鬼井江の世界(gooブログ)

中山道歩き旅計画 (いよいよ中山道最難関峠越え・ツアー参加で)

 中山道には多くの峠越えの個所がある。今まで一人旅で越えてきた峠を振り返ってみると…。

 京都(三条大橋)から(滋賀県)草津宿までは東海道・中山道は共通の街道でした。街道の峠としては、三条大橋から山科へ向かうときに、日ノ岡峠というなだらかな坂道がありました。山科から逢坂山関所(京を守る重要な関所の一つ)跡を越えると、近江の国の大津宿に。

 大津宿からは琵琶湖に沿って、平坦な街道筋を草津宿へ。草津宿は中山道と東海道が合流する共通宿で、宿泊者が多い宿場である。現存する本陣としては、最大級と言われており、建物内を見学する人も多い。宿帳も残されており、吉良上野介や浅野内匠頭、皇女和宮、土方歳三、徳川慶喜、シーボルトなどが宿泊したことが記録されている。(ちなみに、見学に1時間ぐらいかかりました。)

 この草津宿から北上していく街道が中山道で、東へ鈴鹿峠を目指す道が東海道である。草津宿は追分(別かれ道)地点である。

 中山道を琵琶湖に沿って歩く道(近江路)は平坦で、歩きやすい。峠のない道が彦根に近い鳥居本宿まで続いている。鳥居本宿から坂道になり、摺針(すりはり)峠(標高170m・琵琶湖を見下ろせる峠)を越えると、番場宿に至る。番場宿からやや平坦になり、醒井(さめがい)宿が近い。醒井宿も平坦で、清流の川に沿って宿場の建物が並んでいる。夏の清流には梅花藻の白い花(水中花)が咲いている。晩夏には百日紅(さるすべり)の木々の赤い花が咲き乱れ、(梅花藻と百日紅)それらの花を見たくて3度訪れている。

 醒井宿から柏原(かしわばら)宿までの中山道は、概ね平坦である。

 京都からスタートして、中山道・近江路(滋賀県)の次は、美濃路(岐阜県)・今須宿へ。今須峠(標高160m)を越えて、しばらく歩くと、不破関跡に至る。不破関は東山道(後に中山道とほぼ重なる)の重要な関所で、壬申の乱(672年)後に設置されている。東海道の重要な関所は、伊勢鈴鹿関で、北陸道では、越前愛発(あらち)関が設置された。これらの(奈良や京都を守るための)重要な関所は、古代律令制下の「三関」となっている。これらの関の東側を、「関東」とし、西側を「関西」とみなした。

 不破関の近くの「原」が、「関ヶ原」で、天下分け目の戦いの舞台になった理由も、地形と歴史(関が設置された)がからんでいることになる。古代において、「壬申の乱」(古代最大の戦乱とみなされている)があり、江戸時代の始まる直前(1600年)に、東軍と西軍による「天下分け目の戦い」の場所になっている。

 不破関や関ヶ原近辺の標高はそれほど高くはない、中山道・関ヶ原宿も歩きやすい街道筋でした。関ヶ原の周りには、小高い山があり、それらの山々が戦乱において、それぞれの陣地になった。不破関跡を訪れたが、坂道はあったが、標高の高さは大したことはなかった。

 今須宿から関ヶ原宿を通り、美濃路が続いている。大きな川(木曽川など)を渡ることはあっても、峠道はしばらくなかった。中山道歩きで、京都から御嵩(御嶽みたけ)宿という宿場までは、歩きやすい街道歩きでした。峠越え(摺針峠・今須峠など)で苦労することはほとんどなかったですね。

 しかし、御嵩宿を過ぎると・・・ 「美濃路最難関コース」が待っていました。峠道が嫌というほど続いていました。坂道の多いこと! 上っては下り、また上っては下り・・・。峠の数が13もあることから「十三峠」という名付けられている街道筋もありました。御嵩宿から大井宿までの中山道(美濃路)は、十三峠以外にも○○峠、○○峠・・・「峠ばっかり」の街道でした。標高は木曽路ほど高くはないのですが、一人歩き旅をする者にとっては、苦痛と不安だらけの道でした。(木曽路は標高が高いのですが、休憩できるところや土産物店などがあったり、誰かに出会ったりするので、それほど不安ではありませんでした。)

