指は4本。
ここナスカの地上絵が描かれたのが紀元前200年から紀元後800年のナスカ文化の時代に描かれたといわれる、、それから1939年に飛行機から発見されるまで千数百年間知られなかった。
wikipediaより・・・ナスカの地上絵は、このような盆地の暗赤褐色の岩を特定の場所だけ幅1m~2m、深さ20~30cm程度取り除き、深層の酸化していない明るい色の岩石を露出させることによって「描かれて」いる。規模によってはもっと広く深い「線」で構成されている。地上絵の線は最初に線の中心から外側へ暗赤褐色の岩、砂、砂利を積み上げる、それから線の中心部分に少し残った暗赤褐色の砂や砂利も取り除いて明瞭になるようにしたと推察される。
左の写真は、枝を大きく広げた木といわれている、この塔からでは低くて全容が良く分からない。明日のセスナからの眺めに期待しよう。
このミラドールの場所は 全長48,000kmのアラスカから延びるパン・アメリカン・ハイウェイ沿いにあるが、当時この地上絵が発見されておらず、トカゲの地上絵を横切るように道が建設されてしまった。
17:04 ナスカの町に入る。
17:20 元領主の大邸宅をリゾートホテルに改造したMajoro Hotel に着く。 103室に。広くて寛げる部屋、
荷物を置き、すぐ部屋の外に敷地内の散策に出る。
広い敷地の庭園内には、プールもあり、孔雀やアルパカのような動物が徘徊してる。 客室はたくさんあるようで、平屋建ての部屋がぐるりと中庭を囲むように回廊状になっている。
部屋の外の廊下をゆうゆうとうろついているのは、アルパカでなくビクーニャだそうだ。
19:00 すっかり暗くなった、中庭から満点の星と、その中でひときわ光る南十字星を眺めて、レストランに入る。料理はバイキング形式だった。
民族音楽の3人が来て、コンドルは飛んで行くなどインカ音楽を演奏してくれた。
※ この続きの旅メモ 「ナスカの地上絵を空中遊覧で楽しむ」 は⇒ ここをクリック。