鬼井江の世界(gooブログ)

「碓氷関所跡から安中宿へ」 2021年11月記述(前ブログより転載)

2021/11/6

「中山道歩き 碓氷(うすい)関所跡から安中宿へ(その2)」  
 碓氷関所跡から松井田宿まで、約8kmの行程を3時間もかかって歩いていた。寄り道をしていたとはいえ、ちょっと遅すぎるペースだった。
 松井田宿から約10km先の安中(あんなか)宿に到着するころには、暗くなっているかもしれないと気になった。安中宿の「旧安中藩郡奉行役宅」と「武家長屋」という建物が再現されている。それらの建物を見学したかった。見学時間は午後5時まで。2時間ほどで、10km歩かなけれならない・・・。「このペースでは、不可能だろう」と思えた。しかし、とにかく速足で歩くことにした。

 (ここから続きです)

 安中宿まで単調な道が中山道だった。バス停が所々にあったが、バスの本数は少なかった。一日に5本ぐらいだった。ほとんどの人は車利用の生活らしい。バスとすれ違ったが、乗客の姿は見えなかった。
 江戸時代、安中宿は安中藩3万石の城下町であった。宿場経営においてもそれほど栄えていたわけでもなかったようだ。碓氷関所の運営は安中藩が当たっていた。3万石の藩ゆえに貧しい藩だったようである。
 午後4時55分に、「並木配水池」に到着できた。中山道に面した「給水塔」の壁面に『安政遠足之図』が描かれていた。薄暗くなりかけていたので、短時間で写真を撮った。大きな絵だったので、驚いた。面が曲がっているので、遠近感が効果的に感じられた。「流石、マラソン発祥の地だ!」と、曲面コンクリート画を評価、鑑賞したのだった。
 給水塔近くに立派な杉並木があった。江戸時代は延長約1kmあったようだ。現在は、巨木数本しか残っていないが、かつては700本あまり植えられていた。壮観な杉並木だったことが想像できる。(写真の巨木が700本の中山道!)
 安中宿中心部(須藤本陣跡)に到着した時刻は、5時30分ごろであった。
 近くに「旧安中藩郡奉行役宅」「武家長屋」があるようであった。中山道から少し離れた位置に建物があるようだったが、暗くなり、開館時間(午前9時~午後5時)も過ぎていたので、本日の見学はあきらめることにした。(また明日来るぞ!)と思った。
 宿泊予約をしていたホテルはJR高崎駅前だったので、「本日の歩き旅は、ここまで」と決めた。
 暗くなった中山道を疲れた足を引きずって、JR安中駅を目指して歩いた。久しぶりの歩きだったので、やはり疲れていた。夜行バスでほとんど眠れなかったこともあって、膝・足首の疲れがピークに差し掛かっていた。とにかく駅までが遠く感じられた。
 JR安中駅に到着したのは、午後6時10分になっていた。信越本線に乗り、高崎駅前ホテルに到着できたのは、午後7時ごろになっていた。
 万歩計を見たら、37625歩だった。今日(10月28日)一日で計算上22kmほど歩いたことになる。疲れたはずだ・・・と、歩数を目にして実感したのだった。
 ホテルの浴場で、足をもんで、もんで・・・さらにもんで・・・。ぐっすり眠った。
 3万歩以上いきなり歩いたようで・・・(明日歩けるかな?)と不安に思った。

 * この続き(次の日の中山道歩きの行程)は、次のブログへ。
 
 

安中宿 中心部が近づく頃 立派な杉並木があった
 

薄暗い時間になっていたが、給水塔の壁画を見ることができた。
 

安中藩士らの遠駆け(現在のマラソン)の様子が描かれている。
「安政遠足(あんせいとおあし)」というタイトルの絵である。
安中は、日本のマラソン発祥の地とも言われている。
 
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