 御嵩宿から細久手(ほそくて)宿へ、さらに大湫(おおくて)宿へ向かう道。そして大井宿(恵那駅近くの宿)を目指して歩くコースは、たいへんでした。先ほど述べた峠ばかりの難関コースでしたから。約30kmほどの難コースですが、「二度と歩きたくない」と、今も思っています。江戸時代は歩く人が多かったようですが、現在はほとんど歩く人がいないようで、ほとんど「人に会わない中山道歩き」になりました。交通の不便なコースでしたし、「熊の出没注意」の警告板もありましたから・・・。(複数でなら、また歩いてもいいですが・・・。)街道の近くの藪で、ガサッと音がすると、びっくりしましたね。熊以外の、猪や小動物でも、ビビりますよ!

 美濃路(岐阜県)の十三峠などはたいへんでした。 今須宿(岐阜県不破郡関ケ原町今須)から→→→大井宿→中津川宿→落合宿までが美濃路に含まれ、次の馬籠宿からは木曽路になります。

 木曽路は坂が多く、峠も多い街道でした。観光地としても、賑わっている中山道でした。歩く人も多く、土産物屋や旅館なども多く、にぎやかな宿場も多い街道歩きになりました。西洋系の外国人に出会うことの多いところでした。特に、馬籠宿・妻籠宿・奈良井宿では外国人に出会うことが多かったですね。JR南木曽駅から妻籠宿までの中山道歩きコースで出会ったのは、外国人が多かったですね。(日本人は車利用で宿場巡りをしているようで、リュックを担いでの中山道歩きそのものは、外国人の方が多かったようです。私の感想ですが・・・)

 木曽路での苦労した峠と言えば、「鳥居峠」でした。藪原(やぶはら)宿から6km先の奈良井宿へ。その途中に木曽路最難関=標高1197mの鳥居峠があるのです。JR藪原駅の駅長さんと話す機会がありました。その時、「熊に注意して峠を越えてください」と、助言してもらいました。「木をたたきながら歩くといいですよ! 木をたたいて、熊に知らせると、熊が逃げていきますから。」と、教えていただいた。長野県は、やはり熊が出没している。峠道において、数か所「熊除けの鐘」が設置されていましたから。カーンカーンカーンと、熊に当方(人間)の存在を知らせてあげた。効果があったのか(?) この日、熊に出会わすことはなかった。

 さて、木曽路の次は信濃路。塩尻宿から下諏訪宿へ向かう途中、塩尻峠があるが、それほど苦労する峠ではなかった。しかし、この峠付近でも、「熊出没注意」の立て看板が設置してあった。

 しかし、峠は明るく、藪も少なかったので、不安な心地はしなかった。塩尻峠の標高は1012mだが、下諏訪宿の標高が760mほどあるので、坂はそれほど、苦痛ではなかった。

 さて、中山道全行程の中での最難関の峠、和田峠(標高1531m)をどう乗り越えるか!?

 下諏訪宿との落差=771mもある。熊の出没も当然予想される。特に今年は熊の餌(どんぐりなどの木の実)不足で、熊による被害が多発している。

 あれこれと思案の結果、「一人歩きは危険だ」と考え、中山道歩きのツアーに参加することに決めました。中山道歩きは、今まですべて「一人歩き旅」でした・・・。「和田峠越えだけは・・・仕方がないかな?」と、自分に言い聞かせています。

 11月25日より2泊3日で、「中山道歩きツアー参加」で和田峠を越える予定です。

 下諏訪宿 → (和田峠) → 和田宿 → 長久保宿 を歩いてくる予定です。無事に何事もなく、和田峠を越えられるようにと願っています。年齢制限のあるコースで、満75歳以下が参加条件のツアーです。私は満75歳。ギリギリセーフでした。来年7月以後になれば、参加を断られるので、今年でよかったです。がんばって歩いてきます。   

 ちなみに、中山道で上州路の難所=碓氷峠は、すでに一人歩きで終えています。軽井沢宿から坂本宿へのコース、碓氷峠は難コースでしたが・・・、(私以外に)中山道歩き旅をしている人々に出会いました。だから、それほど不安にならなかったです。(美濃路の峠のように、誰にも会わない道は心細かったですよ。)

 今回の記述は以上です。

 

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「歩き旅関係」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事